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大日乃光






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2012年03月07日大日乃光第2003号
理不尽を見過ごさない気概が日本を再生する

例年より一ヶ月早い「チベット騒乱犠牲者追悼の集い」

 

去る二月十日の午後六時半、私は博多の筥崎八幡宮の参集殿のステージに立っていました。本誌二月一日号と二月十一日号の「お知らせ」でお伝えしておりましたように、アルピニストの野口健氏の講演会を中心とした「チベット騒乱犠牲者追悼の集い」の趣旨説明と、近年のチベット情勢をお伝えするためでした。
 

昨年三月から現在まで、若い僧侶を中心とした二十四名のチベットの人びとが、中国政府の理不尽な弾圧への止むに止まれぬ抗議として「焼身自殺」が続発しているという悲しい現実。

同じ時代を生きる人間の一人として、この事に何も発言しない事は、その不正に加担する事と同じく不正である事。また、日頃慈悲を説いている僧侶の一人として何もせずにはいられないという切羽詰まった思いから、この集いを同志の皆さんと始めて四年になります。

本来は三月十日がチベット蜂起記念日である事から、これまでの三回は三月十日に近い日に開催してきましたが、今年は三月十一日が東日本大震災の一周忌である事から、一ケ月早めに開催しました。

 

会場となった筥崎宮は、五年前にモンゴル大統領の依頼によって、鎌倉時代の元寇の際の敵味方双方の供養を日本とモンゴル双方の僧侶による合同供養として執り行った時に場所を提供して頂いて以来のご縁です。
 

そして野口健さんは、二年前の六月、ダライ・ラマ法王猊下が長野の善光寺をご訪問された時に運命的に巡り会いました。それをご縁として、昨年の南大門落慶前に毎日新聞社の企画によって五人の著名人と対談した中のお一人です。

以下にその時の対談を転載します。

(『毎日新聞』平成二十三年四月十七日の記事より)

 

現実と向き合い実践すること

 

(貫主様) 現代の日本は様々な問題を抱えています。それを間近に感じていながら、見て見ぬ振りをしたくないという思いから、私は「チベット問題」の理不尽さを訴えることを続けています。野口さんも独自に多くの活動を実践されていますね。
 

(野口氏) 現実を知ることは、その問題を背負うことと同じです。富士山のゴミ問題など、現場を見てしまった以上はその問題を解決しないわけにはいかないとの思いで、活動を始めました。
 

(貫主様) 理解したつもりになるだけでなく、意識の中に実在させてこそ〝識る〟ことになる。知っていて行動しないのでは知らないのと同じで何も始まりません。
 

(野口氏) 私は海外で戦死した日本兵の遺骨を持ち帰る遺骨帰還事業を通じて、それを痛感しました。
 

フィリピンに戦後六十年以上放置された無数の遺骨を目にした時、最期を迎える場所を探し、さまよった兵士たちの心の動きが感じられ、平面的な知識が立体化する様を自覚しました。事前に資料で学んだ知識がとても薄っぺらく感じられて。この活動は、物事を表面的にしか見ない人からは「戦争を美化している」ととらえられ、批判を受けることも少なくありません。

ですが、現地には表しようのない重たい空気が流れています。「ずっとここで待っていた」と語りかけてくるかのような兵士たちの魂を全身で強く感じ、手を合わせずにはいられませんでした。

その体験を経て、自分の意志に反してこの地での戦死を余儀なくされた方々の思いを政府に伝え、遺骨を故郷に帰してあげたいと思うようになったのです。
それは現地に出向かなければ感じることができなかったでしょうね。

 

大きな愛に包まれて、未来は温かなものに

 

(貫主様) 日本には山岳宗教と精神文化の蓄積、密教的な修行が融合した修験道という日本独自の宗教が存在します。山は聖なる場所です。自然と一体となることが神佛に近づく修行だとされてきました。野口さんも登山は聖なるものとの出会い、覚醒だと感じることが多々あるのではないでしょうか?
 

(野口氏) いざ大自然の中に立つと日ごろの些細な悩みがとてもちっぽけに思えてきます。私は波乱に富んだ高校時代を過ごしました。そんな時に出会ったのが山岳の世界です。どんなに混沌とした気持ちの時でも壮大な山々に足を踏み入れるだけで、悩みなどどこかに消えてしまうようでした。
 

(貫主様) 現在の活動をスタートしたきっかけは?
 

(野口氏) すべては「命」を見つめる中で自然な流れで行うようになりました。登山において生と死は表裏一体です。自分自身も「もう駄目かもしれない」と思った経験が何度かあります。兵士と冒険家は同じ土俵では語れませんが、同じく生と死に向き合う環境の中で、何か彼らの心情が分かったような気がしたのです。
 

(貫主様) 今、地球環境は危機的状況に置かれています。現代人はその状況を把握しているにも関わらず、確固たる改善策を実行していない。そんな現代を未来から見つめたらどんな風に見えるのでしょうか。
 

(野口氏) どれほど多くの会議に出席しても、生の現場を見る、ということには敵いません。理屈抜きでリアルに問題と向き合わなければ、子孫に誇れるような未来を残すことはできません。本当の意味で識る努力にエネルギーや時間を費やすことがとても大切です。
 

(貫主様) 現代の日本人は、理不尽に立ち向かう正義の心が欠けています。自分を愛せない人には他人を愛することなどできない。自分の家族や故郷を愛する中で、自分を深く知ろうとする姿勢がとても重要です。現在製作中の四天王像に刻み込まれた〝忿怒〟の姿こそ、現代人にとって今一番欠けている感性ではないでしょうか。日本らしい良さを未来へ残すために、問題から目を背けずに向き合う。それが私たちの課題です。過去から引き継がれる遺産を大切にすること、それが未来を輝かせることにつながると思うのです。
 

(野口氏) 遺骨収集の活動も単なる過去の清算ではありません。過去を見つめることで未来が豊かになると信じています。日本人にとっての宗教は、〝絶対的な神〟ではなく、人としての生き方を示してくれる生活の指針の一部だと思います。また、安らぎを与えてくれる〝目に見えないつながり〟として、その場に身を置くだけで凛とした気持ちにさせられる寺院の存在もこれからもっと人々に必要とされるでしょうね。
 

(貫主様) 〝忿怒〟は愛や優しさを表すひとつの表現です。私たち日本人が忘れかけている感性だと思います。不正に対して怒ることと、闇雲な暴力・虐待などとは全く別物です。愛のある怒りほど強く心に訴えかけるものはありません。四天王像の瞳から、そんな強さと優しさを感じていただきたいものです。

 

対談を終えて

 

対談したのが昨年三月七日、その四日後には未曾有の東日本大震災が起こりました。私も野口さんも、現場を大切にするという思いから、各々の発想で奇しくも同じように被災地への支援活動を開始しました。
 

野口さんとは「過去にしっかりと向き合う」という点で一致し、生死をめぐる多くの体験でも共感しました。もう一つは社会や周辺から批判されても互いに信じる事を実行しようとする思いの強さに同調する事が出来ました。
 

世界や社会など外の世界の理不尽や不正と同じように、私達の心の内側にも意志の弱さや自分の事しか考えない利己心のように、自分でも気づいている悪しきものがあります。
 

この悪しきものとの闘いを、私達一人びとりがしっかりと向き合い、時には打ち克つ気概で日々を送りたいものです。
 




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