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2017年11月29日大日乃光第2193号
あるべき歴史と伝統を伝えた奥之院大祭の柴燈大護摩祈祷

大相撲と肥後の国熊本の深い縁を繋いできた奥之院大祭
 
皆さん奥之院開創三十九周年の大祭によくお参り下さいました。この奥之院は開創一周年の昭和五十四年に、大相撲の力士として初めて大関貴ノ花関と関脇隆の里関に相撲道場の土俵開きに参加して頂き、そして翌昭和五十五年の大祭で、二代目横綱若乃花関が初めて横綱土俵入りを奉納して頂きました。
 
以来毎年、横綱に土俵入りを奉納して頂いております。今回は日本で生まれ日本で育った横綱としては十九年ぶりとなる、待ちに待った日本出身の横綱、稀勢の里関に土俵入りを奉納して頂きます。
 
肥後の国熊本は昔から相撲との非常に深い縁があります。四百年程前、細川家が京都から吉田司家を招聘しました。吉田司家は八百年前からの相撲の宗家(家元)であり、江戸時代に横綱を創出し、免状を授けて土俵入りの作法を伝えてきました。つまり人が神様になるための作法を伝授してきたのです。しかし残念な事に、稀勢の里関の最初の師匠に当たる横綱隆の里関(後の鳴戸親方)を最後としてこの貴重な伝統は途絶えました。
 
当山としては大相撲との縁の深いこの肥後の国で、九州場所前に新横綱に土俵入りを奉納して頂きたいという思いを強く抱きながら四十年近く、この奉納土俵入りを続けてまいりました。
 
こうして今年は稀勢の里関に新横綱としてお参り頂きました。日本出身横綱としては十九年ぶりでありますが、稀勢の里関がお寺にお参り頂くのは何と六回目になります。太刀持ちや露払いを務めながら、いつか自分も横綱として土俵入りしようと思い続けて、やっと夢を叶えられました。
 
そして今回、初めて横綱に太刀をお授け致しました。ここ玉名の地には、昔から刀を造る伝統がありました。本院の南大門に収まる四天王の増長天が大きな刀を持っています。これは肥後の同田貫の伝統を受け継ぐ刀匠、松永源六郎清継師に鍛刀して頂きました。
 
そういう経緯もあり、新横綱誕生に対する肥後の国の喜びをぜひ太刀に託して稀勢の里関に土俵入りをして頂きたいという気持ちで今日を迎えたわけです。この同田貫は剛刀として大変由緒ある刀であり、稀勢の里関に強い横綱として益々活躍して頂けるようにと願いを込めました。今回蓮華院で稀勢の里関に授けた太刀は、今後代々の横綱に九州場所での土俵入りの際に帯刀して頂くことになります。
 
日本古来の信仰を取り戻す柴燈大護摩祈祷
 
さて皆さん、約一時間に亘る熱い祈りのひと時でした。今回、柴燈大護摩祈祷に初めて参列された方がおられるかもしれませんが、柴燈大護摩祈祷とはどういう祈祷なのか、その歴史的背景を含めて少しご説明致します。
 
あちらに小岱山の観音岳があります。有明海を挟む南西側には雲仙普賢岳があります。そして熊本市と玉名市の境には金峰山(きんぽうざん)があります。観音岳も普賢岳も日本に伝来した佛様の名前が山の名前として冠されているわけです。
 
桜で有名な奈良の吉野山に金峯山(きんぷせん)があります。ここが修験道(山岳佛教)の中心となり、日本各地に金峯山の名が広まりました。この金峰山は元々は観音菩薩の浄土の事です。
他にも日本各地を探せば、何十何百の山や峰に佛教的な名前が付いています。古来から日本人は、山を先祖がおられる聖なる場所、そして来世に繋がる場所とも考えてきました。
 
昔から「山に入って修行する」という言い方があるように、日本人は佛教伝来以前から山に親しみを持ち、恐れをも持ち、その中で自分の魂を清め、修行するという精神文化があったのです。
 
そこに真言密教とともに護摩祈祷の作法が入りました。壇の上にこのように木(丸太)を組んでありますが、この木は人間の持つ様々な煩悩を象徴します。その煩悩を佛様の智慧の火によって焼き尽くすという具体的な形をとった修行なのです。それが日本古来の山岳信仰と交わって発展し、このように野外で大掛かりに護摩を焚くという作法が確立したわけです。
 
ところが明治以降、神佛分離令が国策で行われました。佛教と神道はそれまで夫婦のように仲良く助け合って来たのが、国家の政策によって強制離婚させられたのです。歴代百二十五代の皇統の中で、四十人近い天皇陛下が僧侶になっておられます。聖徳太子を初めとして、皇室は代々熱心な佛教信者でもあられたのです。おそらく今上陛下も佛教に対し深く敬虔なお気持ちをお持ちのはずです。
 
鎌倉時代にこの小岱山の山頂に正法寺を創建された月輪大師俊 律師は、京都東山の泉涌寺を中興されました。「御寺(みてら)泉涌寺」は皇室の菩提寺として現在も多くの天皇のお位牌が祀られています。
 
この柴燈大護摩祈祷を通じて、神道と佛教が昔から協力しあって来たこの日本の国の成り立ちに思いを馳せて頂きたいと思います。また柴燈大護摩祈祷には大きくは天下泰平、世界平和、人類の調和という大きな願いも込められています。そして願いごとの一つは必ず叶えて頂ける一願成就の、非常にお力のある皇円大菩薩様を御本尊として、真剣にお参り頂いたと思います。私達が心を一つにして一心に祈れば自分自身の煩悩が消滅し、それと同時に皆さん達の願い事が叶うと確信しています。
 
皆様は皇円大菩薩様への真剣な祈りを今経験されました。この真剣な祈りは人々の心を清め、心を平穏にします。その事が、ひいては必然的に願いを叶え、調和と発展が厳然と実現していきます。こうして願いを叶えた信者の方々が全国津々浦々にたくさんおられるからこそ、この奥之院がやがて四十年を迎え、本院に五重塔や南大門が次々と建立されたのです。
 
日本人の誇りを取り戻す十一月三日を「文武の日」に
 

本日十一月三日は文化の日となっていますが、これは戦後の名称です。戦前は「明治節」と言いました。明治節とは明治天皇の誕生日の事です。明治天皇はどういうお方であられたのか。明治天皇のお働きや日本人の大きな努力が過去にどういう役割を果たしてきたのか。
 
先ほどの「子供の詩コンクール」詩碑除幕式でお父さん・お母さんを大事にする子供たちが育ちますようにとお話ししました。父母を大事にする事は祖父母を大事にすることに繋がります。その気持ちをそのまま延長すれば、日本の過去の歴史に対しても前向きで肯定的に、感謝の気持ちで受け取ることに繋がります。
 
もし明治維新が成就せず、幕末の混乱が続いていたら、現在の世界はどうなっているでしょうか?もっと分かりやすく言えば、日本という国がなかったら、今頃世界はどういう現状か、ちょっと想像してみて下さい。
 
有色人種の国々は、コロンブスのアメリカ大陸発見以来五百年間、ずっと植民地にされ続けていたのです。そこに日本人が唯一立ち向かい、阻止したのです。
 
その頃は武力が欠かせない時代でした。「武」という字は戈(鉾の一種)を止めると書きます。相手にこれ以上攻撃させないために持つのが武力という事です。この事を今の日本人はほとんど忘れています。
 
そういう意味で、明治節は「文武の日」とすべきで、日本人のかつての勢いや心構え、そういったものを思い起こす日にしなければいけないと密かに思っているところです。明治維新が成就せず、日露戦争で日本が負けていたら、世界中は未だに人種差別政策が続いていただろうとある尊敬する学者が言われました。まさにその通りでしょう。
 
来年は、明治維新から百五十年に当たります。そういう時に日本民族が世界の歴史に果たして来た役割を謙虚に、そして深い感謝の気持ちを持って受け止めましょう。そのことがひいては先祖を大事にし、家庭の中でお父さん・お母さんを大事にし、夫婦が仲良くしていく事に繋がる。そういう良き家庭環境が地域社会に広がっていくと確信致します。
 
個人の幸せは社会の安定なくしてはあり得ません。社会が安定するための様々な政策を立案し、その実現に向けて努力して頂いている政治家を、日本人は最近あまりにも軽んじているのではないでしょうか?自分たちが選んだ代表の方々にしっかりがんばって頂くには、日ごろ頑張って頂いている成果に感謝しありがたいと思うことも、歴史と文化、そして神佛を大事にすることと並行して大事な事だと思います。合掌




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