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大日乃光






大日乃光

2012年04月23日大日乃光第2008号
地域や国の歴史をいま一度学び 子孫へしっかりと伝えよう

主権回復を「八重桜咲く春」と歌われた、昭和天皇の大御心

 

すでにこちら玉名では桜も葉桜に変わりつつある中で、奥之院への七曲り参道の八重桜が咲き始めました。一週間ほど前は花冷えする日が何日かありましたが、今ではもうすっかり暖かくなりました。
 

今を去る六十年前に、先の昭和天皇は、
 

 風さゆる

  み冬は過ぎて待ちに待ちし

   八重桜咲く春となりけり
 

と、御製(和歌)を歌われました。
 

これは寒さから脱して伸びやかで安らかなこの頃の季節と八重桜に託して、それまで七年間のアメリカを代表とする連合国軍(GHQ)による占領の時期を脱して、日本が晴れて独立し、国際社会に復帰した事を寿ぎ、待ち焦がれた国家の春を歌われたものです。この御製の日付は昭和二十七年四月二十八日となっています。
 

現代の日本では、この日が何の日であったのかを知る人はほとんどいません。昭和天皇がこの日を「待ちに待ちし」と字余りも顧みられず、そのお喜びも顕に歌われたのは「サンフランシスコ講和条約」が発効した記念すべき日だったからです。本来の意味で、先の大戦が名実共に終結したとも言える日なのです。
 

私は十九年前に蓮華院御廟(霊園)に特攻兵士の供養塔を建立したのを機に、日本の近代史を学び直す中でこの事を知り、先の昭和天皇の御製も知りました。

 

占領下で公布・施行された、主体性無き日本国憲法

 

この四月二十八日から五日後の五月三日が憲法記念日ですが、実際に新憲法が施行されたのは昭和二十二年の五月三日からですが、国家の基本法であり、通称「平和憲法」と称されている現在の憲法は、日本をGHQが占領し、国家としての主権が実質的に無かった時代に、あたかも日本人の主体性で制定されたかのように装いながら、GHQの原案を元に一部修正して制定されたのです。
 

このような事情を知る人は近年随分増えてきましたが、国家に主権のなかった時代に決められた国家の最高法規である憲法が、未だに一言一句変えられることなく六十年以上も続いているのです。

 

先祖を哀しませ、子孫に仇なす現行憲法下の日本

 

これは喩えて言えば、仲の悪い二つの家族があって、ついに争いとなったとします。その後勝った方が相手の家の家訓や家庭での慣習などを一方的に決めて、それを守らせたとします。その後、負けた家の者も何とか立ち直り、家族も皆元気に暮らしました。しかしその負けた家庭では、その後三世代に亘って他家から与えられた家訓を守り続けているとします。

このような状態を、負けた家のご先祖さん達は、果たして喜んでいるでしょうか?
喜ぶどころかその家庭はもうすでに、元の何々家とは全く違った家族になっていると言っても過言ではないでしょう。

 

場合によっては先祖を大切にする思いや習慣も失ってしまい、日々の経済生活の事だけしか考えず、先祖への感謝も供養もしなくなってしまったとしたら、そのような家族を皆さんはどう思われますか?
 

もう少し喩えを続けます。勝った家族から与えられた家訓には「決して他の家族と争ってはならない」「相手がどんな理不尽な事をしても決して暴力に訴えてはならない」「近所で火事があっても、お見舞金は出しても決して手助けしてはならない」といった具合に、他家から課された約束事に従って、六十年以上経った時、その家の人は周囲の人びとからどう思われるでしょうか? まともに付き合ってくれる人は、ほとんどいなくなってしまうのではないでしょうか?
 

それに加えて負けた家の人は、自分達の祖父母や先祖が生きた時代に行なった多くの事柄の中から、悪い面だけを選び出して子や孫に教え続けているとしたらどうでしょう。先祖や祖父母を誇りに思う事がなくなるどころか、もはや自らに流れる血汐をも呪う子供が育っていくことでしょう。そういった子供は、将来、果たして他人から信頼されるでしょうか? その子供本人も元気のない、ヤル気のない消極的な子供に育っていくに違いありません。

 

四月二十八日は、近代日本の新たな建国記念日

 

長々と喩え話をしましたが、賢明な方の多くは現代の日本社会が抱える様々な問題を、この喩え話の中から感じ取られた事でしょう。
 

来たる四月二十八日は、近代における日本の新しい誕生日でもあります。古くは二千六百七十二年前の神武天皇(日本の初代天皇)御即位の年に遡る、二月十一日の「建国記念の日」もありますが、この四月二十八日については子供達にその意味がしっかりと教えられていません。

それどころか多くの大人達の中で、「建国記念の日」をしっかりと自覚している人すら少なくなっているのが現状です。これは子供達自身に、自分の誕生日を大切にする事を家庭で教えないのと同じです。

 

世界中のほとんどの国々や民族は、その国や民族の歴史を教える時、希望が持てる輝かしい歴史を教え、国民として誇りが持てる様々な教育を施します。
 

先の喩え話の中の、争いに勝った隣の家から与えられた家訓を後生大事にしてきた変な家庭のように、日本では私達の先祖の歴史に泥を塗るような教育やしつけを施し続けているのではないでしょうか!

 

地球上に日本という国、無かりせば…

 

私は毎年この時期に、地元の九州看護福祉大学で「ボランティア論」を十年以上教えてきました。その最初の講義では、全国的に誇れる玉名の歴史を伝えています。それは、ほとんどの学生が玉名以外から来ているので、四年間学び、住むこの玉名を「第ニの故郷にしてもらいたい」との思いからです。
 

それからもう一つ、「日本」という国が人類史に果たした大きな歴史的役割を伝える時、こんな問い掛けを致します。「もし、地球上に日本という国、日本民族という民族が存在しなかったとしたら、現代の世界は一体どんな世界になっていると思いますか?」という問いです。
 

学生たちは自分なりに様々な答えを出してくれますが、私はこの様に話します。

「五百年前にコロンブスがアメリカ大陸を発見して以来、植民地を支配する白人と、植民地人(原住民)として支配されている有色人種との間で、未だに人種差別が続いているかもしれない」と。皆さんもこの事を少し考えてみて下さい。
 

日本が明治時代を迎えた頃、広大な中国大陸には欧州諸国によって「租界」という一種の居留区が設けられ、植民地同然の侵食を被り続けていました。他のアジアでは、英仏間で緩衝国と見做されたタイ以外、中近東のイスラム文化圏も含めてほとんどの国々が植民地となり、アフリカは言うに及ばず、中南米やオセアニアも含め、世界中の全てが欧米列強の植民地でした。この状況を変え得る国や民族が、世界中で日本以外に存在したでしょうか?
 

勿論近代日本の全てが良かったとは言えないでしょう。そうかと言って、日本の欠点をその良い点以上に強調して子や孫達に教えるのもいかがなものでしょうか?

 

長所を伸ばす教育から逆行する、日本の歴史教育

 

現代の教育は、一般的にその子がもつ可能性や特質の良い点を伸ばす事が主眼になっているように私には感じられますし、またそのような方針は正しいと思います。未だ充分な判断力のない幼い子の欠点だけを注意して矯正するやり方よりも、その子の長所を伸ばしてあげる方が良いように思います。
 

一人の人間を育てる上で、このような長所を伸ばす教育方針がある一方で、こと日本の近代史に関しては全く逆の事をやっているように感じるのは私だけでしょうか?
 

どうか皆さん、家庭においては祖父母や先祖の良き物語を子供にたくさん語ってあげて下さい。加えて子供達にとっては、今住んでいる場所がその子のふるさとになるのですから、その地域の歴史を自分自身も少しでも学び、子供達に教えてあげてください。
 

そしてそれ以上に、日本人の良き歴史やその輝かしい歩みを、少しでも多く子や孫達に伝えて頂きたいものです。

 

「南大門春まつり」は、蓮華院新生の時代への嚆矢

 

来たる四月二十三日は、南大門落慶からちょうど一周年に当たります。南大門の完成を機に、当山は中興の時代を終えて、新生の時代に入りました。そんな新生の意を込めて、今年から毎年四月二十九日を「南大門春まつり」と銘打って、将来は地元玉名の伝統のお祭りにしたいと考えました。
 

長年一緒に「マチづくり」「地域興し」を学び、実践してきた仲間の皆さんを中心にして、この春まつりの実行委員会を組織して頂きました。
 

全国的に有名な祭りは、そのほとんどが神社かお寺で始まったものです。当山の新たな歩みの一つとして、このお祭りを地元玉名の人々と共に盛り上げていきたいと思います。信者の皆さんも、ぜひご一緒に楽しんで頂きたいと思います。
 




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