第10集 |
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六月大祭 |
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昨年の六月大祭にお詣りさせて頂いてから、早いものでもう一年が経とうとしてい ます。昨年、私は自分の能力不足と経験不足から、看護婦という仕事に全く自信が持 てず、苦しんでいました。
外来業務をしておりますと、当然救急車が入ります。勤務先の病院は、重症患者さんが運ばれることは稀にもかかわらず、悲しいかな、私は救急車の音を聞くと手が震えだし、軽症の患者さんを目の前に、自分の方が失神しそうな不安に襲われるのです。救急車が入る度に、白衣を着ていることが恥ずかしくなりました。
それでも当時は、土曜残業とか休日出勤はしていませんでしたので、救急車が入れば他のスタッフが一緒に対応して助けてくれました。しかし、いずれ残業や休日出勤をするようになれば、全て一人で対応しなくてはなりません。それはもう、想像するだけで恐ろしいことでした。
このままではいけないと、気持ちを強く持つよう自分に言い聞かせ、救急車が入れば率先して玄関に迎えに出て、雰囲気に慣れようと努力しましたが、一向に手の震えは消えることがありませんでした。
血圧を計る手が震える、注射をする手が震える・・・何と恐ろしいことでしょう。これでは、助かる人も助けられないではないか・・・。私は苦しみました。
そんな時ふと、そう言えば六月大祭に長いことお詣りしていないことに気付きました。そうだ、六月大祭にお詣りして、皇円大菩薩様に直接お願いしてみようと思いました。
功徳行を受けた時、護摩木と写経用紙には「仕事が出来るようになりますように」と、お願い事を書きました。大護摩法要でも「仕事が出来るようになりますように」と、御本尊様にお願いしました。
そして、その二日後位でしょうか。職場の先輩から「あなたには手術室に入ってもらうことになるかもしれない」と言われました。私は我が耳を疑いました。私は、内科の経験しかありません。私なんかが手術室に入るより、他に適任の人はたくさんいるのにと思いました。
そして6月23日、初めて整形外科の手術に入りました。外科の手術、眼科の手術、どれも私にとって初めて目にするものばかりです。手術室の雰囲気はビーンと張り詰めていて、これまで経験したことのない重い空気に押しつぶされそうな息苦しさを感じました。特に外科の手術は、私を萎縮させました。
手術が始まると頭の中が真っ白になり、先生の求める器機が手渡せず、先生の苛立ちが伝わって来ます。何が何だか分からない内に手術が終わっている状態が続き、私は仕事を辞めたくなりました。
そしてある時、貫主様に御霊示をお願い致しました。すると御霊示では、「仕事を辞めてはいけない。手術のある時は電話しなさい。無事に済む様拝んであげましょう」との有り難いお言葉を頂き、思わず涙がこぼれました。
それでなくても、貫主様は日々ご多忙でいらっしゃるのに、私の仕事の為に拝んで下さるなんて、何ともったいないことでしょう。これ程までして下さる貫主様は、他にはいらっしゃらないと思いました。以来私は、外科の手術の時は貫主様にお願いしてから手術に入るようになりました。
救急車が来ても手が震えることはな<なりました。以前はもたもたしていた仕事も、大分迅速にこなせる様になりました。何と有り難いことでしょう。私が救急車を恐れなくなる為に、皇円大菩薩様は手術室の仕事を経験させて下さったのです。
仕事の出来ない私が手術室に入ることなど、職場の誰もが想像すらしなかったはずですが、皇円大菩薩様は必要とあらば人を動かし、貴重な経験の場を与えて下さるのです。
一昨年の暮れから休日出勤もしています。二回だけですが、外来当直も出来ました。昨年の大祭前とは違う、成長した私がいます。
まだまだ充分とは言えませんが、救急車の音を聞くと「私に任せて」と思う程になりました。恐らく皇円大菩薩様も、大丈夫とお考えになられたのでしょうか、今年3月から、手術室の仕事からは退きました。
これまで家におりましても、貫主様のご祈祷力のお陰で数限りないお陰を頂いて参りましたが、本当にどうにもならない苦しみの時は六月大祭にお詣りして、直接御本尊にお願いするべきだと思いました。
六月大祭は、計り知れないお陰を頂く日だと、深く実感致しております。最後になりましたが、この八ヶ月余り、手術の度に拝んで下さいました貫主様に、心から感謝申し上げます。貫主様のご祈祷なくして、今の私はないものと思っております。
今年の大祭はお礼詣りに参ります。今後は、患者さん方が安心して身を任せられる様な看護婦を目標に頑張って行くつもりです。本当に有り難うございました。合掌