2012年08月21日大日乃光第2019号
貫主拝命二十周年を機に蓮華院中興の回顧と展望(1)
接見の間に掲げた貫主拝命の辞令
八月七日の今日(執筆当時)は、当山にとって、私にとって記念すべき日です。
これは信者の皆さんにはあまり馴染みのないことですが、ちょうど二十年前のこの日に、奈良の総本山西大寺から当山の貫主(住職)としての辞令を頂いた日なのです。正式に当山の貫主になってちょうど二十年、この日は言わば、貫主としての成人の日でもあるのです。
今から二十年前の私は四十歳と二ヶ月の青年僧侶(僧侶の世界では四十歳は青年)でありました。貫主堂の接見の間(特別指導をする部屋)に、その本山からの辞令の書を今も掲げています。いま一つの辞令は、権大僧正に昇補された時のものです。
その当時の西大寺第七十世長老にして真言律宗管長の、故谷口光明和尚によって発せられたものです。
ついでながら先々代の開山是信大僧正様は、昭和三十五年、御年六十五歳の時に第六十九世長老の松本実道和尚から大僧正の僧位を頂かれました。先代の真如大僧正様も六十三歳の時に、同じく松本実道和尚より大僧正位を受けておられます。
歴史に連綿と受け継がれる真言律宗寺院の系譜
西大寺は称徳天皇(東大寺を建立された聖武天皇と光明皇后の娘の阿倍内親王。孝謙天皇として即位後、淳仁天皇を経て再度即位。史上六人目の女帝)によって平城京の西側に建立され、東大寺と対を為す大寺でありました。しかし皇室の力が相対的に衰えてくると、皇室が支えていた西大寺も衰退していきました。
鎌倉時代に入ると一世の大導師であり、当時の人々から「今釈迦」「生身の釈迦」と讃えられた興正菩薩叡尊上人が、西大寺を真言律の寺として中興されました。現在の第七十一世長老大矢実圓猊下は、この叡尊上人から数えて七十一代目の長老様なのです。
当山も約八百年前からそのまま続いていれば、私は五十世か六十世であった可能性があります。と申しますのは、当山と姉妹寺院のような佐賀の東妙寺の現法印(住職)は東妙寺第四十八世の早田法玄師で、第四十七世が私だったからです。このように古い歴史を継承して代を引き継ぐということは大変なことなのです。(続く)
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