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第31集 福岡ZS
皇円大菩薩様に守護された 妻の乳癌治療  

妻からの告白

 それは突然の事でした。昨年五月下旬の事です。妻から、「右胸に小さいが、はっきりと手に触るシコリが一つある」と告げられ、私は即座に、「一度、医者に診てもらった方がいいよ。早い方がいいのでは…」と答えました。

 妻も何か感じる事があったものとみえて、翌日、すぐに掛かりつけの病院で診察して頂いたところ、先生も《乳癌》ではないかと言われ、「良く自分で見つけられましたね」と、驚いた様子だったそうです。そして紹介状を書くから、すぐに北九州市立医療センターの専門医のところで詳しく診察してもらうように勧められました。

 ところで、そもそも妻が異変に気づいたのは、右乳房にちょっとした窪みが見つかり、そこを自分で触診したところ、小さい《ビー玉》ぐらいの固いシコリが見つかったのがきっかけでした。掛かりつけの先生が紹介して下さった北九州市立医療センターの専門医の診察日を確認した上で、妻は紹介状を持参してすぐに医療センターへ向かいました。


乳癌の宣告

 北九州市立医療センターの専門の先生は、触診ですぐに《乳癌》である事を妻に告げられました。乳癌の大きさは、直径が一,五センチ程度でした。人にもよりますが、癌は一センチになるまで、約十年掛かるそうです。

 しかし妻は先生の診断に納得せず、癌ではなく脂肪の固まりのような物ではないのかと、しつこく問いただしました。しかし診断は変わりませんでした。妻は、「状態は末期ですか」と尋ねましたが、先生は正確には検査結果を見てみないと分かりませんが、「触診で診る限り《末期癌》ではないようです」と言われました。

 先生に勧められるままに、乳癌診断の基本検査であるマンモグラフィーを撮るように勧められましたが、患者数が多く、撮影日程が混んでいるため、今のところ検査は二ケ月以上先でなければ受けられないと告げられたそうです。

 ところが先生が撮影担当の放射線技師に再度問い合わせてみられたところ、「明後日の午後三時に一件だけキャンセル〔空き〕が出ましたのでどうされますか?」と言われたそうです。妻はその場ですぐに検査依頼をお願いしました。この時の事を後になってよくよく考えてみますと、これは、とても大きな幸運の先がけであったと思わざるを得ません。


最新機器での精密検査

 ここから、妻の一年余にわたる《乳癌》との戦いが始まったのです。マンモグラフィー、CTスキャン、超音波エコー、MRI、骨シンチなど、二週間にわたる諸検査で全身を隈なく精密に検査されました。

 その結果、既に首の近くと右脇下の二箇所のリンパ節に《癌》が転移している事が判明しました。ところが幸いな事に、他の臓器や骨、脳などへの転移は認められず、専門医も《末期》の状況ではない事を妻に告げられました。ひとまずホッとすると同時に、これはとても幸運な事である事を実感して、ご本尊皇円大菩薩様に感謝しました。

 また、首のリンパ節への転移については、掛かりつけの先生によるエコー診断ではほとんど見落とされてしまうほどの小さな初期のものでしたが、これもきっちりと見落とす事なく正確に診断して頂き、それを聞かれた掛かりつけの先生も、専門医の診断技術のレベルの高さには舌を巻いておられました。

 各種検査による診断の結果、治療方針として、まず抗癌剤治療で癌病巣を叩き、その結果を見て、その後の治療をどのようにするのか、決める事となりました。そして、一年前の六月初めから十月下旬までの丸五ヶ月間に亘る、三週間に一度の抗癌剤治療が始まったのです。

強い副作用の抗癌剤治療

 第一回目の五回の抗癌剤治療は、使用する薬の副作用が大変強く、抗癌剤の点滴投与後、一週間は嘔吐や食欲不振、倦怠感などで全く食事を受け付けない日々が続きました。また、抗癌剤特有の鬱症状も酷く、いつも明るかった妻が、表情も暗く沈み、まるで別人であるかのように思えるほど落ち込んでいました。

 副作用が強いため、このままいけば抗癌剤治療は最後までできないのではないかと思われました。しかし結局、最後の五回目の抗癌剤治療は、治療直前に嘔吐が激しくなり、処置室で点滴投与直前に治療中止となって、出来ず仕舞いに終わった程でした。また、この頃になると髪の毛が全て抜け落ち、カツラを着用しなければならなくなりました。

 次に、第二回目の五回の抗癌剤治療が始まりましたが、薬の内容が変わったため、第一回目ほど強い副作用はなく、なんとか五回とも治療が完了しました。都合九回に及ぶ抗癌剤治療が終わり、検査を受けた結果、強い副作用も受けましたが、幸いにも抗癌剤が良く効いて、《乳癌》は数ミリ程度まで小さくなっており、首や右わき下のリンパ節への転移も殆ど消えていました。


四時間に及んだ摘出手術と放射線療法

 こうしてようやく手術ができる状態となり、手術の前日の昨年十一月二十五日、執刀医から症状と手術方法についての説明がありました。妻の《乳癌》は悪性で進行性の癌であり、第三期〔ステージⅢ〕の初期段階であった事を告げられました。

 つまり、病巣は大きくはなかったものの、病状はかなり進んでいたという事になります。推測ですが、発見があと数ヶ月遅れていたら他の臓器への転移も十分考えられます。その場合は恐らく手術が出来ないままに終わり、生存も危ぶまれるような事態に陥った可能性も充分にあったのです。ここでもご本尊皇円大菩薩様の御加護に深く感謝を申し上げました。

 翌十一月二十六日、妻は四時間にわたる乳癌摘出手術を受けました。手術は無事成功し、入院三週間後に退院出来ました。その後、今年二月中旬から、癌再発防止のための二十五回の放射線治療を経て、ようやく一連の治療が完了したのです。


皇円大菩薩様に見守られた治療

 この間、お陰を頂いた事は数知れず、今もずっと全快護摩祈願と先祖供養を欠かさずお願いしているところであります。今になって、振り返ってみて感じた事を思うままに挙げ列ねてみます。まず、何といっても妻の命を何とか助けようとして下さるご本尊皇円大菩薩様に背中を強く押されるように、治療を先へ先へと急がせるような不思議な事実でありました。

 後から振り返れば、まさに綱渡りのような神ワザ(仏ワザ)で、抗癌剤治療に漕ぎつかせて頂いたという事に気付かされます。何をおいても、まずこの事に深く、深く妻と共に感謝致しております。

 確かに、妻は自分の触診で乳癌を見つけましたが、その裏には目に見えない《大いなるもの》のお蔭、お力添えがあったからこそ見つけられたのではないか、いえ、《大いなるもの》が、妻に見つけるよう仕向けたのではないか、とさえ感じています。

 普通なら、異変を感じても病院に行くまでに早くとも二〜三日はかかるところでしょうが、妻の場合、異変に気づいてからすぐ翌日に、掛かりつけの先生に診て頂きました。もし、あと一日診て頂くのが遅れていたなら、その先生は学会の出張で約一週間ほど不在となり、紹介状も書いてもらえず、従って専門の先生に診て頂くのが更に少なくとも一〜二週間遅れた事でしょう。検査の日程も大幅に遅れ、抗癌剤治療に辿り着くまでに少なくとも数ヶ月以上は遅くなっていた可能性もあるのです。まさに間一髪であったという事になります。

 幸いにも、リンパ節から他の臓器や骨への転移がなかった事を考え合わせますと、誠に有り難い事だと思えて来ました。また、再発防止のための最後の放射線治療にしても、妻の場合驚く程皮膚が弱いため、術後の傷の回復が普通の人より著しく遅く、また右腕の運動機能が弱くて腕の上げ下ろしも壗ならない状態でした。そのために放射線の照射部位の特定と照射方法が困難を極めました。

 放射線専門の先生も、妻の場合には全員総がかりで照射治療に当たって頂くなど、なかなか治療のやり方がむつかしく頭をかかえておられました。しかし、結果的に日本で数台しかないという最新型の放射線治療機がたまたま導入される時期に遭遇していまして、あたかも傷口が癒えて治療可能な時期に合わせるかのように新型治療機が導入され、その第一号の患者として放射線治療も難なくスムーズに受けられるようになったのです。本当に恵まれていたの一言では済まされないような出来事が次々に起こったのです。

 現在、お陰様で本人の体調は少しずつ回復の途上にあり、健康も徐々に回復してきています。毎日、仏前に座って、ご本尊皇円大菩薩様に御礼を申し上げている日々です。また、言葉で簡単に言い表せませんが、妻の癌治療をずっと横で見ていて、神仏に見守られている人間の生命の不思議をますます如実に実感するようになりました。誠に誠に有り難い事だったと思う、今日この頃です。


ご本尊様のご霊力と、治る自信と前向きな性格

 余談になりますが、家族の中で初めて《癌患者》が出て、率直に感じた事は、まず《癌》という診断結果が出て最初に落ち込むのは、ほかならぬ患者本人よりも、配偶者の方であったという事でした。何故なら《癌》イコール《死》というイメージがなかなか払拭できないためです。正確な診断結果が出るまでは、どうしても、悪い方、悪い方へと考えてしまい勝ちになるからです。

 私の場合は一時的なショックはありましたが、気持ちを前向きに切り替える事が出来ました。また妻は余命幾ばくもない《末期癌》ではなくて、幸運にも治療可能な状態であった事です。これが、何よりも一番大きな救いとなったように思います。そうであれば、これまで過去に何度も体験させて頂いたように、ご本尊皇円大菩薩様に全快護摩祈願や先祖供養をお願いして、患者ともども家族一同で真剣に回復祈願をすれば必ず治るという揺るぎない確信があったのです。事実、その通りになりました。

 第二に病院に付き添って驚いた事ですが、癌患者とはこんなにも沢山おられるのか、という現実を突きつけられた事です。待合室のロビーにあふれ返る患者、患者…の山。これが全員癌患者と聞いて、またびっくりしました。中には癌患者とは思えないような生き生きとして明るい人もおられました。このような現実を目の前に突きつけられると、気持もだんだんと前向きに変わって行くものです。

 そして第三に、今振り返ってしみじみと思う事は、家族の支えもさる事ながら、妻自身がこのような明るい前向きな性格に育ててくれた両親に、最も感謝していたという事です。そのお陰で鬱状態も克服でき、前向きに積極的に治療に取り組む事ができたと言っています。

 いずれにせよ、人間の生命が、これほどまでに我々を生かしている目に見えない大いなるものの存在に、しっかりと護られているという事を、これほど強く実感した事はありませんでした。誠に貴重な体験であったと、しみじみと感じています。合掌