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2013年05月21日大日乃光
憲法改正の機運を前に家族で「家訓」を作ってみよう

祝日に秘められた東京裁判の知られざる思惑

今日は憲法記念日です。以前はこの日に奥之院の春の大祭を〝大梵鐘まつり〟として行なっていましたので、この日が憲法記念日である事をあまり実感していませんでした。

たまたま今朝、NHKラジオの「今日は何の日」という番組で、昭和二十一年五月三日は「極東国際軍事裁判」(いわゆる東京裁判)の審理が開始された日と伝えていました。

また、その四日前の四月二十九日、当時の昭和天皇の誕生日に、この軍事裁判の起訴が行なわれていた事も後で知りました。その後、A級戦犯の判決を受けた中の七人の絞首刑が当時の皇太子殿下(現在の天皇陛下)の誕生日、十二月二十三日に執行されています。

つまり、昭和天皇の四十五歳の誕生日に〝平和に対する罪〟などの、当時確定していない罪名によって日本の指導者達が起訴され、当時の皇太子殿下の十五歳の誕生日に刑が執行されたのです。

後々の日本人に東京裁判が忘れられない日になるよう計画的に、そして悪意に満ちた意図で定められたのが窺われます。

〝屈辱〟の?憲法記念日

そしてまた東京裁判の審理に入って丸一年後に、当時のGHQの民政局の数人によって一週間ほどで作成された、現在の「平和憲法」と呼ばれている憲法が、当時の日本政府に押し付ける形で与えられました。

そしてこれまた戦前の指導者達を裁き始めた五月三日に、裁判については何も知らされていない一般の日本人に向けて、天皇陛下の名の下に発布されたのでした。GHQはもっと順調に国内の手続きが進んでいれば、この憲法を二月十一日の建国記念日に発布する意図があった事も分かってきました。

こんな経緯を知るにつけ、今日のこの〝憲法記念日〟そのものが、屈辱の日と思うのは言い過ぎでしょうか?

GHQは主権のない当時の日本において、マッカーサーが作った条例に基づいて、当時の国際法に照らせば何の根拠もない〝平和に対する罪〟という後付けの手続きで日本を裁こうとしたのです。

そして日本に主権がなかったこの時期に、一方では東京裁判で審理を開始し、他方ではこのお仕着せの憲法を、さも日本人自身の手で作られたかのように擬装して、天皇陛下ご自身が国会でこの憲法を発布するという型式を通じて日本社会に定着させようとしたのです。

そしてその一年後に、これまたGHQの支配下にあった日本の国会を通じて、五月三日を「憲法記念日」という日本の祝日としたのです。

これを読んでおられる方の中で幾人の方が、以上の「憲法記念日」にまつわるGHQの意図をご存知でしょうか? 私も今回少しだけ調べて、以上の事に気付いたのでした。

マッカーサー自身が証言した戦前の日本の立場

去る平成七年、終戦五十周年を機に、『東京裁判却下未提出辯護側資料』(全八巻/国書刊行会)という五千五百頁に及ぶ膨大な資料集が発刊されました。そして同年、その中の最も重要な十八篇を、東京大学・明星大学名誉教授の小堀桂一郎博士が抜粋要約された『東京裁判 日本の弁明』が講談社学術文庫から出版されました。

その最後に、マッカーサーが米国上院の軍事外交委員会で証言した内容が載せられています。マッカーサーは東京裁判後、間もなく勃発した朝鮮戦争を東京で陣頭指揮しましたが、そこでロシア(ソ連)や共産主義の脅威に直面し、日本がなぜ戦前あれ程満州や朝鮮半島に固執してきたのか、戦前の日本が置かれていた安全保障上の危機的状況を身を以て実感したのです。

先の証言の主旨は、「日本が先の戦争をせざるを得なかった理由は、大部分が安全保障上の必要に迫られての事だった」と認める内容でした。しかしこの事を知る日本人はほとんどいません。

外務省の上層部に身を置き、大使も経験された二人の方に続けて出会った際に、ある方がマッカーサーの証言を尋ねてみたところ、二人ともこの証言を全く知らなかったそうです。

憲法に話を戻します。世界各国ではそれぞれ何回、何十回となく憲法改正を実施している中にあって、昭和二十二年に施行された現在の日本国憲法は、この六十六年間一度も改定していない、世界最古の憲法だそうです。そんな中で元々は革新と言われていた政党
の方が憲法改正に批判的なのは、何とも不思議な現実です。

「家訓」は家庭生活の憲法

さて、憲法が国家の形を定める基本法であるのに対して、私達一般の国民は、一体どんな家庭生活を、家庭内の定めに従って営んできたのでしょうか?

古い歴史を誇る名家では、〝家法〟としての家訓を持っている家もあります。しかし各家庭が家族の在り方を自分達で決めるという事は、ほとんど行なっていないのではないでしょうか?

若い二人が親とは別の所帯を持って生活し始める時、そこでは二人なりのルールや取り決めが始まる事でしょう。それまでそれぞれの家庭で無意識の習慣として行なってきた生活のリズムや自分なりのライフスタイルを二人が互いに譲りあったり、時には提案しながら新しい生活のスタイルを模索し始めると思います。そんな中で、これまでどんな家庭生活を送ってきたのかを基にして、二人の生活が始まるのでしょう。

先祖伝来の生活規範を基に「家訓」を定めよう

祖父母が朝から佛壇にお供えものを供え、佛前でお参りするのを子供の頃から目にしてきた人は、お盆やお正月に実家に帰省すれば、両親への挨拶よりも、まずは佛壇に手を合わせるかもしれません。

食事の時、必ず手を合わせて「いただきます」「ごちそうさま」を言ってきた人は、新しい家庭でもそれを続けることでしょう。

祖父母と一緒に生活してきた人は、外でお年寄りと出会った時、そのお年寄りが困っているのを見かけたら、「どうしましたか?」と声を掛けたり援助する人になることでしょう。

若い二人にその後子供が生まれたら、若い夫婦は初めて自分達の両親が大変な思いをして自分達を育ててきた事を改めて実感することでしょう。

この様に、どこの家庭でも平素の日々の営みの中で、父母や祖父母から連綿と受け継いできた様々な生活習慣や信条を、経験の中で実感しながら暮らして行きます。

多くのしっかりした企業には〝社是〟〝社訓〟があるのと同じ様に、名家と呼ばれる家には〝家訓〟があります。逆に言えば、どんなに若くても、若い二人が自ら自分達の家の方針や信条を〝家訓〟として定めるのはとても良い事ではないでしょうか。

他人を羨むのは恥ずべき事

こんな事を考えていた時、私の個人的な若い友人夫婦が遠路訪ねて来てくれました。そこで二人に「家訓を作ってみては?」と提案してみました。その二人は結婚七年目でしたから丁度良いと思ったのです。

因みに私の場合は、子供が生まれて学齢に達した時、〝家訓〟とまでは言えませんが、以下の様な方針を持っていました。

(1)子供に勉強せよと言わない。(2)夫婦喧嘩を絶対に子供に見せない。(3)互いの長所
を認め合う。(4)他の人や家族と比べない。

若い二人には「他の家庭や周りの人を羨ましがらないというのはどう?」と提案しました。なぜなら他人を羨ましがるという事がいかにさもしい根性を生み、恥ずかしい事であるのかを、今世間一般でははほとんど考えなくなっていると思ったからです。

昔であれば世間から成功者と称えられ、仰ぎ見るような人に対しても、現代人はともすれば自分の努力不足はそっちのけで、妬んだり羨んだり、もっとひどい人になると足を引っ張って妨害しています。その事を世間全体でも恥ずかしく、さもしい事とは思っていないように感じます。

ここに現代日本人の劣化とも退化とも言える、精神の荒廃が見て取れます。オリンピックで金メダルを取った人には、このようなさもしい気持ちを持つ人はほとんどいないようですが、自分の身近で何かを立派にやり遂げた人に対しては、素直に祝福できない人が多いように感じるのは私の思い違いでしょうか?

一方で人智を遥かに超えた神佛に対してやっかみを抱く人はいません。また自分自身が日々努力精進している人は、他人をやっかむ事も無いと思います。それよりも神佛に照らして自分を反省したり、何事かを成し遂げた人に対しては、憧れや祝福の気持ちをより強く持つのではないでしょうか?

各家庭で、私達一人びとりが互いに話し合って、〝家訓〟を作ってみてはいかがでしょう?

自ら家訓を生み出す努力は自律した信仰生活の礎

憲法改正が現実味を帯びてきた現在、日本の将来について一人の国民としてしっかり向き合うのと同時に、個人生活の中心となる家庭の中で、自ら〝家訓〟を生み出す努力をしてみようではありませんか!!

その中で必ずや、今より質の高い生活の在り方や、人生の目標などを考える大切なきっかけを掴むことでしょう。そして信仰の意味や価値も、必然的に考える事になるでしょう。

憲法改正という国家的な事柄を他人任せにせず、自らも先祖から受け継いだ信仰や生活の在り方などを、次の世代のためにじっくりと向き合ってみて下さい。合掌



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