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2011年12月21日1997号
国際佛教徒会議で学んだ「過去は変える事が出来る」
国際佛教徒会議への出席で、三十一年ぶりのインド訪問
私は十一月二十六日から三十日までインドのニューデリーで開催された国際佛教徒会議(GBC)に、主催者からの招待で参加してきました。私にとっては三十一年ぶりのインドでした。
この一週間、三時間半の時差の中で、毎日の全国の信者さんのための早朝からの祈願祈祷と多くのお尋ねは、いつもと同じく滞りなく務めながらの会議への出席でした。信者の皆さんにご迷惑や心配をかけることなく済んだので、ほとんどの信者さんは行き帰りも含めて一週間も私がお寺を留守にしていた事を気づかれなかった事でしょう。
さて、今回の滞在は首都のニューデリーだけでしたので、かつての貧しく厳しい生活を余儀なくされている人びとは余り見かけませんでした。その反面、近年経済発展の著しいインドの首都には街中にたくさんの街路樹が植えられているのは良いのですが、大気がいつも霞んでいてスッキリした青空はついに見られず、夜も星は数える程しか見えない夜空でした。
ダライ・ラマ法王猊下は、異教徒の地でも崇敬の的
こんな中で二十六ケ国から約八百名の参加者による大きな国際会議でした。日本からは約二十名の参加で、チベット支援の仲間がその内で私を含めて六名でした。
会議の三日目からは、ダライ・ラマ法王猊下も参加されました。たまたま法王猊下が到着されたホテルにいたのでお迎えしたのですが、ホテルのロビーを埋め尽くす人びとの熱気で、猊下ご自身ももみくちゃにされながらのご到着でした。
そもそもインドには佛教徒はほとんどいません。インド人にとってダライ・ラマ法王猊下は言わば異教徒ですが、多くのインドの人びとから敬愛されているご様子を間近に拝して嬉しく感じました。
会議のあり様に影を落とす緊迫した国際情勢
会議そのものは環境問題、民族紛争、佛教の復興、他宗教との協調、女性と佛教などと多岐にわたる分科会が開催されました。
また主催者は「アショカ・ミッション」という、インドのニューデリーに拠点を置く佛教の教えに基づく社会福祉団体で、五十年以上の歴史を持つ団体です。その中心人物が、かつてチベット亡命政府の高官であったラマ・ロブツェンというチベット佛教の僧侶です。
近年、中国政府が国際的な佛教会議を主催したり、ネパールにあるお釈迦様の生誕地ルンビニーに多大な金額を拠出して世界の佛教社会に大きく影響力を延ばしている事に対して、佛教を生み出したインドの人々が共産主義の中国に対抗する意味で、今回の国際佛教徒会議を開催したのでした。
佛教徒のチベット人を抑圧している中国が、国際的な佛教社会で影響力を持つのは、チベット人が代表を務めているアショカ・ミッションにとっては、とても黙認出来ないという思いなのです。
会議にはアジアの佛教国のほとんどの国々から、その宗派の代表が参加しておられました。チベット佛教界からはダライ・ラマ十四世法王猊下を始め、二〇〇一年にインドに亡命を果たしたカルマパ十七世(二十七歳)や、ダライ・ラマ法王猊下の若い頃の先生であったリン・リンポチェの生まれ変わりと認定されている若い高僧なども参加されていました。
しかし残念ながら、全ての会議に通訳が付けられていなかったので、私を始め多くの方々がどのくらい意見の交換が出来たのか、不安が残るものでした。
閉会式での名誉のスピーチ
三十日の最後の閉会式では、開会式と同じように大きな会場に設えられたステージ上に招待されて座った私には、世界中から参加された皆さんの熱気がよく伝わって来ました。
いよいよ閉会式では外国(インド以外)からの招待者四人の中の一人として、以下のようなスピーチを致しました。
「本日はダライ・ラマ法王猊下ご臨席の下、アショカ・ミッションGBC(世界佛教徒会議)第一回目の会議で、閉会の挨拶をする栄誉ある役割を頂きました、川原英照と申します。篤く御礼申し上げます。
まず始めに、日本の僧侶である前に一人の日本人として、去る三月十一日に東日本を襲った地震と津波、そして原子力発電所の事故について、ここにお集まりの世界中の皆様、そして世界中の多くの国々に温かいご支援と心からなる励ましの言葉を頂きました事に、この場をお借りして、心より篤く篤く御礼申し上げます。
思い起こせば七年前、インドネシアのスマトラ島沖地震が発生した時に、私が代表を勤めます国際協力NGOであるアルティックのスタッフをスリランカに派遣しました。その後、スリランカの多くの人々と励ましあい助け合いながら、現在でも津波で親を亡くした子供たちへの支援を続けています。
そんな中で、今度は私たち日本人が大きな被害を受けました。支援する側ではなく、私たち自身が支援を受ける立場になって始めて気づいた事がありました。それは、人は誰でも国や民族の違いを超えて、相手が大変な状態にある時、何もせずには居られない、思いやりと慈悲の心を本来持っているという事です。
しかし、難民問題に三十年以上関わりを持ってきて思う事は、難民は地震や洪水などの自然災害とは違い、あくまで人間と国家の「我欲」と国益という「国家エゴ」によって引き起こされています。人間の、この根本的な煩悩である我欲をいかに制御するかというのがブッダの説かれた佛教です。
この度ラマ・ロブツェンを中心とする多くの方々のご尽力で、ブッダがその教えを説かれたインドの地にGBCが発足した事は、真に人類史の偉大な足跡となる事と確信いまします。
GBCでは今後の国際社会に対して、佛教の知恵と慈悲の立場から、国益を超えた新たな世界の価値観の創造のために、ここにご参集の世界中の高僧の皆様のご協力の中で、成果を挙げて行かれる事と確信いたします。
私達日本の僧侶もGBCの充実のために出来得る限りのご協力をお誓いして、私の閉会の挨拶と致します。 合 掌」
何度か区切って英語の通訳が終わる度に大きな拍手が鳴り渡る中で、全員の人々の心に訴えるような思いで話しました。四人全てのスピーチが終わり、最後の締めくくりとして、ダライ・ラマ法王猊下がいつものようにユーモアたっぷりにお話しされました。
暗い過去にしっかりと向き合い、未来を明るく変える心の持ち方
信者の皆様にとって、もっと身近な事として、人生に絶望している人、明るい未来を開けないで困っている人々に光明となる考え方を、今回の会議で学びましたので、最後にお伝えしたいと思います。
それは、「人は過去を変えられないと思っている。暗い過去、いやな思い出を多く持つ人は、未来を明るく生きる事が出来ない。しかし過去は変えられるのです。過去としっかり向き合う中に、そこには忘れていた事として、親や知人などから受けていた愛を必ず見つけられ、この愛に気付いた時、未来に希望を持って生きる事が出来る」という内容でした。
確かに普通に考えれば、過ぎ去った過去は変えようがありません。亡くなった人は生き返りませんし、人は若返る事も出来ません。一方、まだ来ぬ未来はこれからの努力で少しずつでも変えられる、というのが一般的な考え方です。
それに対して過去の自分にとって不都合な事柄であっても、よくよくその周りの出来事を、心の角度を変えて見通してみると有り難いと思える事、嬉しく感じられる事も必ずあるのです。例えば厳しい父親に何度も殴られてきたという記憶で父親を恨んできた人も、その頃の父親をよくよく見つめ直してみれば、一緒に遊んでもらった事や、厳しいなりに期待してもらっていた事などに気付く事が出来ると、少しずつ父親に対する思いが変わって来ます。
この、人に対する思いの集積が、その人の過去の思いを決めているのです。この過去の思いが変わる事が「人は過去を変える事が出来る」という事なのです。過去が変わって来れば、必ずや未来が変わってくるのです。
これは当山で二十年以上行なって来た「内観」そのものの中に、過去の心の持ち方が「うらみ」「つらみ」から「反省」「感謝」に変わっていくための具体的な方法があります。
今年も残すところわずかとなりました。今年一年のいやな事、不都合だった事を皆さんもよくよく思い返して、その出来事の奥にある良き事、有り難い事を見つめ直して、来る年が明るく輝かしいものになるよう、内観に励んで下さい。
来る年が皆様にとって、幸多き年となります事を念じつつ、本年のお話を終わります。合掌
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