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大日乃光






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2013年08月11日大日乃光第2051号
『祈りの力を信じて出来る事から実行しましょう』

高齢化する大戦の生き証人と拉致被害者の家族

本誌が皆様のお手許に届く頃は、関西や九州などでは八月お盆を目前に控えた盛夏のただ中で、暑い日々が続いていることでしょう。

そして間もなく六十八回目の終戦記念日です。その日を体験を伴って共に明確に覚えていらっしゃる年代の方々は、随分と少なくなってきました。

先般妻と二人で『めぐみ』というDVDを観ました。横田めぐみさんの拉致事件に関する映画です。映画の中で、年々と高齢になっていかれるご両親の様子が胸に迫ってきました。

妻は四年前に倒れて以来、以前にも増して涙もろくなったので、そばで何度も貰い泣きしてしまいました。

未だに解決の糸口が見えない拉致被害に対して、被害者のご家族が、先の大戦の生き証人の方々や、遺族の方々と同じ様に高齢化していっておられる現実が、着実に迫っている事を感じずには居られませんでした。

埋葬場所の記憶が失われる前に

そのように思うのは、去る七月二十九日、「ミャンマー/ビルマご遺骨帰國運動」の同志の皆さんと共に、厚生労働省の記者クラブで、ミャンマーの少数民族支配地域で旧日本軍のご遺骨調査をしている仲間と共にミャンマー現地からの報告を聞いたからです。

それは、七十年近く前に日本兵のご遺体を埋葬し、その場所を憶えているミャンマーの地元のお年寄りを捜す事から始まり、そのお年寄りの記憶を頼りにその場所を特定する事が、ご遺骨調査の大切な条件であるという報告でした。

つまり七十年前の事を記憶しておられる高齢者がこの世を去られる前でなければ、この調査自体が出来ないのです。その意味では、未だにミャンマーのジャングルに眠っておられる四万五千余柱のご遺骨の、ふるさとへのご帰国が叶う最後のチャンスなのです。

帰郷を待つ家族の方々

一方で、未だに北朝鮮から両親や家族の待つ祖国に帰ることが出来ずに望郷の念に涙しておられる拉致被害者の方々…。

そして事情は違えど七十年近く、同じく異国の地に留まり続けるミャンマーの旧日本兵の方々。そして、そのご遺骨の帰国、帰郷を待ち焦がれておられるご遺族の方々…。

横田滋さん、早紀江さんのように日々祈りながら、時には行動しながら息子さんや娘さん、戦地で亡くなった夫を待っておられる人々がいかに多いことか、終戦の日を迎える中でしみじみと感じています。

村上博士の「祈り」への考察

「祈る」という事に関して、先の「ミャンマー/ビルマご遺骨帰國運動」の呼びかけ人のお一人になって頂いている遺伝子工学の世界的な大家、村上和雄博士(筑波大学名誉教授)が、去る七月二十五日付け『産経新聞』の「正論」というコラムに「祈りとは『生命の宣言』である」というタイトルで執筆しておられました。その一部を村上博士ご自身にご了承を頂いて、ここに引用させて頂きます。

この2月、ニューヨークの国連本部総会議場で、ブーク・イェレミッチ国連総会議長らの主催によって、「宗教間の調和を通じた平和の文化のための結束」というユニークなイベントが行われた。

この催しを通じて発信されたのは、あらゆる宗教には愛や慈悲などの普遍的な価値観があり、世界平和の構築に重要な役割を演じる…そんなメッセージである。

…中略…

祈るだけでは平和は訪れないといわれるが、(世界の宗教がその)違いを超えて一つになって祈る姿を世界に広げていくことで、真の世界平和に一歩ずつ近づけるのではないか。

「祈り」は宗教が生まれる前から人類が続けている営みである。その祈りに病気を癒やし、心身の健康を保つ大きな力が秘められていることが最近、科学的に解明されつつある。従来の西洋医学を補うものとして、東洋医学などの伝統医学が治療に及ぼす影響に関する研究がハーバード大学、コロンビア大学、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)などの大学で活発化している。

…中略…

しかし、この種の研究は実験条件の設定が難しく、祈りに治療効果が本当にあるかどうかについては、医学界ではまだ賛否両論あるところだ。ただ、祈りの効果に関する科学的研究が多数登場していることは注目に値する。

…中略…

日本語の「いのり」という言葉の語源は「生宣り(いのり)」だと解釈されている。「い」は生命力(霊威ある力)、「のり」は祝詞(のりと)や詔(みことのり)の「のり」と同じで、宣言を意味している。だから、「いのり」は生命の宣言なのである。

人生にはいろいろな悩みや難問が待ち受けている。そのように苦しいとき、人は「自分はめげずに頑張って生きるぞ」と宣言する、それが祈り(生宣り)である。そうした「生命の宣言」をすると、祈る人の遺伝子も活性化して、いきいきと暮らしていけるようになると考えられる。

…中略…

祈りは、自らの願望や懇願のためだけにあるのではない。感謝や愛、思いやり、従順、誠意、畏敬のためにも、人は祈ることができる。祈ることの効果の一つは、祈る人の心に新しい良いものを芽生えさせてそれを培うことにある。例えば、希望の祈りとは、その希望の芽を祈りとともにだんだん大きく育てることである。

個人の祈りや願いが天に通じるとき、心が落ち着き、心の中に中心軸ができて、ブレない生き方ができるようになる。このことを人間は太古から直感していたのだろう。人は無力だから祈るのではなく、祈りに思いもよらない力があるから祈るのだと思う。
(貫主様が傍線と一部補足されました)

どうか皆様も、早朝から声を限りに鳴くセミ達に負けない程の「生命の宣言」としての祈りに心を込めて下さい。

その中で「祈りからの行動」として、世界の平和や日本の安寧のために、自分には何が出来るのかを自分なりに考えて頂きたいと思います。

このように祈りの範囲をどこまで拡げられるのかが、今後の人類の行方を決定する大切な要因であるのは間違いありません。世界人類の一人でも多くの人びとが、自分以外の人々のために祈る事が、今最も大切な時代に入ってきたと感じています。

あまりにも大層な事を、と思われるかもしれませんが、ここ数年の地球環境の激変や、難民の増加を目の当たりにしますと、人間の業の深さを感じざるを得ません。

その一方で他者のために祈る事も出来るのが人間です。その上で、身近な所では家族の健康や安全、私達一人びとりの幸せのためにもさらに真剣に祈りましょう。合掌



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