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今日は日本のボランティア活動の草分け的存在であり、現在、曹洞宗ボランティア会専務理事の役職にあられます、有馬実成先生のお話をもとに述べさせていただきます。
先生は蓮華院で、「仏教を心において活動するNGOの基本」と言うことで次のようにお話されました。
先生が、NGO(Non Governmental Organization 非政府援助組織)にかかわるようになったのは、カンボジア難民の救援にかかわったことが機縁となったそうです。難民の歴史は、人類の歴史の最初からあり、日本は国内で難民を体験していないめずらしい国です。アメリカは一面からみると、難民でなりたっている国とも言えます。
ボランティア活動の基本は「させていただく」という事ではないかと思います。これを「してあげる」と勘違いすると、とんでもないことになります。させていただくことによって、援助する方が、いろいろと学ばせていただいているのであり、ボランティア自身の成長に役立っているのです。
私がモデルにしている真言律宗の開祖、叡尊上人は、「もし、生きた仏陀に会おうと思うならば、慈悲心をおこしなさい。傷心の文殊は、貧遇孤独の民の中にいるであろう。」と述べられています。
援助の理想は「風の空中に障碍(しょうげ)無きが如く」(法華経)であります。風は、金持ちだからとか、美人だからとか、人を選びません。誰にでも吹きます。また、ここだけとか、あそこだけとか、場所にこだわりません。吹く前と後とで違いがあるわけでもありません。木の葉の動きや、波の音で、風があることはわかりますが、目には見えません。ただ、たんたんと吹いて、たんたんと過ぎ去っていきます。
別な言葉で言えば、ボランティアは触媒なのです。あるいは、舞台の黒子のようなものと言ってもいいかも知れません。触媒がなければ、化学反応はおこりません。黒子がいなければ、舞台はうまくいきません。でも黒子が、覆面をあげてセリフをいったり、名乗りをあげたりしたら、舞台はめちゃくちゃになります。
今、援助に関して反省がおきています。第2次大戦後、よかれと思って援助をしたら、皮肉なことに貧富の差が拡大したという結果になりました。つまり、援助の方法が間違っていたのです。外から変えるのでは、うまくいきません。これを外発的開発と言います。
中にいる人が自分で変わろうと思わない限り、援助はうまくいきません。そこに住んでいる人自身が、自分達で変えようとするのを外から少し手助けする、内発的開発が今後は大事です。そしてこれは、仏教の考え方と一致するのです。
仏法でいう「開発(かいほつ)」とは、中から自分で変わっていく事であり、これが仏教に基づくボランティア論の基本だと私は考えます。
ですから、善行もただ、たんたんとすればよいのです。「これだけしてやったのに。」とか、「御礼の一言もない。」とか、見返りを期待すると、善行の為に人間関係がおかしくなったり、いさかいが生じたりして、せっかくの功徳がだいなしになります。
元NHKの鈴木健二先生も、福祉活動を熱心にされていますが、「100人の内、御礼を言ってくれるのは、1人ぐらいです。でも、そのたった1人の『ありがとう』の言葉が嬉しくて、続けているのです。」と述べておられます。
私は、「善行は無功徳」ぐらいの気持ちで行い、済んだら忘れてしまうのが、一番功徳を積むことになるのではないかと思います。合掌
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人間が人間を殺し合う
それは国家というものがあるからだ
人間が人間を十字架にかける
それは宗教というものがあるからだ
人間が人間を差別し合う
それは貧富や階級というものがあるからだ
いつになったらこんなものがなくなり
自由で平等でのびのびした
明るい世の中になるだろうか
この地球以外に
そういう国が
どこかにないものだろうか
《 ねがい 》
一羽の鳥を
救い得ば
一匹の羊を
救い得ば
一人の人を
救い得ば
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