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大日乃光






大日乃光

2013年06月01日大日乃光2044号
6月大祭は、信心浄化と「三力」が最大限結集する日

いよいよ皇円大菩薩様御入定八百四十五年の大祭が一ヶ月後に迫りました。そこで今回は信心のあり方、ご利益や功徳を頂くための基本的で大切な事をお話しいたします。

真言行者の唱える「三力の偈」

佛教には「三寶」(佛・法・僧)「三惠」(門惠・思惠・修惠)「三學」(戒學・定學・慧學)など〝三〟の付く基本的な事柄がいくつかあります。その中で、今回は「三力」についてお伝えいたします。

私達真言宗の僧侶は、日々「修法」を修します。「修法」というのは、様々な作法を伴った密教独特の冥想の形式の一つです。その中で「修法」の功徳を周りに廻らせ向け、様々な祈願をする前に必ず唱える偈文があります。それが「三力の偈」(さんりきのげ)です。

以我功徳力(いがくどくりき)
如来加持力(にょらいかじりき)
及以法界力(ぎゅういほうかいりき)
普供養而住(ふくようにじゅう)

というものです。『大日経七供養儀式品』『胎蔵四部儀軌』などに出ています。この意味は「私の功徳力と如来の加持の力と法界の力の三つの力によって、広く普く周辺に供養を及ぼす心を保ちます」といった意味です。

願い事を顕現する三つの力

この「私」の功徳力、「如来」の加持力、そして「法界」つまりこの世の全ての人々や周りの全ての助け、この三つの力を「三力」と言うのです。

物事や願い事が成就し、達成されるためには、自分の努力、如来即ち佛様のお救いの力、そして世間の助力の三つが揃わなければならないという教えです。自らの努力だけではなく、それ以外に佛様のお加護と社会の情勢が必要であるという事なのです。

社会状況や国際情勢が左右する「法界力」

例えばミャンマー(ビルマ)の少数民族の人々が住んでいる地域で未だに眠っておられる四万五千柱を超える英霊のご遺骨にご帰国して頂くように、同志の皆さんと共に願いを起こし、行動を開始しました。

しかしミャンマー政府と少数民族の人々との間で完全な和平が達成されていなければ、私達の願いは成就出来ません。いくら私達が真剣に祈り、佛様のご加護を頂いても、現実の戦闘が終結しなければ、その周辺のご遺骨を発掘し、祖国にご帰国頂く事は叶いません。

また世界各国が真剣にミャンマーの未来のために働きかけ、ミャンマー政府と政府軍、そして少数民族軍とそのリーダーが真剣に和平の方向に努力しなければ、私達の願いは実現出来ないのです。

一方「チベット問題」でも、チベットの人々が民族の自治を求めて、いくら死を賭して自分の身体にガソリンや油をかけて焼身抗議しても(すでに百名以上が焼身抗議で亡くなられています)、中国政府に少数民族の自治を認める気が全くない限り、彼らの願いはなかなか叶わないのです。

また、このようなチベット人の置かれている状況に対し、中国政府が無視できない程まで世界の世論が高まらない限り、チベット民族に高度な自治権が与えられる事はないでしょう。そしてダライ・ラマ法王猊下が祖国チベットにご帰国されるのも難しいでしょう。

このように個人や民族の熱烈なる命懸けの願いであっても、国際情勢や社会状況が整わなければその願いは成就出来ません。このような国際的・社会的な情勢の事をも含めて「法界力」と言っても良いでしょう。

一人一人の努力と精進による「功徳力」

第一項目の「以我功徳力」は、私達一人一人の努力と精進そのものです。

先の「法界力」の例で示した、六十年前後に及ぶミャンマーの未帰国のご遺骨の問題や、国際的な人権問題でもあるチベット問題に対しては、私自身の功徳力、つまり私達が行なっているささやかな運動は、一見全く無力に見えたり、絶望感に苛まれたりします。

しかしこれまでの努力が例え無に等しかろうと、一切の運動を止めてしまえば、それこそ本当に無に帰してしまいます。

佛様の∞(無限大)の「加持力」

第二項目の「如来加持力」は、私達の無欲の祈り、無私の祈りを捧げれば、無限大の力になると確信しています。

これまで何度もお伝えした事ですが、皇円大菩薩様のお力(如来加持力)は無限です。そこに私の祈り(以我功徳力)がわずかに一つでも加わり、さらに信者の皆さんの祈りが、たとえ〇・一(十分の一)であっても、∞(無限)×一×〇・一=∞なのですから、必ずや何らかの功徳やご利益が顕現されるのです。

それに対して、偉大な御霊力の佛様に私がいくら真剣に祈っても、祈願をお願いされるご本人の祈りの力が〇(ゼロ)であれば、∞×一×〇=〇となってしまいかねません。

この考え方を、先のチベット問題やミャンマーご遺骨帰国問題に当てはめれば、やはり私自身の祈りや行動は、たとえ厳しい現実(法界力)であっても、決して諦めてはならないと思うのであります。

必ず叶う願いとは

私の信念の一つに、「佛様がお認めになり、社会が必要とすることは、必ず成就する」というのがあります。

この考え方をいま一歩進めて、「日本社会や国際社会が未だ求めていない事でも、神佛の意志に沿った願いであれば、必ずいつの日にか社会が求めるようになる」という思いを持ち続けながら、自分のやるべき事、自分に出来る努力を続けようと決意している所であります。

先の「三力の偈」を元に、当山ではもっと身近で分かりやすい「蓮華院信仰の三力」が、開山大僧正様によって提唱されています。新しい信者さんも増えていますので、ここでその三力をご説明いたします。

御開山大僧正様のみ教え

願い事は必ず叶わねばなりません。

そのためには御本尊皇円大菩薩様の御霊力と、歴代貫主の祈祷力と、信者の皆さんの信心力、この三つの力が揃わなければなりません。そして願い事が叶うためには、信者の皆さんの心が佛様のみ心に適わなければならないのです。

皆さんの願いが佛様のみ心に適うという事は、願いそのものが良き願いであり、周りの人々のためになり、社会のためになる願いとなる事が大切です。

佛様の心を一言で言い表せば、「大慈大悲の心」です。ですから自分のためだけの願い、自分さえ良ければという願いであってはなりません。そして日々の生活の中で、この慈悲の心を少しでも具体的に実行していく生活とならなければ、本当の良き願いとはならないのです。

六月大祭は佛意に適うための修行

この佛様のみ心に適う願いを皆さんに持って頂くために、来たる六月十二日の午後二時から奥之院の五重御堂で、「授戒」「写経」「阿字観」などの「功徳行」を修します。

行の終わりには、大梵鐘の「お身拭い式」を厳修し、皆さんの願いを込めて、大梵鐘を撞いて祈願をいたします。「お身拭い式」は佛様そのものでもある大梵鐘に、信者の皆さんが直接触れる事の出来る唯一の機会です。

そのための浄布を、毎年この時期に一心に念を籠めながら、一枚一枚染筆する事は、私
にとっての大祭の前行の一つとなっています。

「功徳行」の後、薄暮の中で皆さんと一緒に境内のボンボリに点火して、引き続き五重御堂一層の本堂で、御遠忌大祭の開白法要を修します。

そしていよいよ大祭の前行としての「龍火くだり」が、本院までの約四キロの道程で下ります。皆さんと声を揃えて、独特な節で御宝号を唱えながら山を下ります。

闇夜の下、一条の灯明の列が連なりながら下る様子は、さながら龍が希望の灯を下界に下しているように感じられます。皆さんの唱える御宝号が野山に木霊する中に、信心の醍醐味と法悦の一時があります。

程なく満天の星空が見える頃、本院の五重塔が照明に浮かび上がる姿は確固たる大慈大悲のみ心を象徴した、大いなる安らぎと勇気と清涼感を与えられます。

そしていよいよ目新しい南大門では、最後に残った邪気を祓って頂く四天王を拝します。南大門を過ぎた参道では、開山大僧正様の立ち姿の銅像に迎えられて本堂へと至るのです。

このように、この年に一度の信心浄化の「龍火くだり」は、大祭の前行として毎年繰り返されてきました。

その後引き続き、これも年に一度の信者さん自身の体験談発表へと移っていきます。

全身全霊で臨む六月大祭

今年の大祭は、十二日が水曜、十三日が木曜の平日です。遠方からの信者さんは、敢えて仕事を休んででもお参りに来られます。

考えてみれば、これは大変な事です。このように大変な思いをしながらお参りされるからこそ、大きな功徳になるのであります。

喩えて言えば、大梵鐘を小手先で撞いても小さな音しか出ませんが、全身全霊を以て撞けば有明海を越えて三十キロ以上も離れた対岸の島原まで梵鐘の音が響くように、大いなる波動が生まれ、思いもよらぬご利益が頂けるのであります。

全国の信者の皆様、皇円大菩薩様の御霊力の一番高まる六月大祭に、何としてもお参りしようというお気持ちでお参り下さい。御本尊皇円大菩薩様と共に、心よりお待ちいたしております。合掌



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