1999年3月10日第59号
幸福ニュース

【 初めての介護体験 】

今回は、購読者の方から、とても胸をうち、考えさせられるEメールを受け取りましたので、ご本人のお許しを得てここに掲載する次第です。T.T.さん、本当にありがとうございました。

小倉くめさん発行の{秘めだるま}に掲載された{尻拭き13505回}と、現実のNさんの状況を休験して、衝撃を覚えました。自分でできることを、少しでもさせていただかなければと感じた次第です。

【 尻拭き13505回 】

{汚い話しになりますが、私(N)はまだ自分の尻を自分で拭いたことがなくて、37年間母に拭いてもらいました。1日に1回としても、365日の37倍ですから、13505回になるのです。

これだけ息子の尻を拭いてきた母親と、拭かせてきた子供の関係とは、いったい何だろうか。妙なものだと思わずにおれません。

それが、まだあと何年続くかわかりません。考えると悲しくなるよりおかしくなって、福祉だの社会保障だのという言葉が、自分とは全く無縁な言葉にさえみえてきます。}

祝福と期待をもってこの世に生まれてから37年、ただの一度も自分で尻の始末をしたことのない重度障害の息子に、その母は何を考えながら、尽くして来られたのであろうか。

この母は1日に1度は涙を流したかもしれぬ。これも13505回になる。朝夕に2度ずつ祈ったかもしれぬ。27010回祈つたことになる。こうした人びとが、今もこの世に何千何万とおられることを忘れないでほしい。

{福祉とは、人と人とのかかわりあいである}といわれるが、とかく目先のことや計算に追われて、隣さえ目に入らず、本当のかかわりを持とうとしない自分に気づく。

{人間の歴史は尻拭きの歴史である。尻を拭いてもらって、尻を拭いてあげて、また尻を拭かせて、これを繰り返してきたのが、人間なのだ}と、それこそ繰り返し繰り返し語られたのは、社会福祉の先達、賀川豊彦先生であった。

今日もどこかで、尻拭きの日々を送っておられるお方があろう。まさにそれは、 ”壮烈な戦い”といってよいであろう。それを援助し、手を伸ベ、心を寄せることを”社会参加”といい”ボランティア”というのではあるまいか。

【 初めての介護体験の感想 】  (T.T. 49才)

12月13日(日)空は快晴だが、霜でも降りそうな冷えた朝。家の近くの市バスの歌島ターミナルから、井高野ターミナルまで約40分。そして、井高野ターミナルから約5分くらいのところにある府営住宅が、今回初めて、お手伝いするNさんの自宅である。

玄関で、呼んでも出てこられないため、そっと隣の部屋まであがり、様子をうかがった。ちようど、おむつを始末されているところだった。{ごちそうがたくさんでたね.....} と寝たきりの息子さんに、何度も何度も話しかけながらお尻を拭かれていた。だから声をかけても分からなかったのだ。

お尻を拭かれている、お母さんになかなか声を掛けることができず、おむつの始末が終わったのを見計らって、玄関にもう一度ひき返し、{ごめんください}と大きな声であいさつして、家に入つた。

そこでお母さんと面会し、少しお話しをした。寝たきりのNさんは、発熱とのことで、車イスで外に出ることは、取りやめになった。元気な時はバスが好きなので、バスターミナルまで散歩している。

今日は、家の中から外をみるようにということで、床から少し高いベッドに持ちあげた。お母さんが足をもち、私が脇から胸に腕をいれて抱きあげた。Nさんは23歳。結構重たく一人では大変だ。抱き方がわからないため、お母さんに聞きながらお手伝いをする状況、頼りないお手伝いであった。もっと基本的な知識が必要だと痛感。

10時10分ころ、中年の女性の方が一人、ボランティアにこられた。ベランダに出て洗濯物をほされたりしていた。外出をしないので、玄関の拭き掃除や、車イス、自転車の掃除を約1時間程度させていただいた。

玄関で拭き掃除をしていると、団地に住んでいるおじさん(65歳くらい)が話しかけてきた。世間話しの中で、以前はここの自治会の役員をされていたとのこと。

{Nさんの母親は、団地全員が参加の掃除をする時でも、出てこないとか、ボランティアで来る人も、人使いが荒いため、人がすぐやめる}、{例えば玄関の掃除ぐらいは、Nさんのおばさんがすることやないか}、また{全員参加の掃除に欠席するなら、班長に報告すればよいのだが、それもない}と、いうような事を、特に、新しくこの団地に引っ越して来た人は、Nさんの事情を知らないため、よく文句を言ってくるらしい。

同じ不自由な方でも、両手両足のない、早稲田大学に通う、{五体不満足}の著者である乙武洋匡(おとたけひろただ)さんもいれば、23歳の寝たきりでおむつをしているNさんのような方もいる。同じ人間で、なぜこのような差を持って生まれてくるのか、おもわず考えてしまった。

乙竹洋匡さんは、両手両足がないが、大学生で自分しかできないことを発見されている。その内容を、本から一部抜粋。

{障害者への慣れ}と同時に、障害者に対する心のバリアを取り除くために必要なのは、他人を認める心だと思う。欧米では、障害者が暮らしやすい社会が築かれていると言うが、それも他人を認める心があるからだろう。さまざまな民族がひとつの国家で生活をしている欧米では、他人と違うという理由で否定をしていたら、きりがない。そこで、障害者のようなマイノリティ(少数者)に対しても、{多様性}という観点から、障害をその人の特徴として受け入れているのだ。

日本は、どうだろうか。欧米とは違い、日本人は単一民族として生きてきた。すべてが同じであることが原則とされ、そこからはみ出ることを極度に恐れる。そして、はみ出た人間に対して待っているのは、差別や偏見。このような社会では、障害者が受け入れられるのはむずかしいだろう。

今、中学校を中心として起こっている{いじめ}の問題。そのほとんどが、{アイツは、オレたちとここが違うから}といったことが原因であると言われている。もし、子供たちが他人を認めることのできる心を持ってくれれば、こうしたいじめの大半が解決するだろう。{みんなが違う}のはあたりまえなのだ。

そして、他人を認める心の原点は、自分を大切にすることだ。ボクが、バリアフリーを目指す活動を始めるようになったのは、{ボクには、ボクにしかできないことがある}という想いからだった。

しかし、それはボクだけに課せられたものではない。誰にも、{その人にしかできないこと}があるはずなのだ。{自分の役割}に若いうちに気付く人もいれば、年を重ねていくうちに気付く人もいるだろう。なかには、死を迎える時になって、{ああ、自分の役割とは、あのことだったんだ}と気付く人もいるはずだ。

ボクの場合、{障害}という分かりやすい目印だったために、自分の役割に気付いたのが、たまたま早かったのだろう。それに気付く時期は、人によってさまざまなのかもしれない。だが、必ず誰しもが{自分の役割}を持っているのだ。

それもそのはずだ。日本中、いや、世界中を見渡したところで、自分とまったく同じ人間などいるわけがない。たったひとりしかいない人間であれば、その人にしかできないことがあって当然なのだ。そうであるなら、ボクらは、もっと自分自身を大切にしなければならない。誇りをもたなければならない。

今の子どもたちは、すぐに{どうせ、俺なんて成績が悪いし}、{どうせ、私なんて美人じゃないし}といった{どうせ自分なんて}という言葉を口にする。しかし、もしも彼らが、{自分は、この広い宇宙に一人しかいない、かけがえのない存在なんだ}と、自分を誇りに思えるようになれば、{どうせ自分なんて}という自ら人生をつまらなくするような言葉は口にしなくなるだろう。

そして、自分の存在を認められるようになれば、自然に、目の前にいる相手の{相手らしさ}も認めることができるようになるはずだ。自分も、たったひとりの自分であるように、この人も、たったひとりしかいない、大切な存在なんだと。

障害者が暮らしやすいバリアフリー社会を創るためだけではない。すべての人が、与えられた命を無駄にすることなく、その命を最大限に活かして生きていくためにも、自分らしさを見失わず、自分に誇りを持って生きていくことを望みたい。そして、ボク自身、{心のバリアフリー}にすこしでも貢献していくことで、自分に誇りを持って生きていけるように願っている}と著書に述べられている。

しかし、Nさんは、寝たきりで考えることも、動くことも出来ない状況であるのに、なぜ神様はこのような人間をつくられたのか。なにか、Nさんにも役割があるはずである。

その前に、我々健常者の役割とは。松山市で季刊誌{秘めだるま}を編集されている小倉くめさんの詩を紹介させていただきます。

{手が二本あるのは....}

一本の手で炊事をして着替えをして赤ちゃんをそだてている人がいるのに
手が二本あるのは何のためですか。
一本の足で立ったり跳んだり車に乗ったりしている人がいるのに
足が二本あるのは何のためですか。
一つの目で見て
一つの耳で聞いて
それでもちゃんと生活している人がいるのに
目も耳も二つずつ付いているのは何のためですか。
足はヤジロベエの心棒みたいに真ん中に一本あれば立てるし
目は一つ目小僧みたいにおでこの真ん中に一つあれば事足りるし
耳は頭の上にパラボラアンテナみたいな大きなのが一つ付いていれば
十分聞こえます。
それでも
手が二本あり
足が二本あり
目も耳も二つずつ付いているのは
もう一人の誰かのお手伝いをするためです。
手が一本しかない人や両手がない人
足が不自由な人や目が見えない人
耳が聞こえない人などのお手伝いをするために
手も足も目も耳も
神様が一つずつおまけして下さったんです。
一本の手は一本分の仕事しかできなくても
二本の手は二本分以上の仕事ができます。
四本になればもっとたくさんの仕事ができます。
人間同士が本気で助け合えば
皆が幸せに生きられて
どんなことでも解決できるように
神様は
二本の手と足と
二つずつの目と耳を与えて下さったんです。

そこで、Nさんの役割とは、Nさんのように、寝たきりの不自由な人に、{五体満足}の我々がお手伝いをさせていただくように、神様は、創られたのではないだろうか。

“お手伝いをさせていただく”、という心が人間に育ち、お互いを思いやる心ができれば、素晴らしい人間関係、素晴らしい家庭・地域、素晴らしい社会環境ができ、平利な地球ができる。

つまり、人間として大切なことを、教えるためにつくられたのではないかと思う。 寝たきりの不自由な人は、ひとくちで言えば、{平和の使者}なのである。

今回の団地の例で言えば、{全員参加の掃除に欠席するなら班長に報告すべきだ}この 意味も、軍隊なら分からないでもない。また一般的な見方でもあろう。以前の私であれば同じことを、言ったに違いない。

Nさんのお母さんは、毎日毎日、身も心もすり減らして、介護をされているのである。 身内の介護は、掃除のボランティアと違うのであろうか。 同じ日に、掃除をする人もいれば、介護をする人がいてもいいのではないか。 Nさんのお母さんと同じように、他人が、お尻を拭き、おしめをかえられるだろうか。 私には、掃除はできても、おそらくお母さんの真似はできないだろう。

だから、逆に班長さんから、{Nさんのお母さん、掃除は我々が行うから参加しな〈て もいいですよ。それより、息子さんをお大事になさってください}という声をかければ、随分と心の通う人間関係ができ、住みよい素晴らしい団地に、なるのではないだろうか。

先日、元松下政経塾塾頭 上甲先生から、{流汗悟道}(りゅうかんごどう)のことば をいただいた。玄関や車イスの拭き掃除等で、まさしく、このことばの意味を実感した。

人間は知識だけでなく、どのようなことでも、体でぶち当たって体験し、また頭でも考え、そして、心で感じとることの大切さがわかった。これからも汗を流していきたいと思っている。

また、今回、私は、寝たきりの不自由な人のお手伝いをすることにより、おごった心・ おごった生活を、反省することができたと思う。また、この体験で、どのような生き方をするか、どのような心を持って生活をしなければならないか、自分の役割はなにか、少し分かりかけてきたように思う。すばらしいことが発見でき、本当によかつた。

このような機会をいただきました、NALCの皆様や、ここまで導いて下さいました、 皆様方に心からお礼申しあげます。本当にありがとうございました。いま、私はやっと、人生のスタート地点に、たどり着いたように感じました。合掌

【坂村真民詩集】
《念じてください》

念じてください
日に
月に
星に
手を合わせて

念じてください
木に
石に
地球に
額をつけて

念じてください
病いに苦しむ人たちのために
貧しさに泣く人たちのために
痩せ細りゆく難民達のために

念じてください
少しでもお役に立つことのできる
人間になることを
そして生きてきてよかったと
自分に一言える一生であるように
二度とない人生だから
かけがえのないこの身だから

【仏語集】

世に無財の七施とよばれるものがある。財なき者にもなし得る七種の布施行のことである。

一には身施、肉体による奉仕であり、その最高なるものが次項に述ぺる捨身行である。

二には心施、他人や他の存在に対する思いやりの心である。

三には眼施、やさしきまなざしであり、そこに居るすべての人の心がなごやかになる。

四には和顔施、柔和な笑顔を絶やさないことである。

五には言施、思いやりのこもったあたたかい言葉をかけることである。

六には牀座施(しょうざせ)、自分の席をゆずることである。

七には房舎施(ぼうしゃせ)、わが家を一夜の宿に貸すことである。

以上の七施ならば、だれにでも出来ることであり、日常生活の中で行えることばかりなのである。

(雑宝蔵経)(The Teaching of Buddha)

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