2013年01月01日大日乃光第2031号
曇りなき眼で国や自身を見つめ、不都合にも動じぬ強い心構えを
新年のお言葉
*〝年々是好年〟の心構え*
新年明けましておめでとうございます。
全国の信者の皆様にとって、昨年がどんな年だったのか?良い年だったのか?それとも苦難の多い年だったのかは分かりませんが、この年が良い年かそうでなかったのかは、あくまで主観的な感じ方で大きく左右されるものです。
「日々是好日」という言葉があります。その意味で言えば、〝年々是好年〟ということも出来ます。そもそも「日々是好日」とは読んで字の如く、「日々毎日が好ましい日、良き日である」ということですが、私達の現実の生活では、毎日が良い日とはいきません。先代の言葉に、「自分に都合の良い時だけ感謝するのは本当の感謝ではない!」という言葉があります。
私達は自分にとって都合の良い事、つまり運が良く助かった、良い出会いがあった、思い通りに事が運んだなどの時は「有り難い」「嬉しい」と思います。しかしちょっとタイミングがずれたり、自分のやり方が違えば、全く逆の結果になる事もあり得ます。そんな時は「困った」「どうして自分は運が悪いんだ」などと思ってしまいます。
*生きることの全てに感謝*
ある方からこんな便りを頂きました。
私は二人の子供を持つ四十六歳の主婦です。数年前から子育ても一段落したので、私の住む街のフラワーショップに勤めています。若い頃、将来花屋に勤めたかった夢が叶って、現在フラワーショップの仕事をさせて頂く事が出来て、嬉しくて嬉しくて感謝で一杯です。本当に坂村真民先生の「念ずれば花ひらく」です。思い続けたことは叶うのだ、と喜びの毎日を送っています。
この頃、実感として感じるのは、生きるという事は全て感謝だと思うのです。いつの頃からか、自然とこのように思う様になったのです。ですから自分の誕生日は皆さんに祝ってもらうものでなく、一年間、皆さんのお陰で過ごせたのだという感謝の誕生日だと思います。その日はプレゼントを貰うのでなく、皆さんにプレゼントをあげたいほどです。フラワーショップでの仕事は、皆さんに幸せをあげるお手伝いと思っています。
「全て感謝だと思うのです」とは何と素晴らしい生き方でしょう。そして感謝の心で念じ続ける事の大切さ、「皆さんに幸せをあげるお手伝い」という、仕事をする上での心構えは見習うべきものが多く、感動しました。
*新年の挨拶は、日本人の良き習慣*
かつて日本では年齢を〝数え年〟で数え、そして皆が正月に同じく年齢を重ねていました。言わば昔の私達は、元旦が誕生日であったと言っても良いでしょう。そして元旦は、日本そのものの誕生日という趣がありました。
その前の十二月に忘年会をして、良かった事も悪かった事も全てを水に流して、新年を心機一転して、正月からは新たな気持ちでお互いに「新年明けましておめでとう」と言い交わしたのです。この新年の挨拶は現在でもしっかりと残る良き習慣です。
室町時代の名僧、一休禅師は正月早々、髑髏を付けた杖を突きながら、
「門松は冥土の旅の一里塚、めでたくもありめでたくもなし」
と、正月気分に浮かれる人々をたしなめたと伝えられています。
正月に「おめでとう」ということの「めでたい」の中に、自分に都合の良い事も悪い事も丸ごと受け入れて、それでも新年が訪れた事に感謝の意を込めて、「新年おめでとうございます」との言葉を交わし合いたいものです。
*史実を歪曲する周辺諸国*
近年は、日本にとって不都合な事態が国際社会で色々と起きています。この文を書いている現時点(十二月八日)ではどんな政権が出来ているかは分かりませんが、国家を個人、個別の家族に当てはめて、喩え話を少し致します。
一人の人間の過去は、その人の心の持ち方を変える事によって、現在の生き方が変わるという事は、前回の真弘さんの内観の事からも充分に理解して頂けたと思います。
これは自分にとって不都合と思っていた事や、悪い記憶も相手の立場で見つめ直す事によって、それが自分の思い違いであった事などが感情のもつれとなり、人間関係が悪化していたのが一気に晴れる事があります。
一方、近年の外交関係において、日本の過去を事実ではなかった事まで、さも実際に起きた歴史的な事実のように国民に教え込んでいる国が、私の知る限り周辺に三ヶ国あります。その国がどの国かはあえて申しません。
事実であるかないかは別にして、それらの国から日本は何度も何度も道徳的な批判を受け続けてきました。その事をしっかりと検証する事なく、日本のマスコミや時の政権は、相手の言い分を大方で受け入れてきました。その結果、多くの日本人は間違った歴史認識に基づいて、「日本は悪い国だった」「アジアの国々に多大な迷惑を与えてきた」と思っています。
これは七十年程前の時代からの、東アジアでの一部の歴史の事です。
*この世界に日本無かりせば*
ではここでもし、日本という国が無かったとしたら、明治維新もなく、日露戦争も、大東亜戦争も無いわけです。そうだとして少し長い歴史のスパンで考えてみて下さい。現在の世界地図はどうなっていたと思われますか?
少なくともこの五百年間、スペイン、ポルトガル、イギリス、フランス、オランダ、アメリカなど西洋の国々が次々にアジアやアフリカ、中南米を植民地にしてきました。そんな中、百年前の日露戦争で、もし日本がロシアに負けていたとしたら、今の中国を始め、アジアの国々はどうなっていたでしょうか?また日本はどうなっていたでしょうか?
恐らく今の中国の北半分をロシアが、南半分をイギリスやドイツ、フランス、はたまた当時の新興国アメリカもどこかに植民地を持っていたかもしれません。朝鮮半島はロシアの植民地。東南アジアの国々は未だにイギリス、オランダ、フランスの植民地。インドやスリランカもイギリスの植民地のままだったと想像できます。そして私達日本人も、果たして日本語を話しているでしょうか?
先の問いに対して、ある人は「明治維新がなかったとしたら、世界は未だにアパルトヘイト(人種隔離政策)でしょう。欧米の植民地拡大の流れを止め得る国は、地球上で日本以外には存在しませんでした」と言われました。この言葉に二十数年前の私は目からウロコが落ちました。
明治維新の世界史的な意義と価値は、この「明治維新がなかったとしたら」という問い掛けによって明らかになってきます。その結果、日本という国の世界史における価値が、いかに大きなものであったかを気付かせてくれました。
明治維新を成し遂げた百四十年前の先人達が、どんな思いで世界と対峙しておられたのかを思えば、現代の日本を取り巻く東アジアの情勢など、取るに足らない問題にさえ思えるほどです。
*世界に範を示す日本人の気質*
明治以来の日本人は、その時代時代の国際条約を誠実に遵守してきました。一昨年の東日本大震災で忍耐強さと規律正しさを世界に示した東北の人々もその子孫であり、自らの犠牲をも顧みないその勇気と献身は、世界の人々を感動させました。
あれ以降、アメリカで起きたハリケーンの災害時にも、従来とは違って暴動が起きたとはほとんど聞いていません。世界の人々が東日本大震災で見せた日本人の規律と優しさに学んだ結果ではなかったかと思います。
個人にとっても、国にとっても「不都合な事柄は、必ずや解決できる問題である!」といった強い心構えと気迫で、新年から新たな気持で歩み出したいものです。合 掌
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