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2012年04月01日『大日乃光第2006号』(2)
「人々の悲しみを我が事として、日々の生活で御仏様と向き合う」
自責の念と妻に寄り添う日々
それから三日がかりで何とか生命はとりとめました。ところが四日目にはもうご飯が食べられまして、お医者さんがびっくりされたほどでした。その後、奥之院大祭があったり、八千枚護摩行を修したり、年末年始の行事などで、瞬く間に月日が流れました。その間に分かったことですが、本人が低血圧であったにも関わらず脳出血になったのは、インターフェロンによる治療の副作用ではないかという事でした。
昨年までの私は、自分の妻がこんな大病を患うとは恥ずかしいと思っていました。私の徳が足りず、努力が足りなかったのかな…等と色々悩みました。信者さん達の祈願を毎日受けている立場なのに、自分の女房も助けられなかったのか!と、もう残念で残念でたまりませんでした。
家内は少しずつ少しずつ回復していますけれども、未だに言葉が出ません。口喧嘩も出来なくなりました。非常に残念です。
それでもこうしていつも妻に寄り添っていると、今まで見えなかったものが見えてきたんです。祈祷師は人々の苦しみや悲しみをずっと我が身に感じながらと言うけれども、やっぱり自分自身に降りかからなければ、なかなか分からないという事があります。
ですからますます皆さんたちの苦しみや悲しみ、そういったものに寄り添わなければいけないという思いを、女房に寄り添いながら感じている日々であります。
悲しみと向き合う日々の生活
現在、家内は麻痺した右手に箸を持って、食事も食べられますし、自分でトイレに行って戻って来れるようになりました。私が寝ている時にも自分でトイレに行って帰ってくるほどで、ひょいひょいと車椅子を自由に操っています。私が手を取れば、本堂へのこの高い階段も歩いて上がって来れます。下りも行けます。
信者さんの中には「久美子奥さんは、どうされたんだろうな…」と心配されていた方も多いと思います。このままいつまでも隠し通すのも却って不自然かと思い、私の恥を偲んで、今日初めてお伝えしたところです。
そういった形で悲しみと向き合うことの意味を、理屈ではなく自分自身の体験として、こうして家内の病気によって教えて頂きました。一心に相手に寄り添うとか、人の言いたいことをよく聞くということの良い訓練と言うか、有り難い修行をさせて頂いていると、今は心から思っているところです。
涙を流せる幸せ
そういった中でも、嬉しいこともいっぱいあります。家内の機能が一つ一つ回復していくのです。
先週、家内は発病後、初めて涙を流しました。実は今までも涙を流せていないだけで、心の中ではいっぱい泣いていたんでしょうが、涙を流す機能が戻っていなかったんです。だから涙を流せるという一つだけでも私には有り難いことなんです。本当に嬉しかったですね。妻の涙がきらきらと輝いて見えました。
人には泣くほどの辛さもあるでしょうが、泣けない辛さというのもあるんだろうなと思いました。
「自然と歴史の悲しみを我が身の悲しみとしなければ、日本の美はなし崩しに崩れ去っていくに違いない」と言われた、荒木精之という文学者が熊本におられました。
自然や歴史の悲しみも、自分自身の個人としての、人間としての辛さや悲しみを深く経験することによって、なお一層、しっかりと向き合うことが出来るということを、身を以て感じています。
今苦難にある方は、どうか真剣に佛様にぶつかって頂いて、必ず苦難を乗り越えられるという勇気を持って、日々励んで頂きたいと思っております。合掌
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