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大日乃光






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2018年01月19日大日乃光第2197号
信仰と国家の節目の年を迎え、改めて信者の無魔平穏を祈る

新年明けましておめでとうございます。
今年初めて全国から本院にはるばるお参りの信者の皆さん、ようこそ皇円大菩薩様のお膝元にお参りでした。
 
明治維新の意義を百五十周年の節目に問い直す
 
さて、今年は明治維新から百五十年の節目の年に当たります。国内各地で様々な催しや明治維新の意義などの意見が交わされる事でしょう。
 
そこで「もし明治維新が無かったとすれば日本はどうなっていたでしょうか?そして、世界はどうなっていたでしょうか?」この事を想像してみて下さい。そうすると明治維新の国家的・世界史的な意味と意義が見えて来るのではないかと思います。
 
百五十年前の日本は徳川幕府が国内を全体的に支配し、各地の藩ではそれぞれ独自の統治が行われていました。いわば各藩の連合体を幕府が支配する間接統治が日本の政治体制でした。当時はそれなりに地方自治が行き渡り、個性の輝く多様性のある地域社会の連合体の様な国柄でした。二百六十年間の江戸時代は、現代以上に日本各地が個性的で様々な地方の特産品で溢れていました。もし海外からの圧力が無ければ、それなりに充実した個性的な国柄が続いた事でしょう。
 
しかし、そのような一国平和主義はヨーロッパやロシアなどの圧力の前には通用せず、隣の清国(現在の中国)はアヘン戦争でイギリスに敗れ半植民地のような状態になり、その他のアジアの国々も殆どが植民地に成り下がり、民族の誇りや国家の威信は地に落ちていました。
 
アジアで最も東にあった我が国もいよいよヨーロッパの国々に飲み込まれそうな勢いの中で、下級武士を中心とした維新の志士達が立ち上がり、国家存亡の危機の中で天皇を中心とする中央集権を樹立する事によってこの危機を乗り越えました。
 
維新なき世界を展望すると…
 
ここまでも、それ以降の我が国の歩みも、私達はそのほとんどを知っています。しかし、この明治維新の世界史的な意義を好意的に理解している人はそれほど多くはありません。ともすれば「日本はアジアの各地を侵略した」とか「日本はアジアの国々を植民地支配した」と考えている人が意外に多くおられます。
 
尊敬するある歴史学者から、「歴史というものは現在の価値観や視点で過去を裁いたり判断するのではなく、当時の視点に立って、その時代の人々がどの様に判断し、生きて来たのかを考えるものだ」と言われたことがあります。至極もっともな考え方だと思います。
 
先の日本に対する否定的な受け取り方は、もっぱら戦後に出来た考え方に過ぎないと思われます。百五十年前の当時はヨーロッパの国々が世界中を植民地支配していた時代で、そのほとんどが武力によるものでした。それに対抗し国を護る為には何と言っても武力が欠かせなかったのは紛れもない事実です。そんな中で「富国強兵」「殖産興業」の大号令の元で、明治新政府が国内を一元的に統治する中央集権体制に移行したのがまさに明治維新だったのです。
 
ですからもし明治維新が無かったとしたら、おそらく日本はイギリスかフランスの植民地になっているでしょう。今使っているこの日本語も、天皇制もとっくになくなっているでしょう。さらに言えば、ヨーロッパ以外の世界中が白人の支配する植民地で覆われていることでしょう。二年後に迫る東京オリンピックも東京ではなく、どこかヨーロッパの国で開催され、参加国は三十から四十ヶ国で、小じんまりとしたものになっていることでしょう。
 
例えばインドネシアの独立宣言書の日付は「05年8月17日」になっています。この「05年」は西暦ではなく、皇紀二六〇五年の意味なのです。独立宣言書に日本の皇紀を書いたのは、何と言っても日本のお陰で独立できた事を、当時のスカルノ大統領が存分に自覚していたからです。
 
もしあの時代に日本が欧米を相手に立ち上がらなければ、世界中は人種隔離政策(アパルトヘイト)で覆われ、現在でも人種差別は無くなっていないと思われます。そして人類の文化や芸術も、今よりもっと単調なものになっている事でしょう。もっと言えば、旧満州や朝鮮半島、更には中国の北半分はロシア領に、南半分はイギリス領かフランス領になっている事が充分に想像できます。このように、人類史上で特筆すべき日本の働きは、まさに明治維新によって始まったと言っても過言ではないのです。
 
暗闇ばかりを教えられた不幸な歴史教育の原因とは?
 
私達日本人の美徳の一つとして、亡くなった父母や祖父母の悪口をほとんど言いません。親しい友人や先輩達に対しても同じです。それなのに、私達の父祖の物語とも言える明治以降の歴史を肯定的ではなく否定的に見るのはなぜでしょう?
 
それはウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム、略してWGIPと言われるGHQの占領政策に大きな原因があると言われています。(パソコンかスマホで「WGIP」を検索してみて下さい。すぐに知ることが出来ます)
 
一般的に先祖の悪口を言い募る人は周りから尊敬されないどころか感心しない人物と見なされるのに対し、父祖の歴史を否定する人達が溢れている現代の日本社会は、本来の日本的な価値観からすればどこか歪な状態と言えるのではないでしょうか?
 
どんな人の人生にも、光があれば闇があります。それと同じように、私達日本人の歴史にも光がある反面闇もあります。だからと言って闇だけに目を向けて、子や孫達の世代にその闇だけを教え伝えるのは決して健全ではありません。
 
先祖の物語とも言える歴史で、そんな暗黒の面ばかりを多く教えられて来た私達戦後世代の人びとは、何と不幸な事でしょう。こんな歴史教育を、子や孫の世代に引き継ぐべきではありません。
 
おそらく他の国々は、我が国の歴史ほど素晴らしい光の物語に乏しいかもしれません。そしてもっと暗い歴史を持っている国々が多いのです。それでも歴史教育の中では努めて光の部分を教えているはずです。それは、健全な子供達を育てる為には民族の誇りや国家の栄光を教えなければ、次の世代がおかしくなる事を常識的に知っているからです。
 
このことは私達の家庭内における躾や教育にもそのまま当てはまります。「あなた達の先祖が真面目に努力して頂いたお陰で、こうした豊かで穏やかな生活が送れるのですよ」
「自分達の先祖に偉大な人がそれ程いなくとも、古く長い歴史を辿れば必ず素晴らしい先祖に繋がり、ひいては天皇家ともどこかで繋がっているのですよ」
「私達の先祖は神様や佛様を大切にして心を磨き、周りの人々と助け合って、豊かな村や社会を創ってきたのですよ」と、時には教えて頂きたいものです。
 
八百五十年の節目に当たり信仰体験を語り継ごう
 
そして本年は、何と言っても御本尊皇円大菩薩様が末世衆生を救うためにその身を龍神に変え、七百六十年もの苦難の修行を始められてからちょうど八百五十年目の記念すべき年です。
 
長年信仰を続けてこられた方は、子や孫達にこれまでのご自身の信仰生活の一端や、数々のお加護を頂かれたその体験をぜひ伝えてあげて下さい。その事が自らの信仰を次の世代に繋ぐ大切な事柄となるに違いありません。
 
来たる五月十二日・十三日の八百五十年大祭に、いかに多くの信者の皆さんが集まられるかが、皇円大菩薩様の更なる救済の御霊力が高まり、行き渡るための大切な要素の一つである事を確信しています。その時に向けて、全国の信者の皆さんが平穏で幸福な一年になりますようにと、更に真剣な祈りの日々に精進する事をここにお約束しつつ、新年の法話と致します。合掌




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