御利益体験談
第3集

家族全員を御護り戴いた
御祈祷力

熊本県 MK

(平成13年6月)

長崎へ看病の手伝い

 私はこの一ヶ月あまりの間に、一生分にも匹敵する皇円大菩薩様のお陰を頂いたことをお話しさせて頂きます。

 今年の四月二十七日のことでした。長崎に転勤した息子に電話をすると、二人の幼子をかかえたお嫁さんが体調をこわし、手伝いに来てくれているはずの嫁のお母さんも風邪で体調が思わしくなく、それに加えて息子は肺炎で入院していると聞いて、主人と私はこれはほってはおけないと思いました。

 私達二人は、二人とも心臓の持病持ちですが丁度私は、数日前に心臓の検査をして頂き、「遠出しても良い」と言われ、二十八日の朝から主人も近くの医院に診察に行き、「先ずは大丈夫でしょう」と言われました。

 嫁には、「お父さんは長崎に行っても寝ているだけよ」と言いましたが、大変喜んでいました。 私は蓮華院様に電話をして、以前お願いしたご供養がまだ祈願中である事を確認して、「安心して長崎に行って来ますから、貫主様によろしくお願いします」と主人の運転で長崎に出かけました。

 4才になる孫は、「熊本のお爺ちゃん、お婆ちゃん、ずーっとずーっと長崎のお家にいてね」と、2日間何度も言っていました。よほど淋しかったのだろうと思うと、孫がいとおしくなりました。

 2〜3日すれば二人とも落ち着いてきたので五月二日、息子も退院して来る事だし、一日に帰る用意をしていましたら、嫁が腹痛を訴えましたので、帰る時間を延ばし嫁の様子を見ることにしました。

狭心症の発作が!

 荷物を車のトランクに入れて閉めた途端、主人は胸に激痛が走り、やっとの思いで5偕までエレベータで上がり、狭心症の発作が起きた時に使うニトロ舌下錠を使用しましたが、激痛は治まらず、本人も手足が冷たくなっていくのを感じたそうです。

 救急車で長崎市民病院に搬送されました。途中救急車の中で住所、氏名、年齢、元の職業も聞かれました。主人は看護士をしていましたので、「元看護士なら私達の言う事はよく理解できますね」と言われていました。

 救急車の中でも心電図を撮っていたので、主人は救急隊員の方に「心電図の波形は?」と尋ねていました。「ST波が低下しています」との答えに主人は、「心臓の血管がどこかで細くなっているか詰まっている。心筋障害が起きている。」と話しました。

甦る意識の中で

 本人は、病院まで持たないだろうと覚悟を決めていたそうです。その時、幼い時から現在までの思い出が走馬燈のように脳裏に浮かんだそうです。意識が朦朧(もうろう)とする中で「今ここでは死ねない」と、何度も何度もウワごとのように言っていました。10分程で長崎市民病院に到着しました。

 主人は、「皇円大菩薩様、どうぞお助け下さい」と必死におすがりしていたそうです。私も必死におすがりしていました。

 救急外来で心電図、心エコー検査があり、救急入院しました。痛みも治まり、主治医は「四日程点滴をして、心臓にカテーテルを入れて造影検査をします」と、治療予定を言われました。

 病室に着くとすぐ点滴が始まり、一安心して家に電話を入れると、息子が出て嫁の具合が悪く、自分が入院していた病院に連れて行った。今から子供二人を小児科に連れて行き、帰りに迎えに行くから病室で待つように言われました。

嫁も急性肝臓炎で入院

 息子・孫達と一緒に帰る途中で、嫁から「早く帰って病院に連れて行って」と携帯電話がありました。病院に大急ぎで嫁を連れて行き、夜いつまでも帰って来ないので心配していると、九時過ぎに帰って来て急性肝臓炎と腎臓結石との事、これまた入院して点滴が始まりました。

 その夜から私は二人の孫の世話です。夫と嫁の急病、これには負けられないと思いました。そして、私には皇円大菩薩様が護って下さっている。二人の孫の事は大丈夫と心に決めました。

 二日目には、病院から嫁が泣き泣き電話をして来ました。「お母さんに済まない、こどもがいるばかりに」と。私は、「子供がいるばかりにと言ってはいけない」と、初めて嫁にきつく言って子供のことは心配しない様にと言いました。

主人の急性心筋梗塞

 五月三日、午前一時半頃電話が鳴りました。息子からでした。息子は何も言わないので、私から「病院なの?」と聞くと、「親父がひどい心臓発作で今から検査をして手術になるかもしれないので、家族の人に来るようにと医師から言われた」と言いました。

 家族と言っても、私は二人の孫を置いていくことも出来ず、「お母さん、万が一の時のことを覚悟はしておいた方がいいよ」と、息子から言われた時の私の気持ちは、36年間連れ添って来て、死ぬかもしれない時に行ってあげられない、でもこの時孫がいるから行けないという気持ちはつゆ程もありませんでした。

 蓮華院にお願いしよう。でもこんな真夜中に電話は出来ない、それでも皇円大菩薩様はいらっしゃる、私の心が通じればきっと主人は助けて頂けると信じ、懸命に「南無皇円大菩薩、主人をお助け下さい」とお願いしました。

 一時間程して息子から電話があり、親父は持ち直した。意識が戻って話しているから大丈夫だよ。今から検査をして悪ければ胸を開いて、心臓に新しい血管を植え込む冠動脈バイパス手術になり、良くて血管の中に血の流れを良くするためにステントという金属製のチューブを入れると、主治医は息子に説明されたそうです。

 それから何時間も皇円大菩薩様に一心にお願いしました。涙が出てどうしようもありません。蓮華院様の方角も分からない。でも、きっとお聞き届け下さる事を信じてお願いしました。

 幸いにも、小さい方の孫もこの夜はお乳を欲しがって起きませんでした。これ以上私が困る事のないように、皇円大菩薩様のお計らいで安らかな眠りをお与え下さった事と思います。本当に有り難うございました。

 長崎の夜明けは早く、5時頃に息子が帰って来ました。主人は急性心筋梗塞で、心臓の筋肉(心筋)に酸素と栄養を供給する3本ある大切な血管(冠動脈)の1本が99%詰まり、すでに心筋が壊れかかっていたそうです。その後は日に日に元気になって行きました。

 五月十八日の2度目の検査で後の1本が90%詰まっていて、これにもステントを入れました。心筋梗塞では、半数近くの人が亡くなるそうです。夫は皇円大菩薩様の御霊力で助かりました。有り難うございました。

お護りの中で帰路に

 主人は五月二十五日に退院することが出来ました。一日も早く熊本に帰れるように、皇円大菩薩様にお願いしました。

 六月一日の朝には熱も下がり、主人も「今の体調なら運転は出来るだろう。途中で2 ・3回、それからフェリーの中でも40分の休憩がとれる。」と言って、車を発進させました。

 私達は皇円大菩薩様の御加護を信じ、長崎から熊本の自宅まで50数キロの道程ですが、二人で御宝号を唱えながら途中何事もなく無事に帰ることが出来ました。

 私達は、どうしても、先ず蓮華院様にお礼に行きたくて4時頃に伺いました。玄関を入ると、宇塚先生のにこやかなお顔を見てホッとしました。

 本堂で皇円大菩薩様に御礼のお参りをした後に、宇塚先生に色々とご報告をしているうちに気付いたのですが、五月一日の夫の発作は、その日もしお嫁さんの具合が悪くならなくて午前中に出発しておれば、帰る途中に起こっていたはずでした。車の運転中か、フェリーの中であの発作が起こっていたらと思うと、ゾッとします。やはり皇円大菩薩様にお守り頂いていたのだということを思うと、また有り難くて涙が出て来ました。

 5月は、私達にとっては大変な月でした。しかし皇円大菩薩様の御霊力、貫主様の御祈祷力で無事に乗り越える事が出来ました。信心と先祖供養の大切さを、今回程しみじみと感じたことはありませんでした。本当に有り難うございました。       合 掌

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