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2017年04月29日大日乃光第2174号
英霊への追福供養の功徳を積んだミャンマー/ビルマご遺骨帰國運動

四年の活動期間を経て、若者達に託されたご遺骨の帰還
 
平成二十四年の十月に同志の皆さんと共に始めた『ミャンマー/ビルマご遺骨帰國運動』は民間団体としての役割を終え、去る四月九日の会議を経て、今後の活動は終息する事になりました。
 
四年以上に亘って皆さん方に多大なご協力を頂きました事を、心から篤く御礼申し上げます。これまで多くの信者の皆さんや友人知人の皆さんには本当にお世話になりました。この場をお借りして心から篤く御礼申し上げます。
 
今後はNPO法人JYMA日本青年遺骨収集団という組織が、ご遺骨にご帰国頂く役割を引き継いで頂くことになりました。このJYMAは今年で五十周年を迎える伝統のある団体で、全国の学生さん達を中心とする若者の組織です。
 
功績を讃えられたミャンマーでのご遺骨調査
 
ご遺骨のご帰還を国の責任で推進するための法律が昨年成立し、昨年度から予算も下りて、去る三月には新たに十柱のご遺骨にミャンマーからご帰国頂く事が出来ました。
 
これまでは現地で井本勝幸さんが少数民族の人々と共に、ご遺骨の所在地を調査して頂きました。その結果、二千柱を超えるご遺骨の所在地が確認されています。
 
これらの情報を元に、本年度は先の法律に基づくご遺骨帰還を目的とする特殊法人(一般社団法人日本戦没者遺骨収集推進協会)を通じて、二千万円を超える予算が拠出されることが内定しています。
 
この予算から、現地の少数民族の各グループに調査費や現地での諸経費が出せることになりました。これによって、私たちのこれまでの国内での募金活動は終息する事に致しました。
 
先の会議の席上では、JYMAの赤木理事長さんと崎津さんから、「四十年近く途絶えていたミャンマーからのご遺骨帰環の堅い扉が、皆さんのお陰で劇的に開いたのです」
 
「この功績はいくら評価してもしすぎる事はありません」
「長年英霊の帰還に務めてきた我々にとって、皆さんの功績は絶大なものです」などの感謝と御礼の言葉を頂きました。
 
信仰生活での精進に通じる民間からの「自助の精神」
 
既に終戦から七十二年が過ぎ、ご遺族の方々の多くは高齢を迎えられ、或いはお亡くなりになりました。先の法律の制定は遅きに失した感もあります。
 
そして、本来は国家の責任として行われるべきこの世界各地に捨て置かれた英霊のご遺骨の帰国が、ようやくミャンマーでは本格的に再開されたのです。皆さんの多大なご支援が国を動かして、今日の状況を生み出したのです。いくら感謝しても足りない思いです。
 
このように民間からの動きが国を動かす事はそれほど多くはないと思いますが、これからの私達の生き方を考えるとき、いつも国に何かを期待するだけではなく、自ら行動し、出来ることから始める「自助の精神」がいかに大切かを改めて学んだこの四年半でした。
 
信仰生活の中でも、御本尊皇円大菩薩様に一方的にお願いするだけではなく、時には自らの努力をしっかりと続ける中で自分で道を切り開くべく、たゆまぬ精進を重ねることも決して欠かせない大切な要素であることを、今回のミャンマーからのご遺骨帰國運動の中で経験させて頂きました。
 
ご遺骨収容活動での体験談
 
会議の後、赤木さん、崎津さんを交えての懇親会の中で、これまでの世界各地の戦跡での英霊にまつわる体験談をいくつか伺いました。赤木さんの体験は、まだご遺骨収容に携わって間もない頃の話でした。
 
ご遺骨収容の活動から帰った後、東京都内で夜間に車を運転していた時、前方に毛布が一枚落ちていたのが見えたそうです。それまでは小さなものが路上にあっても敢えて避ける事はなく、そのままその上を通り過ぎていたのだそうです。
 
その時も、車の通交も多い中で敢えて迂回する事なくその上を通り過ぎようとしたその時、何と車のフロントガラスに旧陸軍の軍人さんの姿が映り、「止まれ!止まれ…このまま進むな!!」と言わんばかりの動作が飛び込んできたそうです。
 
その姿は、後で詳しい方に聞いたところでは、まさに旧陸軍の将校の軍服だったそうです。その軍人さんは厳しい眼差しだったそうです。思わずその指示に従って、目の前の毛布を避けて傍に停車したところ、何とその毛布の下からホームレスの人が出てきたとのことでした。もしその時、英霊の姿の旧軍人さんが止めてくれなければ自分は人を轢き殺していたに違いない、としみじみと話されました。
 
一方、崎津さんはお寺の住職の務めを果たしながら、このご遺骨収容の活動を、現地に何度も出向いて実践されています。ある時ガダルカナル島でご遺骨を日本にお連れする為に、そのままでは体積が大き過ぎるので、何百体ものご遺骨を焼骨していた時のことでした。量が多くて焼骨が終わるまでに一昼夜もかかったそうです。
 
その夜中に、「バンザイ!バンザイ!バンザイ!」という声がジャングルの中からはっきりと聞こえ、その直後、一人の将兵がそのジャングルから走り込んできて、目の前の燃え盛る炎の中に飛び込んだのを仲間と共に目撃したのだそうです。
 
後でこの戦場での戦友だった先輩が、「まだ収容されていない兵隊さんが、自分も連れて帰ってくれ!と思わず焼骨の炎に飛び込んで来られたのだろう」としみじみと話されたそうです。
 
また崎津さんは、数年前にお寺を改築する時、このままでは支払いに支障をきたすかもしれないと心配していたが、どこからともなく助ける人が出てきて無事に支払いができました。これは私の徳ではなく、英霊の皆さんが助けてくださったに違いありませんと、しみじみと話されました。
 
このように、英霊の皆さんに助けられたに違いないという貴重な話をいくつもうかがいました。
 
多事多端の中にも関わらず、粛々と進んだ多宝塔建立の功徳
 
そう言えば、私も五年前に仲間の皆さんと共にこの運動を始めた頃は、蓮華院では多宝塔を建立する為に建築会社と契約を済ませた頃でした。そんな中でご遺骨帰國運動に浄財の募金を始めたばかりでしたから、皆さんには多宝塔への奉納受付はしないで建立を進めようと考えていました。
 
ところが「功徳を積みたい」と思っておられる信者の皆さん方の中から「それではあまりにつれない」と言われる声が多く聞かれ、皆さんもご存知の通り、多宝塔の部材奉納をお受けする事に致しました。
 
お陰様で多宝塔の建立工事は着々とつつがなく進み、工事費用も業者さん達に迷惑を掛けることなく支払いが進んでいます。誠に有り難く、御本尊様の御加護を実感すると共に、今回はご遺骨帰國運動の目には見えない功徳も頂いたお陰で、この様にスムーズな仕事が出来た事を実感していました。
 
もう一つ花ひらいた慈悲行実践の功徳力
 
そんな中にもう一つ、嬉しい事がありました。それはご遺骨帰國運動を始めたのと同じ頃、ミャンマーとのご縁が深まるのと同時に、日本財団とのご縁が始まりました。その結果、ミャンマーでの学校建設を日本財団と協働で行う事になったのです。
 
この活動が加わった事もあり、「公益財団法人全国青少年教化協議会」から、アルティック(認定NPO法人れんげ国際ボランティア会=ARTIC)が正力松太郎賞を受賞する事になりました。幾重にも有り難い事です。授賞式は六月大祭の少し前に開催されます。大祭の時には、その賞状をお披露目できるはずです。
 
この快挙は、先のミャンマーからのご遺骨帰國運動のお陰で頂いた功徳であると同時に、全国の信者の皆さんが、長年奉仕行の一環として「一食布施」や「慈悲行」をたゆまず実践して頂いたお陰でもあります。改めて、皆さんの長年の奉仕の心に篤く篤く御礼申し上げます。合掌




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