ホーム > 大日乃光 > 大日乃光一覧

大日乃光






大日乃光

2012年03月12日大日乃光2004号
「歴史と先祖への連続性を育む信仰とは?」

焼身自殺と特攻は究極の選択

 

去る二月十日の野口健さんの講演の中で、チベット人僧侶が追い詰められて、中国政府に対するやむにやまれぬ抗議としての「焼身自殺」が続発している事を取り上げられました。その事を野口さんは「さながら先の大戦の末期に特攻隊に志願して、南方で散っていった若い兵士の事を連想しました」という発言をされました。

私も以前そのように感じ、本誌(昨年十二月十一日号)にその様に書きました。

ともすると現代の一般的な世論では、先の「特攻兵士は犬死にだった」とする意見が多く出されています。
 

それと同じように、中国の多くの人びとは正しい情報が伝えられていないので「チベット人は何て馬鹿な事をするんだ」「自分で自分の身体を燃やして死ぬなんて、犬死にだ」という意見が出ているそうです。
 

一方、中国政府の見解では、「焼身自殺はテロである」と断じています。他人を一人も傷つけていない焼身自殺をテロと呼ぶとは、何とも強引で理不尽な決めつけでしょう。

 

開かれた情報と閉ざされた情報

 

思えば四十九年前にベトナム人僧侶、ティック・クアン・ドック(釋廣德)師が抗議の焼身自殺を遂げられた時は、世界中に瞬く間にその情報が伝えられ、世界の世論を転換するのに大きな力を発揮した事を考えると、今回は二十四名もの若い僧侶や尼僧が焼身自殺を遂げているにも関わらず、世界の世論を喚起するには至っていません。

まして日本ではこの悲しい現事を知る人すら少ないのが実状です。それと同時に、約六十年間で百二十万人ものチベット人が殺された事を知っている人も、まだ少ないようです。
大手のマスコミの情報に頼らず、インターネットで独自に情報を得ている人や、チベット問題に関心のある一部の人しか知らないのが日本の現情です。

 

追悼と供養のチベット正月

 

去る二月二十五日、私は在日チベット人の方々による「チベット正月」に初めて参加しました。例年ですと正月のお祝いの集いですが、今年は多くの焼身自殺が続いている事から、お祝いの集いではなく、自殺者の追悼や供養の意味で開催されました。
 

その中で、ダライ・ラマ法王日本代表部事務所のラクパ代表と私は、来賓として最前列に隣あって座りましたので、個人的に様々な話をしました。その中で、ラクパ代表も「五十年ほど前にはベトナムでの一人の抗議の焼身自殺で世界が動いたのに、今回は二十名を超えても何も変化がないのは何とも残念です」と、しみじみと言っておられました。

 

昭和天皇の全国巡幸

 

先の大戦の直後からしばらくの間は「特攻兵士を犬死だった」とする考え方は、日本ではほとんど聞かれなかったと思います。また、日本人が大戦直後と大きく変わっていった事柄をもう一つ紹介します。これはある方の講演を聞いて知り、気付いた事です。
 

戦後間もなく、昭和天皇が国民を励ますために全国を巡幸されました。近い所では福岡県の三池炭鉱の坑道の中にまで入られて、日本の産業を支える石炭を掘り出す現場に足を運ばれて、坑夫の人達を労わられた事もありました。
 

先の講演者は現在八十二歳で、偶然、陛下の行幸に巡り合われました。その時の陛下は、現在とは違って身辺警護の人を一人もお連れではなく、一台の黒塗りのお車でお越しになられたそうです。また別の方は川で魚を獲って遊んでいた時、気付いた時には目の前に黒塗りの車が一台ゆっくりと進み来て、その中に昭和天皇がご座乗であられたそうです。あわてて川岸に上がって陛下に手が届くくらいに近づく事が出来たと言っておられました。
 

それに対して平成元年二月二十四日の大喪の礼をテレビで拝見しましたが、沿道に立ち並ぶ何万人もの警官によって警備されていました。昭和二十年代の初めから、時代を経るに伴って天皇陛下と私達一般国民との間は距離が広がると共に、警備を充分にしなければならなくなってしまったのです。
 

戦後間もなくの全国巡幸の頃は日本全国に先の大戦への怨嗟が満ち満ちていたはずです。子供を亡くした親、親を亡くした子、兄弟を亡くした人びと、そして特攻で子を亡くした親も大勢いたはずです。ところが全行程約三万三千キロ、総日数百六十五日に及んだ陛下のご巡幸では、警備員が一人もいなかったにも関わらず、暴動どころか事故一つ起きる事もなく、全国隈なく行幸なされたのです。

 

愛国心が薄くなった現代

 

この違いは一体どこから来るのでしょうか?日本国に恨みを持つ人、天皇陛下を中心とする皇族の方々に恨みを持つ人びとと、更には日本が嫌いな人が時代と共に増えていった結果ではないでしょうか?
 

加えて外国からの様々な働きかけによって、日本人としての愛国心を持ちにくくなるような様々なキャンペーン(謀略)が功を奏した結果、反日的な考え方や行動を取る人びとが増えてしまいました。
 

私は度々、愛国心の前にふるさと愛、その前に家族愛が大切な事を、様々な機会でお話ししてきました。過度な愛国心のために他の国を敵視するのは論外ですが、家族を愛し、ふるさとを愛することは誰も反対しません。ところが「国を愛する」となると、途端に反対するのは一体どういう訳でしょうか?

 

チベット人の人権を語ろう

 

当山ではれんげ国際ボランティア会(アルティック=ARTIC)を通じて三十二年間、国際的な人権問題である難民の支援活動を続けてきました。そんな中で常々感じる事は、日本国内で人権問題に関わっている人びとの中には、国際的な人権問題に対してはほとんど発言しないどころか行動さえも起こそうとしない人びとが多いという事です。このような人びとに申し上げたいのは、難民問題とは国家から人権を弾圧された人びとの事ですが、その一方で最終的に人権を保障しているのも国家であるという厳然たる事実です。人権派の人びとは、この事に気付いておられないように思います。
 

チベット問題は中国政府が「国内問題である」と発言するように、百歩譲って中国の国内問題であるとするならば、中国政府という国家が、国民であるはずのチベット人を弾圧し続けているのが問題なのです。これに対して日本国内の人権派の人びとは口を閉ざしたままです。多くのマスコミも、普遍的な人権の問題や、信教の自由の問題として取り上げる事は少ないのです。これは一体どうしたわけでしょうか?ここにも現代日本の言語空間の歪みが端的に現れています。
 

七年前、ダライ・ラマ法王猊下を当山にお招きした時、外務省は法王猊下に日本への入国に際して「政治的な発言をしない事」という条件を課していました。しかし、現在はその条件が無くなったという事を最近知りました。弱腰外交と言われる日本も変わってきた事を知り、少し安心しました。

 

国際協力の基本も家族愛

 

佛教の基本的な立場は、国家を超えた立場に立つ事を一つの特徴としています。このような立ち位置から、当山では長年「同じ人間として」「同じ佛教徒として」「同じアジア人として」という発想から国際協力の活動を続けています。
 

しかし、これはあくまでも家族愛、ふるさと愛、愛国心を前提とする、その延長線上での事なのです。ふるさと愛も愛国心もない人が「地球市民として」と言われても、素直に頷く事は出来ません。
 

先日の野口健さんの講演の中で、野口さんは子供の頃、先の大戦でのお祖父様の体験談を何度も何度も聴かされてきたというエピソードを紹介されました。現在三十八歳という若い野口さんが、なぜ戦没者のご遺骨を日本にお連れする運動をしておられるかも、納得できました。
 

私達は、家族やふるさとの物語と共に、国家の物語である国の歴史の連続性の中でこそ、自分自身を確認し、日本人としての自覚を持つ事が出来ると思います。いま一つ、人の心に民族の歴史や先祖との連続性を持たせるのは信仰です。親の後ろ姿を見つめながら、親や祖父母の日々の信仰的な営みの中で、自分自身の命を見つめ、感謝の心を育くみ、さらには社会への奉仕の実践をも学んでいくのではないでしょうか?
 

私達は、子や孫達に自分自身の生き方を通じて周りの人々を大切にする心、ふるさとを大事にする心、その先に日本という国家に、そして世界に奉仕する心をしっかりと伝える責任があると思います。国を失くしたチベットの人々と接しながら、そんな事を思いました。合掌




お申し込みはこちら 大日新聞(月3回発行)を購読されたい方は、
右の「お申し込みはこちら」からお申し込みいただくか、
郵送料(年1,500円)を添えて下記宛お申し込みください。
お問い合わせ 〒865-8533 熊本県玉名市築地玉名局私書箱第5号蓮華院誕生寺
TEL:0968-72-3300