2013年03月11日大日乃光2037号
『人の痛みを我が痛みに、そして喜びを分かち合う』
『人の痛みを我が痛みにそして喜びを分かち合う』
アルティック専務理事 川原光祐
毎年一月の元旦号で、れんげ国際ボランティア会(アルティック=ARTIC)の新年の抱負を掲載しています。ところが今年は特に大きな変化が予想されますので、先月の二月六日から十五日の十日間、インドのダラムサラにあるチベット亡命政府の教育省と内務省、そしてサトゥン難民居留区(難民キャンプ)を訪問して見聞したことに加えて、ミャンマー国内での今後の活動内容をご報告致します。
チベット難民キャンプで伺った 過酷な弾圧の生の〝痛み〟
私たちはニュースやインターネットで、中国におけるチベット民族やウイグル民族などの少数民族に対する非人道的な弾圧を目にすることがあります。今回、中国当局に実際に拘束されて、拷問を受けた経験をお持ちの方の生の体験を聞くことが出来ました。
アソーさん(Asang,四十三歳)は一九八八年、当時十七歳の時、チベット蜂起のデモに参加されたそうです。そして多くの仲間と共に逮捕され、五ヶ月間投獄されていたそうです。
最初の四ヶ月間は大変な拷問を受けたそうです。その様子は、毎日毎日同じ質問を繰り返し尋ねられ、少しでも前の答えと違っていたりすると電気棒で突かれたり、殴られる事の繰り返しだったそうで、電気棒が振るわれるたびに気絶し、また時には小さな〝指手錠〟を後ろ手にかけられて、無防備になった腹を尖った靴で蹴られ、血を吐いて気を失うことが度々だったそうです。
しかし最後の一ヶ月間は尋問も無く、ただ投獄されていたのですが、五ヶ月経ってようやく八十名の人々と共に釈放されたという事でした。
逮捕されても裁判は行われず、警察の判断で死刑が決まったり、釈放されることになったりで、行方不明になった仲間の方々も数多くおられるそうです。
翌年の一九八九年に、彼はデモをしている傍で「三人が一緒にいた」というだけの理由で、またもや逮捕されたそうです。しかしこの時は一ヶ月間の投獄で、厳しい取り調べや拷問を受けることなく釈放されたそうです。
中国国内がこのような状態でしたので、翌一九九〇年に、彼はついにインドに亡命することになったのだそうです。
そして彼は今年の三月に、中国で不法に逮捕されたり拷問を受けた人々をオーストリアが第三国定住者として年間十数名受け入れている、その中の一人に選ばれたそうです。
もし私たちがアソーさんのように中国で生まれていたら、就学や発言の自由も無く、裁判を受ける権利も自由に移動する権利も無く、ましてや信仰の自由さえも制限されているのです。
それらの体験をしたアソーさんから直接聞きながら、本当に恐ろしいと思いました。平和な日本に生まれた事が、いかに幸せな事なのかを改めて実感しました。
カム・カト寺での嬉しい副産物
これからお伝えする事業は、れんげ国際ボランティア会の支援ではありません。寺院から寺院に対しての、蓮華院からの宗教支援として、三年前から行なってきた事です。
その宗教支援のお寺、カム・カト寺はチベット本土のカム地方では歴史と格式のあるニンマ派の大本山でした。常に数百人が修行していた大寺院でしたが、先代リンポーチェ(生まれ変わりの活佛)がインドのサトゥンに亡命されて以来、サトゥン難民キャンプに建立された小さな寺院です。
建立当初は二千人以上のキャンプの住民の中で、修行僧もある程度居られて、難民キャンプの中心的存在でした。
しかし五十年程経った現在は本堂もボロボロで雨漏りがしたり、壁が崩れ落ちそうな状態になり、僧坊も無かったので、常駐の僧侶が僅か二名になってしまっていました。そしてキャンプの人口も二百人程に減少してしまっている上、高齢化が進んで活気が無くなるなど、全てが悪循環に陥っているようでした。
しかし「心の支えとなっているお寺を建て直す事が、キャンプをも建て直す事に繋がる」との現トゥルク・ペマナンギャル・リンポーチェの願いに応えて、蓮華院から直接支援する事になったのです。
今回訪問してみますと、僧坊と食堂(じきどう)が綺麗に完成していました。しかし僧坊と食堂を建設する分の資金までしか支援を行なっていなかったにも関わらず、本堂の壁が綺麗に修復されている最中なのです。
不思議に思い、リンポーチェに、「これはどうなっているのですか?」と尋ねたら、「キャンプの人達が『僧坊と食堂が綺麗に出来上がったら、隣に建っている本堂が余りにも汚く見すぼらしい。何とかしなくては』と言い出して、自治会と青年会を中心に芳名帳を作り、キャンプから外国に移住した人や他の地域に移り住んだ人々に手紙を出したり、直接お願いをしたりして、寄付を集めてくれている」という事でした。
言わば蓮華院の支援が〝誘い水〟となり、住民自身の心に自立心が芽生え、行動に現れたのです。このように、ただ外からの支援を待っているだけではなく、自ら行動を起こされた事は、大変望ましい方向に進みだしているように感じて、心から嬉しく思います。
何事も思うようには行きません 三歩進んで二歩下がる
しかしカム・カト寺院僧坊建設支援より先に始めていた青年会活動が、昨年はストップしていました。一昨年までは楽器や衣装を揃えたり、民族舞踊の講師を招いて練習をしたりして
いたのですが、人数が集まらないなどの理由を付けて、ほとんど練習出来ていませんでした。
これには、以下に記すような事情がありました。皆様もまだご記憶にあると思いますが、長野での聖火リレーを善光寺さんが反対された五年前の北京オリンピックの時から、少数民族に対する弾圧が厳しくなりました。特にチベット自治区では三人以上が集まれば、即逮捕投獄されたり、宗教活動を弾圧されたりと、それまで以上に厳しい状況に陥りました。
そのような中で唯一残されたのが、自分自身の体に油をかけ、火を付けて「焼身抗議」をする事でした。世界の人達にチベットの苦しみを理解して頂き、チベットの置かれている現状を発信するために、すでに百人を超える人々が、この「焼身抗議」で亡くなられているのです。
このような事態を重く受け止め、チベット亡命政府は三年前から正月や法王猊下の誕生日のお祝い等の時でさえ、亡くなられた方々への追悼のお参りだけにして、楽しいお祭り騒ぎを控えるようにとのお願いを出されたのです。
ですからサトゥン難民キャンプでも、青年たちによる民族舞踊のお披露目が、ここ三年間出来なかったのです。残念な事ですが、練習しても披露する場が無くなり、目標を見失ってしまい、練習もしなくなったようです。しかしお寺の方で冬休みの二ヶ月間を利用して、チベット文化やチベット佛教を教える「寺子屋」を開催したいとの要望が出されました。そこで青年会だけで伝承するのではなく、子どもたちに民族舞踊を教えることを提案いたしました。
自身が修練するだけでなく、年下の子供たちに教える事で、喜びを見つけられる事と思います。また来年このキャンプを訪れる時は、お寺と青年会が、共に「寺子屋」を行なっている事と思います。
前進したり後退したりとなかなかスムーズには前に進みませんが、少しずつでも前進して、必ずより良いキャンプ、より良いチベット、より良い世界が開ける事を願って止みません。
ミャンマー難民支援とともに進む 認定NPO法人への飛躍
一方、昨年のアルティック理事会で決定したミャンマー本国への支援活動として、今年の理事会ではミャンマー国内のカレン州で、タイのメラマートの町のモエ川向かいの場所(ミャンマー難民キャンプから約三十キロの地点)において、農業研修センターを設立する事が決定しました。
これは二年後には閉鎖される予定の難民キャンプの人々が、祖国に帰ってからの生活を支えるためのものです。すでに三回に亘る調査を終えて現地スタッフも決まり、いよいよ今回から建物を建てる事になっています。
いま一つは日本財団からの委託事業として、五月からミャンマー南部のイラワジ管区で三十校の小学校の再建及び創建事業が始まります。これはただ単に学校を建てるのではなく、その地区の人々の意欲を引き出しながら建設委員会を立ち上げ、将来的に学校の維持運営が出来るような仕組みまで作り上げるといった「農村開発事業」でもあります。
何とこの地域は、五年前に「ミャンマー・サイクロン緊急支援」として皆さんからご協力頂いた地域でもあります。詳しくは事業の進み具合に合わせて、改めてご報告したいと思います。
何れにしても、今年はアルティックにとって、飛躍の年になる事は間違いありません。そんな中で、これまでは一般のNPO法人であったアルティックは、いよいよもう一つ上のステージとも言える認定NPO法人として申請しています。認定の暁には皆様と一緒にお祝いしたいものです。合 掌
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