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大日乃光






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2012年03月21日大日乃光第2005号
蓮華院とアルティック  立場を活かしたチベット支援

「れんげ国際ボランティア会講話」(専務理事 川原光祐)

 

去る二月二十二日より三月の三日までの十一日間、インドに行って参りました。今まで十数回インドを訪ねておりますが、このように寒い時期に訪れるのは初めてでした。
 

日本では多くの方がインドは年中暑いと思っておられる事と思いますが、実は十二月から二月の冬の時期は、デリーでさえも十度を下回るほど寒いのです。特に私たちの目的地であるサトゥン難民キャンプや、ダライ・ラマ法王猊下がお住まいのダラムサラは、ヒマラヤ山系の裾野に位置するため特に寒さが厳しいのです。
 

第一の目的地であるサトゥン難民キャンプで以前から二つの事業を行っており、今回はその進捗状況の視察でした。その一つはカムカト寺院の僧坊建設事業です。そしていま一つは青年会支援事業です。
 

この二つの事業はそれぞれ蓮華院誕生寺と、れんげ国際ボランティア会(アルティック=ARTIC)の二つの組織で、その特性を活かして別々に支援を行っております。

 

寺院再興の大切さ

 

まず、蓮華院誕生寺が支援しているカムカト寺院の僧坊建設事業について説明いたします。
 

チベットの人々にとって、全ての考え方や行動規範はチベット佛教を抜きにして語ることは出来ません。極端に言えば、生活の全てが寺院を中心として行われていると言っても過言ではないのが、チベットの人々の生き方なのです。
 

特に年配の方は、朝夕のお参りには欠かさず寺院の周りを観音菩薩の真言「オンマニペメフン」と唱えながら、何度も回ってお参りしておられます。そして暇さえあればマニ車(お経が中に入れてある筒をクルクル回す佛具)を回してお参りをしておられます。ほとんどの皆さんは、観音菩薩の化身であるダライ・ラマ法王猊下を慕い、お参りしている時が一番幸せなのだそうです。「チベット人は信仰するために生きている」と言われているのは、まさにこの事なのです。
 

このように佛教と寺院を中心とした生活であるが故に、寺院が整備されて多くの僧侶が常駐出来るようになれば、難民居留区のキャンプ全体に活気が戻るのです。
 

カムカト寺は六十年程前にはカム地方(現中国の四川省)の大本山でありましたが、中国の弾圧から逃れて、インドのこの地に亡命してきた寺院なのです。往時はカム地方でも二番目に大きく立派な寺院で、格式も高く、数百人の僧侶が常に修行に励んでおられたそうです。(チベット全土には役七千の寺院がありましたが、その内の九割は破壊されています。)
 

三年半前の平成二十一年から、カムカト寺の住職さんと代表(亡命政府より派遣された人)、そして自治会代表の三者で委員会を結成して、僧坊建設に取り組んでおられました。
 

今回訪問してみると、二人部屋が七部屋とトイレ、シャワー室の僧坊がほぼ姿を現し、仕上げの段階に入っておりました。そして付随する食堂もすでに完成しており、私たちが訪れた時の歓迎の食事会が初使用となりました。
 

この地に亡命されてすでに五年になる住職のトゥルク・ペマナンギャル・リンポーチェ師(リンポーチェとは活佛に認定されている高僧)によると「十四人の僧侶が生活出来るようになれば、修行も充実出来て、若い小僧さん達を教育する事が出来る。また、何よりキャンプの人々の信仰を深める事が出来る。これもあなた達のお蔭です」という喜びとお礼の言葉を頂く事が出来ました。
 

またこの蓮華院からの支援の影響で「キャンプ外へ働きに出ている人や、海外に在住するサトゥン難民キャンプ出身者から寄付を頂く事が出来て、本堂の修理が出来る希望が見えてきた」と満面の笑顔で喜んでおられる皆さんの姿も印象的でした。

 

マチ興し・ふるさと作りの原点

 

次の青年会の事業は、アルティックによる五年前からの支援開始以来、今回ようやく軌道に乗り始めました。それまでは「打ち合わせ」と言えば自治会の長老ばかりが集まり、若い人や女性は一人も出席されていませんでした。ですから意見も発展性に乏しく、目先の要望ばかりで、してもらう事ばかりの意見でした。
 

しかし若者に集まってもらい、意見交換をする中で「あなた達がやりたい事を応援するよ」という形で、この青年会活動を支援し始めたのです。
 

その中で、伝統文化の継承のために民族舞踊を習得し、村人が集う様々な行事の時に披露する事になりました。先ず二年間で楽器と音響を揃え、次に衣装を揃えました。そして彼ら若い人々は、その間に音楽の先生を招聘して練習を積んで参りました。特にキャンプに住んでいるお年寄りが、良き先生になって下さっていたようで、若者とお年寄りの間で伝統舞踊を通じて新たなコミュニケーションが始まっているようでした。
 

今回特に驚かされたのが、以前はあまり意見を言わず、消極的だった青年たちが、自分達自身の思いを込めてやりたい事、将来のためにやるべき事などを活発に述べてくれるようになっていたのです。まさしく自分達が今出来る事に真剣に取り組み、そして外部からの支援を受け入れる態勢が整いつつあるように見受けられました。

 

自ら事を興す大切さ

 

これからの事業について彼らから出された意見は、幼稚園と小学三年生までの学校が欲しい、というものでした。しかし今までと違ったのは、施設の整備を青年会で全面的に参加し、運営にも協力するという積極的なものでした。
 

現在保育園に通う幼児が九名いるとの事で、もしキャンプ内に保育園が出来なければ、幼い子供を寄宿舎のある施設に預けるか、保護者ともども別のキャンプに移るかの選択しか残っていないという切実な訴えがありました。
 

しかし十三年前からこのキャンプを訪れている私達は、過去には小学校が在り、幼稚園も在った事を知っています。しかし学校は七~八年前に廃校になり、幼稚園も三年前に無くなっている現実を見てきました。そこに住む親としても出来るだけ教育環境の良い、設備の整った学校に子供を通わせたい、という話も伺っていましたので、先の申し出の意図をすぐには理解する事が出来ませんでした。
 

チベット社会も以前には兄弟が六~七人という子沢山の家庭が多かったのですが、近年は日本と同様に一人か二人程度と子供の数が減っているのが現状です。そして教育省の決まりとして、一学年十人以上の生徒がいなければ学校として認められなかったので、今までは已むを得ず学校が廃校になってしまったそうですが、最近は教育省も少ない人数でもキャンプの要望に応えられるように条件を変えてきているとの事でした。
 

この話し合いを踏まえて、青年会が全面的にバックアップし、自分たちの手で出来る事をするという条件で、彼らが行いたいと望む保育園支援を、アルティックの新規事業として始めたいと思っているところです。
 

難民キャンプに住む青年達と接することにより、この居留区が意欲的に変化していく様子が目に見えるようになりました。昔からよく、まち興しに必要なものについて「若者・よそ者・バカ者の三セットが揃って、初めて本物になる」と言われています。これからの化学反応が楽しみです。
 

東日本大震災から一年が過ぎた今、改めて思う事は、私達日本人も政府や地方行政に対して「あれをしてくれ、これが欲しい」と要求するだけでなく、自分達に何が出来るのか、自分自身がその仮設住宅地区や地域に対して何が出来るのかを真剣に考えて行動していかなければ、日本そのものが駄目になっていくように感じられました。




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