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大日乃光






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2017年04月08日大日乃光第2172号
「苦難を克服し願い事を叶えるためには」

桜の満開が日本列島を荘厳しているこの良き季節、信者の皆様はいかがお過ごしでしょうか?
 
前号では新入学や進学、さらには新社会人の人々に対する周りからの支えのあり方についてお伝えしましたが、残念ながら受験に失敗したり就職試験で希望する会社に入れなかった人もおられると思います。

そんな方に挫折や失敗から何を学び、どのように立ち上がるべきかを私の経験を交えて、少しお話ししたいと思います。
 
人生には様々な不都合や不幸な出来事が何度かあります。時には挫折を味わうことも一度や二度ではありません。人にとって若い時期に挫折を味わう事は良いことです。なぜならその挫折が、その人に強い意志と前に進む勇気を与えてくれるからです。
 
佛教の開祖、お釈迦様はお生まれになってすぐに生みの親であったお母様(摩耶夫人)が亡くなってしまいました。このことが、その後のお釈迦様に人生を深く考える心の在り方を与えました。

この人生を深く思索することが、後に多くの人類を救う〝佛教〟というものを生み出す原動力となったのです。
 
吃音症に悩み苦しんだ青春時代
 
ここで私の若い頃のささやかな苦しみと挫折のお話を少しいたします。小学校低学年の頃、ガキ大将といっしょに遊んでいて、そのガキ大将がひどいドモリ(訥弁)だったので何気なくそのドモリの真似をしていましたら、まさにバチが当たったのか、私も軽いドモリになりました。

その後、家族ともども佐賀に移住したことから生活環境の変化に心の安定が取れなかったこともあり、そのドモリはかなりひどくなりました。
 
例えば家(寺)に帰る時、「ただいま」と言う言葉さえも出ないほどでした。また、一人でバスで帰る時、切符を買うのに「田手まで子供一枚」と言えず、次のバス停までの分を買ったり、一つ手前のバス停で降りて歩いて帰ったことも一度や二度ではありませんでした。
 
一人でトボトボと帰る道すがら、「なんて惨めなんだ!これからこんな人生を歩まなければならないのか?」と、人生を悲観しながら歩いて帰ったのを、今でもハッキリと覚えています。
 
思春期になると、密かに心を寄せていた同級生の女の子に声ひとつかけることもできず、挨拶もできない暗い青春時代を送っていました。
 
苦悩を克服するきっかけは、あえて火中に飛び込む事
 
「このままでは自分の人生は本当にダメになる…」と悲観していた頃、生徒会主催の校内弁論大会開催の情報を耳にしたのです。
 
「よし!これだ!恥ずかしがるからダメなんだ!全校生徒の前で、全ての先生の前で、このドモリの恥を晒してやろう!そうすれば少しは恥ずかしさも無くなるかもしれない!」と考えたのです。
 
ホームルームの時、クラス委員長が「誰か弁論大会に出る人はいませんか?」と言った直後、私は意を決してサッと手を挙げました。一瞬周りのクラスメートからは白けた雰囲気が広がりました。しかし私以外に誰も手を挙げる人はいませんでした。
 
こうして挨拶もろくにできない対人恐怖症のような私が、二週間後の弁論大会に出場することになったのです。

それからというもの、二、三冊の本を読みました。今でも特に印象に残っているのは岩波新書、渡辺照宏著の『仏教』という本です。この本は何度も読みました。その上でスピーチ原稿を書き、それを経本のように折りたたみ、本堂で何度も何度も声に出して練習しました。
 
そして、ついに弁論大会のその時が迫ってきました。自分の順番が近づくたびに心臓の鼓動が強くなり、あと三人、二人となったときには心臓が口から飛び出るような緊張感に見舞われました。

とうとう自分の番になった時、どのようにしてステージに上がり、どのようにしゃべりステージから降りてきたのか、真っ白になって何も覚えていませんでした。
 
一年の三学期でしたから、各学年十一人、合計三十三人の弁論大会でした。いよいよ順位の発表が始まると、全く期待していなかったにも関わらず、なんと全校で二番になったのでした。
 
雄々しく勇気を奮い立たせ、自らに課した試練
 
この日を境に私は積極的に苦難に立ち向かう心構えの種が、確実に心に植えられたと思っています。自ら苦難に立ち向かうこの心構えが、現在の私を作っていると言っても過言ではありません。

その日以来ドモリが完治した訳ではありませんでしたが、その日を境に私の心構えは大きく変わったのです。
 
 
二十代の中頃から蓮華院の貫主になるまでの間、私はある方の勧めで青年会議所に入会しました。この間、六回ほど全国組織である日本青年会議所に出向しました。
 
最初の三年間は研修委員会に属していました。この頃は毎回著名な講師の方が講演をされて、その後質疑応答がありました。私はこの時、必ず一番に手を挙げて質問することを自分に課したのです。その結果、講演を真剣に聴く心構えができました。
 
ある時は三千人の聴衆の中で大きな声を上げて、一番に手を挙げて質問をしました。さすがに手を挙げて立ち上がった瞬間、極度の緊張の中で膝がガクガク震えているのが自分でもはっきりと分かるほどでした。
 
しかし毎回毎回手を挙げて質問する内に上層部の人にも顔を覚えてもらい、時には講演者の控え室まで質問に行ったりしていました。それでも完全に言語障害がなくなっていたわけではありませんでした。
 
このような習慣を付けている内に、人前であがらない心構えと、冷静に対話する力が身について行ったのです。この事は、その後の人生に大きなものを与えています。
 
苦難や挫折があってこその成長
 
普通の人でも大勢の前で手を挙げて質問をしたり、講師の部屋を訪ねたりするのはなかなか難しいことかと思います。しかし私は、自分の言語障害を克服する目的を達成しようという強い心があったからこそ、これらを実行する事ができたのかもしれません。
 
人は自分の持っている欠点をバネに変えて活かす時、普通の人にはできないこともできるのだと確信しています。

今現在挫折の中にいる人は、その挫折感をしっかりと味わいながら、そこから一歩踏み出す勇気を持って進んでください。この一歩踏み出すのは、まさに今ここからなのです。その意味で、挫折は早い方がいいと先にお伝えしたのです。
 
私達に脈々と伝わる日本人の魂
 
もう一つの体験談をお話しいたします。それは私の長女が高校三年の時に、第一志望だった大学入試の際に起きたことです。先生から太鼓判を押されていたのでよほど自信があったのか、滑り止めは受けていませんでした。ところがどうした訳か、その志望校の入試に落ちてしまったのです。
 
長女からその報告を受け、その時私は、「そうか!よし分かった。これから一年間浪人しなさい。しかし、落ちた大学より更に上の大学を目指しなさい。振られた男に未練など残さず、もっといい男にぶつかって行きなさい!」と言ったことをハッキリと覚えています。その後、彼女は凄い集中力を以て、一年後には無事に難関の大学に受かりました。
 
この浪人の一年間で、彼女は人間的にも一回りも二回りも大きくなったように感じました。人は挫折や苦難によって打ちひしがれる人と、そこから雄々しく立ち上がる人に分かれます。

天地自然の災害の多い私達日本人の遺伝子には、この苦難に立ち向かう魂がしっかりと刻まれていると確信しています。
 
願い事を叶えるのは、苦悩を越えて御心に向き合う姿勢
 
皆さん、どうか周りに苦難に打ちひしがれている人が居られたら、静かに見守り、ときには励ましてあげてください。そしてときには自分自身の体験を伝えてあげてください。

願いを叶えるために、その目標に向かって一心に心を向けて励む経験は、その人の人生に大きなものを与えます。
 
これと同じように、信心によって願いを叶えるためには御本尊皇円大菩薩様の御心に適う清く強い思いと努力で、佛様にしっかりと向き合わなければなりません。

一度この佛様にしっかりと向き合う体験を経ると、人生に対しての自信が芽生えます。これから様々な花が咲きほころぶように、皆さんも願いの花を一つまた一つと開いて行って下さい。合掌   



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