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大日乃光






大日乃光

2013年04月11日大日乃光第2040号
「お釈迦様の誕生日はお母さんの恩を思う日」

大反響の「ラジオ深夜便」

少し古い話になりますが、去る三月二十日の午前四時から、NHK「ラジオ深夜便」の「明日へのことば」という番組に、当山の教師にして蓮華院内観研修所所長の大山真弘さんが『母の恩に報いてきましたか?』というテーマで出演されました。

去る二月二十六日に、NHKの担当の方が来山されてインタビューを収録されたのですが、その日は奇しくも真弘さんの誕生日の当日でした。

私は以前から「自分の誕生日はお母さんに感謝する日にしましょう」と言って参りましたので、真弘さんはまさに自分の誕生日に「お母さんにしてもらったこと」を実感しながら、感無量の中でのインタビューとなったことでしょう。

加えて不思議な巡り合わせを感じたのは、この番組の案内役をされている須磨佳津江さんが、一昨年の南大門落慶を記念して玉名で開催したシンポジウムに講師として出演されていた事です。番組の中でも須磨さんご自身が懐かしそうに、当時の事を話しておられました。

信者の皆さんは感謝の達人

内観についてはこれまで幾度となく本誌でもお伝えして参りましたが、真弘さんが番組の中で「内観は〝幸せの増幅装置〟である」という表現をされた事について、全面的に賛同しました。

これに少し似た事として、熱心な信者さん達に対して私が常々感じる事は、「熱心な信者さん達は〝感謝の達人〟だなー」と思う事です。

内観のように具体的に自分の周りの人びとからの恩を調べなくても、御本尊皇円大菩薩様の絶大なる御霊力によるお恵みや、御霊験によるご利益のご恩によって、深い感謝の心を育てて来られたからに違いありません。

内観の反省と、信心の反省

当山の三信条「反省」「感謝」「奉仕」の中で、内観は自分自身を深い反省に導く、誰でも出来る良き手立てであります。

特に内観は他人に言われて気付くのではなく、自分自身で自発的に気付いて行く、心の深い所からの気付きから展開して行く反省ですから、その感動はより大きく、自分を変える力になるのです。

他人や外から与えられた考え方や教訓とは違って、深く長くその人を変えて行く力になるのが内観の良い点です。

それに対して信心による反省は、み佛様からの恩恵への感動を伴った感謝が出発点となり、「こんな自分にも大いなるお守りやお恵みを頂いた」という思いから出発し、「このお恵みに対して、果たして自分は相応しいのだろうか?」更には「もったいない!」「有り難い!」という思いから、自分自身を省みる反省や内省に向かうと言えるでしょう。

中にはご利益を頂いて有り難いとは思っても、「もったいない!自分にはこのようなご利益を頂く資格があるのだろうか?」という風には自分を省みない方もおられるようです。

そのようなお方には、当山で二十五年も続けてきた、先の内観を実修して頂く事を是非お薦めしたいと思います。

奉仕の実践は「慈悲行」と「一食布施」から

また「反省」から「感謝」に向かわない方でも、第三番目の「奉仕」に向かうために、当山では海外の恵み薄い難民の方々に対する「一食布施」や「慈悲行」などを実行して頂く事を三十三年前からお勧めして参りました。

「一食布施」とは一ヶ月の内の八日と二十日の二回、一日三食の中の一食を食べずにそれに要する費用を募金して頂くという布施行です。その際少しばかりひもじい思いをする事によって、世界の不条理の中で苦しんでいる人々や、不幸な境遇に喘ぐ人びとに思いを巡らせて頂くのです。

「慈悲行」は、随時の募金を含めた当山で行う募金の事です。これも「一食布施」と同じく、今の自分に比べて比較にならない程の不幸の中で生きる人びとに思いを馳せて頂きながら、募金して頂くものです。

このように世界の不幸な人びとに心を向ける中で、今の自分の小さな不幸とは比べものにならない深い悲しみや痛みに想像力を働かせて頂く中で、「有り難い」「もったいない」という思いが強まり、ひいては今の生活のあり方を振り返ることにも繋がります。そして自らを省りみて、自らを見つめ直す事を通じて深い反省に至る人が多くおられます。

内観は本来、浄土真宗木辺派の「身調べ」という修行から宗教色を取り去った心理療法という形態になっていますが、当山では信者の皆さんにも人生の節目などで実修して頂きたい有効なものが数多くありますので、是非ともお薦めしたいと思います。信仰を別の形で確認して、更に深める大きなきっかけになると確信しております。

お釈迦様が内観をされたなら

さて、四月八日はお釈迦様のお誕生日です。

お釈迦様がお生まれになってわずか七日後、お釈迦様をこの世に生み出されたお母様である摩耶夫人は亡くなられてしまいます。生母を早くに亡くされた事は、お釈迦様にどんな影響を与えたのでしょうか?

もしお釈迦様が内観を通じて「お母さんにしてもらったこと」「お母さんにしてあげたこと」「お母さんにご迷惑をかけたこと」を調べられたらどんな事を感じられるのでしょうか?

私達には及びもつかない深い思索をされたお方ですから、全く私の思いの及ばないことですが、やはり人の子としてこの世に生を享けておられたお釈迦様ですから、私達と同じ内省もあるかと思います。

最近、二人の娘がそれぞれ孫を生んでくれたので、その時の事から想像して書いてみましょう。

〈して頂いたこと〉
自分を生み出すために重い体を厭わず、日々胎内の自分に優しい声を掛けて頂いた事。胎児である自分のために食べ物の好き嫌いをせずにたくさん食べて頂いた事。生まれてからの準備を色々として下さった事。身の置き処もない程の陣痛の苦しみをその身に受けて頂いた事。生まれてからは宝を得たように喜んで頂いた事、などなど。

〈して差し上げたこと〉
何もない。何一つない…

〈迷惑をかけたこと〉
自分を生み出すために大きな苦しみを与えた事。胎内にいる間、ツワリの苦しみを与えてしまった事。出産の不安を与えた事。自分の出産で命まで奪ってしまった事…

お釈迦様を生み出した生母との愛別離苦
 
このようにして生んで下さった母親を亡くされたお釈迦様は、摩耶夫人の妹、摩訶波闍波提(マハー・パジャーパティ)を乳母として養育されました。

この母親代わりの摩訶波闍波提は後に出家を許されて初の比丘尼となられましたが、亡くなられた時にはお釈迦様は阿難(お釈迦様の十大弟子の一人、〝多聞第一〟)、難陀(摩訶波闍波提の息子、お釈迦様の従弟)、羅云(羅ご羅、お釈迦様の息子)、舎利佛(〝智慧第一〟)、目連(摩訶目けん連、〝神通第一〟)等の弟子を引き連れて自ら舎利を供養し、起塔されたと伝えられています。(『増一阿含経』『大愛道般泥涅槃経』『佛母般涅槃経』等より)

亡き生みの母への深い思いが、人類の苦悩を自分の苦しみと感じられたであろうと想像されます。言わば生母の死が、後の偉大な人類の大導師であられるお釈迦様を生み出したと申しても過言ではないのではないでしょうか?

四月八日のお釈迦様の誕生日は、全ての人が自分のお母さんの恩を考える日にしてはいかがでしょうか?

挫折は更なる成長への糧

人生には良い事も悪い事も色々ありますが、一見不幸に見える事柄でも、長い目で見れば大きな意味となる事があります。

私たちは目の前の良い事、悪い事に一喜一憂しますが、もっと高い所から見る。つまり佛様の視点から見れば、一見不幸と思える事の中に、実は大切なメッセージが隠されている事があるのです。

例えば、今回受験に失敗した人に敢えて言いたのです。人生は、なるべく早い時期に挫折を味わった方が良いのです。人はその挫折から立ち上がる時、これまでにない成長を遂げる事が出来るからです。

このように、今、何らかの挫折の中に居る人こそ、当山で内観をして頂ければ良き成長への大きなきっかけとなるに違いありません。

深い反省から強い感謝の念が沸き起こり、さらには自分の使命に気付き、人生の意味に気付く事にもなるに違いありません。合掌



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