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大日乃光






大日乃光

2011年11月01日第1993号
日本の再生を祈る奥之院開設第三十三周年大祭

全国で奉納される感謝の祭り
 秋の収穫も終わりに近づき、先月(十月)から、日本国中の町や村の神社佛閣で、収穫に感謝するお祭りが行われています。先月十五日には、私自身が当地玉名の二つのお宮の大祭に参列しました。午前中は延喜式内社にして旧県社の疋野神社の大祭に、そしてもう一社は当山にとって最も身近な地元築地の鎮守社「四十九池神社」の大祭でした。この四十九池神社の大祭は、四百年以上の歴史と伝統を持つ大変珍しいお祭りです。
 二十二年前には、私自身がその大祭実行委員として、お祭りのための奉賛金の勧進(神社仏閣の寄付を募る事)を務めた事がありますので、ことさらこのお祭りには関心があるのです。
 築地の三つの地区(上・下・西)が三種類の花火を手作りして打ち上げ、地区ごとに代々受け継いできたのですが、それが戦後の経済成長の時代に一時途絶えていたのが、二十四年前に復活されました。


「楽」に籠められた、伝統と文化の継承
いま一つは楽方が奏でる、神様に奉納する「築地楽」です。笛と太鼓と三味線からなっていますが、笛は何と演奏者ご自身の手作りです。この二十数年は十月十五日の夜に行われています。
 この楽はまだテレビがなかった頃、NHKのラジオで全国放送された事もあります。また、十八年前にスリランカ大統領から送られた佛舎利を当山が奉戴した時、この四十九池神社の楽でお迎えして頂きました。その後、五重塔の心柱木曳、五重塔上棟式、さらには南大門大柱木曳の時にも、この楽方の皆さんにご奉仕して頂いたのでした。


神佛習合の柴燈大護摩祈祷
 かつて、神社とお寺は千三百年以上も昔から、「神佛の御加護」などと日常的に言われてきたように、互いに助け合って地域の人々と共に生きてきたのです。大きく言えば神道と佛教が、国家・社会を支えて来たのです。
 当山の十一月大祭の白眉である柴燈大護摩祈祷は、まさに神道と佛教(密教)が融合して出来上がった祈りの作法です。そこに五穀豊穣を祈ることから始まった相撲が奉納されます。


相撲と縁深き肥後熊本
 奉納相撲の一つは午前九時から夕方まで行われる「飛龍旗小学生相撲大会」です。この大会からは、すでに五人の大相撲幕内力士が出ています。いま一つが横綱奉納土俵入りです。
 大相撲とのご縁は、先代の真如大僧正様が学生時代に相撲部だった事や、先々代の開山大僧正様が大変相撲がお好きだった事などから、初代二子山親方とのご縁が生まれ、親方の特別なご配慮で、これまで子供相撲と同じく三十三年間毎年大相撲の力士にご参拝頂いております。通常の地方巡業は本場所の後、たとえば「熊本場所」は十一月末か十二月上旬に行われます。しかし、当山のように九州場所の数日前に横綱が福岡から玉名に来て土俵入りをするといった例は、ほとんどないそうです。 そんな中で二十五年前、かって相撲の神様と言われていた肥後の吉田司家と、日本相撲協会との縁が途絶えてしまいました。歴代の横綱は、江戸時代の早い時期からこの吉田司家で横綱としての土俵入りの作法を伝授され、正式に横綱の免状を受けていたのです。言わば肥後の国は大相撲とは特別な深い縁がある地なのです。
 そんな中で、当山ではこれまで新横綱が出た年は、九州場所前に当山の秋の大祭で土俵入りを続けてきました。近年ではなかなか新横綱が出ませんが、やはり九州場所前に毎年奉納土俵入りが行えるのは誠に有難いことです。
 六十九代横綱の白鵬関とはお寺としても個人的にも深いお付き合いがありますが、「恩返ししたい」「相撲が滅びれば日本も滅びる」など、白鵬関の言葉が示すように、その考え方や生き方は日本人以上に日本人らしい立派な横綱です。
 昨年、この横綱の連勝を六十三連勝で止めた快男児、稀勢の里関が太刀持ちを、大ベテランの若の里関が露払いを務めて、柴燈大護摩道場で不知火型の土俵入りを力強く奉納して頂きます。ちなみに不知火型の「不知火」とは、水俣や八代に面した有明海の一部の名称で、肥後出身の第十一代横綱不知火関が始めた土俵入りの作法です。二重三重に有難いことであります。


西大寺に奉納された四天王原型像
 さて、この十一月大祭のちょうど一ヶ月前に、もう一つ有り難いことがありました。 それは横綱白鵬関や朝青龍関に心象モデルを務めて頂いた四天王の原型(実物の約四分の一の大きさ)を、京都白門造佛所の佛師、今村九十九先生が、約半年の期間を費やして南大門の四天王と同じように極彩色に仕上げられました。
 その途中の六月十八日、京都の今村佛師さんの工房に、真言律宗総本山西大寺の大矢實圓管長猊下(長老様)、佐伯宗務長様、松村宗議会議長様、辻村教学部長様、笹尾財務部長様に揃ってお運び頂きました。その時私は四天王(原型)像を西大寺の本堂にご安置していただきたいと申し出たのです。  これは西大寺そのものが千二百年前に称徳天皇(聖武天皇と光明皇后の皇女)によって鎮護国家のために建立された寺であり、四天王を造立する際には、称徳天皇ご自身がその鋳造作業を自らなされたという言い伝えがあります。現在でも西大寺には、「四王堂」というお堂が本堂に並んで建っています。また、四天王の原型木像の大きさも出来栄えも、本堂の御本尊様をお守りするには誠に相応しいと思ったからです。 五人の本山重鎮の皆様は、小四天王の立派な出来栄えに感動し、「これは素晴らしい」「この四体を蓮華院さんが奉納頂くとは何とも有り難い!!」などと、皆さん大変喜んで頂きました。
 こんな事があって、去る十月三日、七百年以上続いている西大寺で最も大切な「光明真言会」という伝統の法要の直前に、管長猊下を御導師に、西大寺の全役員並びに全宗議会議員の皆さんによって、須弥壇上の四天王像が入魂開眼されたのでした。


大佛師となられた今村九十九先生
 開眼法要に引き続き、佛師今村九十九先生に、総本山西大寺より「大佛師」の称号が授与されました。今村佛師さんの師である松久朋琳師は大阪四天王寺から大佛師の称号を授けられ、「昭和の大佛師」として歴史に名を止められました。
 今村九十九先生は、まだ還暦を迎えられたばかりです。今後もっと多くの立派な佛像を世に送り出される事でしょう。近いところでは、来年六月十三日の皇円大菩薩様御入定八百四十四年の大祭に向けて、新たな時代を切り拓き、衆生済度と世界平和にむけて、更に力強く御霊力を発揮して頂くために、皇円大菩薩様の御尊像を造って頂いているところです。
 近い将来、今村九十九大佛師は「平成の大佛師」として、ますます円熟した境地で、未来の国宝を造り続けられることでしょう。


文化の充実なくして地域の活性化はありえない
 今、未来の国宝と申しましたが、佛師ではない私達には未来に対して一体何が出来るのでしょうか?「子供は未来からの使者であり、未来からあずかった宝」です。次の世代を担う子や孫を立派に育てる事こそ未来の宝、国の宝を生み出す事になるに違いありません。そのためには今を生きる私達が、しっかりと過去と向き合い、過去の輝かしい有形無形の財産(金銭だけでなく文化・教育・宗教など)を学び深めなければなりません。
 来たる十一月十日に日本国内は言うに及ばず国際的にも高い評価を受けておられる六名の講師陣をお招きして、玉名市民会館で「美し国づくりフォーラムin玉名」という集いが開催されます。
 この錚々たる講師の方々に混じって、地元からも二人の講師にご参加頂きますが、その内のお一人が、先日、「経済的な活性化だけでは、地域の発展はありえません。文化の充実なくして真の地域の活性化はなく、あだ花のように長くは続かないと思います」と言っておられました。
 まさにその通りです。一般的に活性化と言う時、その内容はほとんどが経済的な成長を指しています。文化には学問や芸術・芸能だけではなく、その地域の歴史に根ざした「生き方」が欠かせません。生活のあり方そのものが文化の根っこにならなければ、文化が単なる形式や表現のあり方に終わってしまいます。
 いま一つ、文化を育てる根底に、宗教の働きがありました。特に神道と佛教で説かれた「感謝の心」「素直な心」「恩返しの生き方」「深い反省」などがいかに大切であったか、最近では忘れられています。これでは真の地域活性化にはなりません。「美し国づくり」とは単に美しい景観の国というだけではなく、精神文化の輝く心の美しい国を創ろうという意味が籠められています。
 
新生日本の復興を祈念する奥之院大祭の柴燈大護摩祈祷
 東日本大震災後、「新生日本」とか「絆の再生」などと言われていますが、宗教や文化にしっかりと根を張った子育てに、私達が真剣に取り組む時、真の日本再生や人々との深くて確かな絆が生まれると信じています。強く祈る、切に望む、その情念の底から次の世代へ引き継ぐべき信念や生き方、そして日々の行動が生まれます。
 どうか皆さん、十一月三日の大祭で日本の再生を真剣に祈って下さい。そして子や孫達に、その熱い思いを持って先人の作られた良き日本の伝統をしっかりと伝えていきましょう。合掌


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