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大日乃光






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2013年01月21日大日乃光2032号
宗教の存在意義が問われるミャンマー/ビルマのご遺骨帰國運動

日常生活の三項目
 
新年が明けて十三日になりましたが、やはり今年初めてお目にかかる皆様に、「新年明けましておめでとうございます」と申し上げます。

毎年、この初まいりのご法話では、左記の日常生活における三項目を勧めて参りました。

①朝から互いに挨拶を交わしましょう。そして佛様・ご先祖様への挨拶をして朝のお参りを致しましょう。

②食事の時、合掌して「いただきます」「ごちそうさま」と言いましょう。これは食べ物への感謝を通じてすべてのものへの感謝の心を育む元になります。

③履き物を揃えましょう。
これは、具体的に自分の足元を見つめることを通して、現在に至るまでの過去を振り返り、現在を確認するためのものです。

今日はこの三項目の中の、③履き物を揃えることにちなんでお話を致します。
 
〝足の裏が教えるもの〟とは
 
去る一月六日に誕生日を迎えた友人にお祝いのメッセージを送ったところ「脚下照顧(きゃっかしょうこ)、日々精進で努めます!」と返事が来ました。その方はご自分の誕生日が異説のイエス・キリストの誕生日(一般的には十二月二十五日)でもある事を知っておられ、また熊本が生んだ世界的な詩人である坂村真民先生と同じ誕生日である事も知っておられました。真民先生の詩に、「尊いのは足の裏である」という詩があります。

『尊いのは足の裏である』

  1
 尊いのは
 頭でなく
 手でなく
 足の裏である
 一生人に知られず
 一生きたない処と接し
 黙々として
 その努めを果たしてゆく
 足の裏が教えるもの
 しんみんよ
 足の裏的な仕事をし
 足の裏的な人間になれ

  2
 頭から
 光が出る
 まだまだだめ
 額から
 光が出る
 まだまだいかん
 足の裏から
 光が出る
 そのような方こそ
 本当に偉い人である

『詩集 念ずれば花ひらく』より
(サンマーク出版 /一九九八年刊)
 
〝脚下照顧〟足元を見つめ直す
 
禅宗の寺の玄関には「脚下照顧」と書かれた木札が置かれている事があります。これは「自分の足元を見つめて自らを顧みるべし」という意味です。

「自分の足元」と言う時、単に実際の両足のことにとどまらず、「自分の日常生活のあり方」さらには「自分を支えて下さっている全てのもの」、そして「自分のこれまでと、今の自分のあり方」、更に広くは「自分の家族や日本民族の歩んできた歴史と現在の私達の生き方」というところまで広げて考える事が出来ます。
 
心に響いた魂の叫び
 
昨年九月、私はミャンマー(旧ビルマ)で九十七歳になられる旧日本軍兵士だった一人のご老人の魂の叫びを間接的に聴きました。それは、「ワシは六十年間戦友のお墓を守って来た。いつか日本人が来てくれて、戦友達の遺骨を祖国に連れ帰ってくれるのを待っていた。聞けば日本人のお坊さんが近くに来ていたそうな。ワシの目の黒いうちに多くの戦友達を帰国させてくれ!!」というものでした。

誠に残念なことに、この方はついに昨年末に亡くなったと聞きました。名前もまだ知らないこの方の訴えが、私の心に火を付けたのです。この方こそ〝足の裏から光が出る〟お方だったのではないかと思います。

四万五千を超える多くの旧日本軍兵士、日本軍属の方々が未だに四千八百キロも祖国を離れたミャンマーのジャングルの中に打ち捨てられるようにして眠っておられるのです。

そこで私は大晦日に『大日乃光』編集部の職員に頼んで以下の文章を印刷し、除夜の鐘から正月の初詣にお参りして頂く人びとに、配布させて頂きました。
 
『ミャンマー/ビルマご遺骨帰國運動への募金のお願い』
 
「自然と歴史の悲しみが我が身の悲しみとならなければ、日本の美はなし崩しに崩れ去っていくに違いない」 荒木精之(熊本の哲人)

昨年は先の大戦の後、我が国が国際社会に復帰して六十年という記念すべき年でした。
終戦より六十八年を経た今も、戦場に散った旧日本軍の方々の多数のご遺骨が、祖国にお帰りになることも叶わず、ミャンマー/ビルマには四万五千六百十柱のご遺骨が眠っておられます。一方、一昨年は未曽有の大震災による犠牲者が一万八千八百七十七人、行方不明者二千八百四十六人であります。

大震災は自然のもたらす悲しみであり、ビルマなどに忘れ去られた未帰国のご遺骨はまさに歴史の悲しみの象徴であります。

この自然と歴史の悲しみを私達一人びとりが身近に引き受けることが、私達の祖先より引き継いだ麗しき文化、美しき伝統を再生させるきっかけになるに違いありません。

皆さまもご存知のように、近年ミャンマー(ビルマ)は急速に民主化し、和平が進展しています。少数民族支配地域で真の和平に向けての活動をしている井本勝幸師により、これら少数民族支配地域(十一地区)の旧日本軍のご遺骨の調査が始められています。

昨年秋より日本国中の六宗派にまたがる有志の僧侶、加えて別載の「呼びかけ人」の方々のご協力により、ご遺骨帰国への明確な道筋が確立いたしました。厚生労働省援護局、並びに外務省の支援体制も調い、現地の調査次第によっては本年中にも一部のご遺骨のご帰国が叶う可能性も高くなっております。

しかし、ミャンマーが未だ完全なる和平に至っていない状況では、厚労省は現地の事前調査に二の足を踏んでおります。そこで私達は、広く国民の皆さまに本運動へのご理解を賜り、その熱意により政府を動かすために、ここに広く国民の皆様に「ミャンマー/ビルマご遺骨帰國運動」の趣旨のご理解と、浄財募金のご協力をお願いする次第であります。

ミャンマー/ビルマの民主化の進展を受け、我が国においても経済投資の機運が高まっていますが、経済進出の前に、歴史の悲しみである旧日本軍のご遺骨のご帰国を成し遂げることこそ、ミャンマー/ビルマの人々との深い友情と信頼の醸成に寄与するものと確信します。

何卒、物心両面からなる多大なるご支援とご協力をお願いいたします。
合 掌
平成二十五年元旦
 
〝足の裏的な働き〟で、日本人の歴史の足元を照らす
 
この運動が私達の歴史の足元を照らし、顧みる一つの契機となる事を念じながら、私はなるべく〝足の裏的な働き〟に徹して、この運動を支えようと決意しております。先の大戦を実際に生きられた方々は八十代、九十代になっておられます。もう残された時間は限られています。

戦後教育で育った七十代未満の大多数の日本人は、先の世代の方々がどんな思いと信念で、あの大変な時代を生きて来られたのかを少しでも学び、共感する事こそが、我が国の国家社会全体が〝脚下照顧〟する事に通じると信じております。

近年日本社会では、宗教の存在意義が問われています。そんな中で、この運動は私達宗教者自身が改めて、その社会的な使命や役割を確認する一つのきっかけとなれば、との思いを抱いております。

一方当山では五年後の、来たる平成三十年の皇円大菩薩様八百五十年大遠忌をお迎えします。その事前行事として、三月十八日から御入定の地桜ヶ池と、長野の善光寺への巡礼を、多くの全国の信者の皆様と一緒に歩く中で、皇円大菩薩様のみ心を〝足の裏〟から実感出来るのを楽しみに致しております。 合掌



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