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大日乃光






大日乃光

2012年04月01日『大日乃光第2006号』(1)
「人々の悲しみを我が事として、日々の生活で御佛様と向き合う」

関西支部布教会の前日に、御尊像の最終打ち合わせ

 

去る三月十一日が東日本大震災からちょうど一周年であり、お亡くなりになった方々の一周忌です。二万人ほどの方々が、一瞬にしてお亡くなりになっているわけです。
 

この一周忌の日、私は関西支部布教会で京都に行っておりました。せっかく京都に行きましたので、昨年、この『大日乃光』の八月二十一日号で発表しましたように、蓮華院の中興が終わった締め括りのような意味で、御本尊様を新しく大きく造り直す事を発表しました。

布教会の前日に今村九十九大佛師との最終的な打ち合わせとして、御尊像の眉を少しだけ上げて頂くようお願いしました。眉を上げるとはどういう事かと言えば、優しいだけではなく、「皆さん達の願いをしっかり受け取っているよ!」という大らかで力強い、そういう佛様に出来上がりつつあります。御縁日としては、現在の御本尊様のお顔をこの本堂ではあと二回しか拝めません。皆さん、しっかり拝んでいって下さい。

 

東日本大震災の追悼と復興の集い

 

また同じく、この三月十一日は、私達が信者の皆さんから募金して頂いた浄財で支援を続けている福島県のいわき市内で、犠牲者の鎮魂と、復興の心を高めるための集いがありました。
 

その集いに私達は七年前からお付き合いのある、元チベットカム地方(現在の中国四川省)出身のバイマー・ヤンジンさんと、民族音楽の大家にしてインドの楽器「シタール」の名演奏者の若林忠宏さんにゲストとして参加して頂きました。
 

この集いを主催された、いわき市小名浜地区復興支援ボランティアセンター長の吉田さんと、ARTICの久家事務局長の報告によれば、とても素晴らしい集いになったとの事でした。特にバイマー・ヤンジンさんの話に、吉田さんはたいへん励まされたと言っておられました。その内容を、また聞きではありますが、少し再現してみましょう。

 

バイマー・ヤンジンさんの励ましの言葉

 

「私達チベット人は五十数年前から他民族によって支配を受け、たいへんな苦しみを味わっています。私は幸いにして今の主人と結婚して、大阪に来て、極楽のような日本で幸せに過ごしています。
 

しかし、自分の祖国が他民族に支配されている現状は何一つ改善されているわけではなく、人々の生活は益々追い込まれ、昨年からは抗議のために自らの身体に油をかけて、その身を焼いて死んでいった人々が二十六人にも及んでいます。海外に亡命しているチベット人は十五万人以上です。そしてその人々は、生きている間には決して祖国に帰れません。ユダヤ人が自分達の国(イスラエル)を造るのに二千年かかったように、私達も決して希望を捨てることなく、望みを次の世代にしっかりと継いでいかなければなりません。
 

昨年の原発事故で、故郷から逃れてきた人びとがここにはたくさんおられます。どうか皆さんも決して望みを捨てず、互いに励まし合って力強く生きて下さい。そしてぜひ、私も再びここに来て、皆さんたちの前で歌わせていただきたい」と言われたそうです。
 

それを聞いた多くの人々は大変感動されたそうです。自らも苦難を味わっている人が苦難について語れば、人は余計に感動して、理解も深まるわけですね。

 

C型肝炎と闘った一年半

 

私自身も、実は二年半前から大きな苦しみと悲しみを味わっています。

一昨年と先月、筋ジストロフィーの藤本猛夫さんの話を二回本誌に書きました。それは、私にとって大切な人が車椅子生活になっているので励まそうと思って、車椅子の大先輩の藤本さんの所に連れて行った話でした。私の大事な大切な人とは、実は私の家内のことでした。
 

家内は三人の娘を生む時に、血液製剤を使ったようです。それを使えば出血が止まるので、何度か使ったようです。ところがその後、その薬の副作用でC型肝炎を発症していました。
 

「このままでは、あと五年しか生命はありません。肝硬変になって癌になります」と医師から宣告を受けたんです。今から四年前です。インターフェロンの治療を受けたら助かるかもしれないとの事でした。私は家内から「どうしましょうか?」と相談を受けました。
 

私達は佛様に「お尋ね」して決めました。五年程で死ぬ可能性が非常に高い。その年から五年ですから、あと一年ぐらいしか生きられない、という状態だったのです。
 

「お尋ね」では、この治療でC型肝炎は治るかもしれないが、次の苦難があるかもしれないと、何か不吉な予感を受けながらも治療を始めました。すると幸いにして、C型肝炎は一年半でほぼ完治しました。しかし家内は相当苦しみました。抗癌剤のような副作用の苦しみがあったようです。

 

運命の十月十二日

 

そういう中で平成二十一年の十月十日、私は関西支部布教のために、京都に行きました。そこに「ものすごく頭が痛いのよ。拝んで下さい」と家内から電話が掛かってきました。すぐに拝みましたが、後でもう一度掛かってきて、どうも良くないと。「じゃあ明日、病院に行ってごらん」と言いました。その翌日は日曜日でしたが、家内は病院に行きました。その時は診察を受けても何も異常が見つからず、帰って来たそうです。薬を飲んで一応痛みは治まり、どうにか落ち着きました。
 

私が京都から帰って来たのが十一日です。すぐに「どうだった」と尋ねたら、「その時は苦しくて痛くて、列車に飛び込みたくなるほどだったけれども、今は治まっている」と言うんです。「それは苦しかったね、何だったんだろうかね…。霊障(霊的サワリ)はなかったんだよ」と言って、その翌日、運命の十月十二日を迎えました。
 

その日、いつものように私は祈祷を終え、朝ごはんを食べて、八時頃寝室を見ても、家内はまだ寝ていました。ちょっと疲れているのかなと思って、十時頃にもう一度みたら、声を掛けても返事がないのです。体を揺すっても意識が完全にありません。これはおかしい!と急いで救急車を呼び、私も一緒に救急車に飛び乗りました。

前日頭が痛いと言って診察して頂いたのと同じ病院に運ばれ、同じ機械を使って同じお医者さんに診て頂くと、今度は右脳にかなり大きく出血している様子が写されていました。重度の脳出血です。「今夜が峠です」と言われました。

 

そういう状態でしたが、その後娘と交代して、翌十三日の御縁日法要を終えて病院に行きました。その間、四六時中、家内のためにずっと拝んでいました。先生からは「生命は助かりましたが、かなりの麻痺が残るでしょう。言葉を喋れない可能性があります。その上、物を飲み込めないかもしれません」と、いくつもの障害が残る可能性を言われました。(続)

 




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