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2017年12月19日大日乃光第2195号
そのぜん(そのまま前進)で生きる森田療法と内観療法

「とらわれ」からの解放
 
「悩みは仕事よりも多くの人を忙殺する。なぜなら、多くの人達が、仕事よりも悩みと格闘しているからだ」これは、十九世紀のアメリカの思想家エルバート・ハバードの言葉です。今回は悩みを解決するための心理療法をご紹介させて頂きます。
 
森田療法とは森田正馬博士(一八七四~一九三八)自身の神経症治療と仏教の影響から生まれた日本発の神経症に対する心理療法です。森田博士は死の恐怖を解決する為に森田療法を創始しました。
 
森田博士は、神経質性格を基盤にして「とらわれ」という特有の心理的メカニズムが働き発症すると考えたのです。
 
森田療法では、症状へのとらわれから脱して、「あるがまま」の心の姿勢を獲得できるように援助します。「あるがまま」とは、不安や症状を排除しようとするはからいをやめ、そのままにしておく態度を養うことです。
 
不安を抱えながらも「あるがまま」という心を育てることによって、生活の中で必要なこと、出来ることから行動し、建設的に生きることを教え、実践させる治療方法で、神経症(不安障害)をのりこえていくことが主眼です。
 
「とらわれ」が病気の原因なので、症状を取り除くのではなく、「受け入れていく」例えば、うつ気分を受け入れる。とらわれず、あるがままを重視する。あれこれ邪推しないで、あるがままに受け入れることが大事なのです。
 
「いろいろと悩みや問題があるけれど、それはそのままにして、とりあえず、自分が今日出来る事を行い前進する」これを続けていると、いつのまにか、悩みや問題にこだわらなくなり、病気が治ってしまう。これを「そのぜん」(そのまま前進)と言う。現在お悩みの方や、問題を抱えている人も多いと思いますが、これが一番簡単で有効なお悩みの解決方法です。
 
これを実践し、ある業界の大手の会社の社長にまでなられた方が実際におられて、森田療法学会で発表されていました。森田療法を実践した多くの方々は、約十年~三十年経った頃に、悩みや問題に囚われなくなっていた事に気付いたと述べておられました。
 
この森田療法と親戚関係にあるような心理療法が「内観療法」で、世界中に広がっています。先日もヨーロッパからの若い女性が一週間内観をされました。この方は心理療法士でしたが、母へのトラウマとご主人との不仲を抱えていました。その感想文をご紹介致します。
 
トラウマの劇的な解消、奇跡が起こったよう
 
母に関しては、物心ついてから常にとても難しい関係でした。私は母に愛されていると感じた事は一度もありませんでした。私は彼女に使われているように感じていました。母のさせたいことの対象として扱われたり、無視されたりしました。
 
私が少しでも母のルールや指示に反抗する様子を示すと、母は私をコントロールし、罰しようとした、そういう思いしかありません。それらは、私が悪いという強い感情を私に残しました。それどころか、私はいい子のふりをして生き、母に決して大きなトラブルを与えないようにしてきました。これが、私の苦く、腹の立つ、虐待されたという大まかな思い出です。
 
第一回目の母に対する内観では、大きな変化はありませんでした。私は、このひどい人生で囚人のように強いられて生きてきたことを実感しました。ですから、望まない状況に押し込めた母に対して感謝する理由は何もありません。
 
母に対する二回目の内観の時、母が私の健康について非常に心配していたことに気付きました。私は幼い頃は非常にスリムで、私の病気を治すためによくお医者さんのところへ連れて行ってくれました。
 
母に対する三回目の内観で私は人生最大の大発見をしました。そして、私の心の中は全てが大きく変わりました。それはまるですべてのコンピューターソフトを入れ替えて、コンピューターを再び起動し始めるようなものでした。
 
それは四才の時の出来事でした。私は猩紅熱(しょうこうねつ)という非常に重い病気にかかり、緊急入院せねばなりませんでした。母に会えず一週間以上一人ぼっちで、一ヶ月くらい入院していました。この出来事は私に大きなトラウマとなって残りました。そして大きく私の人生を変えました。
 
この出来事の前は、私はとても明るく快活で幸福でおしゃべり好きな子供でした。しかし、この後、私は引っ込み思案で恥ずかしがり屋で悲観的で、自分も人も信じない、むっつりとして、自尊心の低い子供になりました。怒りと怨みをため込み、心の中で彼女を責めていました。
 
今日まで、私は意識的にも無意識的にも、母を責め続けていた人生でした。もし、母が私を本当に愛してくれていたら、あのようなひどい病気の状態で、私を独りぼっちで放って置くようなことはしないはずだと思い続けてきました。
 
しかし、私は今、私の健康にたいしての母の強い心配と大きな苦しみを初めて深く認識できました。最も重要な事は、猩紅熱の時、母には入院以外の他の選択肢はなかったという事です。医療法律上も彼女がコントロールできる他の可能性は全くなかったのです。強制入院に関して母は無力でした。
 
そして、内観五日目の朝、私は突然そのことに気付いたのです。「それは母のせいではなかったんだ!」と。
 
そして、このことは、大きな重荷から私を解き放ってくれました。ある種の感情的な囚われ、愛されていないという囚われから解放されました。そして、否定的な間違った思い込みはドミノゲームのように壊れて無くなりました。
 
私は真実を観ることができました。「母は本当に私を愛してくれていた!」この事は私の全ての考えをリフレッシュし、特に魂を清めてくれました。まさに悪夢から脱出するようなものでした。
 
夫への内観
 
結婚当初の頃、いくつかの浮気がありました。私は忘れられませんし、正直に言って許せません。夫は私をだましていました。結婚を続ける事にしましたが、怒りを引きずったままでした。
 
夫に対する第一回目の内観では、私は怒りで一杯になりました。多くの妥協をしましたが、夫は私が望んだ程私に感謝してくれませんでした。
 
夫への二回目の内観では、私の間違いや、夫を怒らせる事に関して気付きました。私はどんな小さなミスでも夫を批判し、私の好まない事で夫をよく非難していた事がわかりました。
 
私はとても権威主義的な母親みたいに、夫を管理としつけが必要な子供のように扱っていました。私は常に自己中心主義で傲慢で、私だけが正しい事とその方法と上手な生き方を知っており、夫はただ私に従えばいいと思っていたのです。
 
夫への三回目の内観では、ちょうど私が夫の靴を履くような感じに、彼の側からの完全な思いに気づく事ができました。私の好む理想の夫になるように、夫に非常なプレッシャーを与えていました。そして、まるで監督のように振舞っていたのです。
 
私の望む理想的な夫婦像と脚本に基づいて、夫の役割や細かい行動まで強制していました。夫の想いや好みにはあまり気を留めませんでした。私は夫を教育することによって、そこから幸福が生じると考えていたのです。私はこれらの誤った考えに気付き、手放すことにしました。
 
というのは、夫に対する三度目の内観で、夫が私を本当に愛してくれた事、そして今も愛してくれている事、多くの方法で私を喜ばそうとしてくれた事、私を幸せにしようと努力してくれた事などの事実に気づく事ができたからです。
 
私が犠牲者ではなく、私も問題の一部だったということに気付きました。ですから、これからは夫の努力に感謝し、夫の愛に気付き、夫に強制せず、夫の望む様にしたいと思います。夫が幸福ならば、それは私をもっと幸せにするからです。これに気づくまでの、なんと長い道のりだったことでしょうか……。
 
信じられない位の自分自身の心のお洗濯とリフレッシュでした。幼い頃の入院によって、私は愛されていないという誤った思い込みから、苦しみの大きな樹を育ててしまいました。内観で起こった事は、その苦しみの樹を根本から切り倒すようなものでした。今はもう跡形もありません。
 
私にとって内観はまさに奇跡でした。今、生きる喜びを感じ、私の人生を変えたこの驚くべき体験にとても感謝しています。合掌




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