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大日乃光






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2017年07月20日大日乃光第2181号
信仰生活を充実させる「聞慧」「思慧」「修慧」の実践

多くの要素を内包する真言宗
 
一般的に、世界の宗教の中で佛教は「智慧の宗教」と言われていますが、これは当たらずとも遠からずと思います。
 
佛教を含む世界三大宗教を色んな言い方で表す事が出来ます。キリスト教は「愛の宗教」と言われています。それに対してイスラム教は「意思の宗教」であると言われ、そして佛教は「智慧の宗教」と言われています。そう聞けば「なぜキリスト教が愛の宗教だよ?全然違うよ」という意見もありますが、凡そそう言えると思います。
 
そして日本の佛教は多様性に富んでいるので、その性格を大きく分けて、「愛の宗教」と言えるのは「他力本願」の浄土宗・浄土真宗で、それに対して「意思の宗教」と言えるのが日蓮宗。そして「智慧の宗教」にあたるのは禅宗であると。これは私の学生時代の恩師がそのように仰っておられました。
 
それでは真言宗はどうなのかと言えば、智慧と愛と意思の全てを合わせた総合佛教であると言えるのかもしれません。
 
佛教の説く人生を切り開く三つの智慧
 
佛教にはたくさんの経典があって、それぞれが色んな生き方を示しています。
人々が佛様の慈悲(愛)の花を咲かせたい、智慧を開きたいとそう願う時に、そのために必要な段階として、様々な教えが説かれています。その中に「三慧」(「聞慧」「思慧」「修慧」)というものがあります。
 
「三慧」とは三つの智慧の事で、これは人が意識を高めたり、自分や人生を深めたり、色んな真実を理解して智慧を開いて行くために必要な三つの段階があるというわけです。
最初の「聞慧」は全身を耳にして聞く事です。虚心坦懐に佛教の教えをそのまま受け入れる。自分の意見を挟まずに、全てのものを受け入れて聞く、謙虚に聞き学ぶ姿勢の事です。
 
「呼吸」といえば、多くの人はまず息を吸ってから吐くものと思っていますが、佛教的な考え方では吐いてから吸うものとして捉えています。
まず自分の中にあるこだわりを全部吐き出して、自分を虚しくする。そこで初めて謙虚に物事を吸い込んでいくという考え方です。
 
こうして徹底的に謙虚に受け入れた上で、初めて自分の考え方を出していく。しかしほとんどの場合は、「自分はこんな風に聞いて、それを自分なりに理解した」という段階までで終わりになります。
 
自らの現実をしっかり見つめた地に足のついた実践を
 
様々な人生の苦難に遭って、その現実をしっかり受け入れていく。そしてそれに対して、なぜ自分にはこんな苦しい状況が次々に起きるのだろうと自分なりに考えてみる。
その上で、例えば「無財の七施」であったり、「反省・感謝・奉仕」であったり、さまざまな生き方を考える。
これが二つ目の「思慧」です。
 
具体的には、自分が今辛くても他の人には明るく接して行こうと努力してみる。そういう風に、ある考え方や思想や教えに基づいて実際に実行に移してみる。これが三つ目の「修慧」です。
 
この「修慧」即ち実践がなければ信仰にはならないし、ましてや生き方にはなっていきません。実際にそれを信じてやってみるということ。そしてそれを繰り返し繰り返し続けていくことが「修慧」には大切です。
 
「三慧」をくり返し実践しながら螺旋状に進化して行こう
 
「月参りするといいですよ」「一回でも多くお参りすると良いですよ」と聞きました。
しかし遠くに住んでいる方にとって、考えてみればこれは大変な事です。交通費もかかるし、なかなか御縁日には都合をつけられない。けれどもせっかく勧めて頂いたので、仰る通りに佛様にお任せして、とにかくやってみようと実行してみる。
 
この自分から実行してみる事がなければ信仰にはならないし、運勢や人生まで転換するまでにはなかなか至らないわけです。いくら素晴らしい教えであっても、ただそれを聞くだけでは何にもなりません。自分がそれをどう活かしていくのか、どのように実行していけるだろうかと、じっくり考えてみる。最後はそれを実際にやってみるしかない。やってみようと。
 
そうしてやっていく中に様々な学びや気づきがあり、そして新たな考え方や生き方が生れてくるし、実行する中でなおいっそう謙虚に自分をなくして、物事を聞くことが出来るようになる。
 
この様に、「聞慧」「思慧」「修慧」の「三慧」をくり返しながら、螺旋階段を上がるように、だんだんと進化して行きたいものです。
 
夫婦の間に「三慧」を取り入れると
 
この「聞・思・修」という考え方を心の中に持って、今自分がどういう状態なのかを時には思い起こしてみましょう。
 
例えば夫婦の間にも色々と考え方に違いがありますが、まずは相手の意見をじっくり聞いてみようと努めてみる(聞慧)。
その中で「自分はこう思うのだけど」と話し合います(思慧)。
家庭での夫婦のやり方が決まったら、それを毎日の生活の中で少しずつ少しずつ良き習慣として実行していきます(修慧)。
その繰り返しによって智慧が開けてきます。
 
智慧というよりも、色んなお恵みが頂けるようになります。自然に周りからさまざまな良いことが起きてきます。この智慧の「慧」を現代語で書けば、「恵」になります。
 
虚心坦懐に物事を受け取り、そして周りの言う事に素直に従い、「どうしたらより良いだろうか?」と自分なりに出来ることを考え工夫して、そして最後に実際にやってみる。
もし相手の反応が悪かったら、やり方が悪かったのではないかともう一回、相手の状況をしっかり受け止めてみる。
これを繰り返し続けていく事によって確かな人生、より豊かな人生を歩んで行けるのです。
 
日々の生活を「三慧」に照らし「三信条」を実践しよう
 
蓮華院の三信条「反省・感謝・奉仕」の中で、「聞慧」に相当するのが「反省」です。
自分を虚しくして、自分が間違ってなかったかどうか確かめる。自分の考え方を教えに照らして、果たして合っていたのかな?と自問自答をくり返す。そういう謙虚な姿勢になる。
 
そしてそういう中で、よくよく考えると自分は色んな意味で恵まれているなーと、有難いなーと感じる事がたくさんある事を必ず見出す事が出来ます。
 
当山の集中内観を実習された人々の、九割以上の方がこの様に感じておられます。この深い感謝の心が芽生えてこなければ、まだ本当の反省も「聞慧」も出来ていないのかもしれません。
 
そして「有難いなー」「嬉しいなー」と思ったら、実際に生活の中で実行してみる。その時に、ただ自分の為だけではなくて、周りの人々や事柄の為に何か少しでも役立つことはないかと考えながら実行すれば、それがそのまま「奉仕」の心にも繋がっていきます。
 
そういった意味で、この「三慧」を通じて「三信条」の信仰生活をより一層深めていって頂きたいと思います。合掌




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