2013年08月24日大日乃光2052号
ミャンマー少数民族支配地域に残された日本人戦没者のご遺骨の帰還を(2)
(日本会議『日本の息吹』八月号より転載)
井本勝幸師の活躍
―井本師がキーマンだったわけですね。
「帰國運動」事務局 井本さんは、もともとソマリアやカンボジアで難民の支援活動に従事してきて、カンボジアで佛教に魅了され、僧籍に入ったという異色の経歴の持ち主です。
我々もカンボジアやチベット、そしてミャンマーの少数民族カレン族の難民支援活動などを行ってきましたから同志なのですが、井本さんは難民を助けるということから一歩踏み出して、難民を出さないためにはどうしたらいいか、ということを考え、「四方僧伽運動」を始めました。
グローバル経済や大国を中心とする経済システムが構造的に貧困や紛争を生みだすとして、それとは別の経済システムを求めて佛教の利他と慈悲の価値観に基づいた社会運動を始めました。それを「四方僧伽運動」と名付けたのです。
そして井本さんは一昨年、この運動を後進に譲り、ミャンマーの少数民族支援の活動に専念するようになりました。中央政府との和平を実現するために、まず彼がやろうとしたのは少数民族の大同団結でした。
―大同団結が出来たから、ご遺骨の調査交渉も一本化できたわけですね。
「帰國運動」事務局 井本さんは、現地の人々と暮らし、苦難を分かち合いながら十一の少数民族の間に立ち、各民族間の対話の折衝役を果たしました。そして不可能と思われていた少数民族の各武装勢力を連帯に導き、先述したようにUNFCの設立を実現したのです。
井本氏の情熱と地道な努力が各少数民族から信頼を勝ち取ったのだと思います。そして彼は今、このUNFCのアドバイザーを務めるほど全少数民族から厚い信頼を寄せられています。
英霊の墓守をしてきた元日本兵と現地の人々
―井本氏はもともと難民支援と和平が目的であったはずですが、その事とご遺骨帰還運動とはどう結びついたのでしょうか。
「帰國運動」事務局 和平実現のために少数民族の支配地域を動き回っていた際に、チラッチラッと旧日本軍の影が見えたのです。昨年、井本さんと電話で話したとき、彼は人づてに聞いた九十七歳のおじいさんの話をしていました。
「わしは六十年近く戦友たちの墓を守ってきた。でももう自分も長くはない。聞けば日本のお坊さんが近くにきていると言うじゃないか。何とか彼らを日本に帰してやってくれ」と。
『ビルマの竪琴』の水島上等兵のように、戦後も現地に留まってミャンマーの独立のために尽くした日本兵がいたんですね。その生き残りの方だと思いますが、その方は残念ながら昨年亡くなられたそうです。
あるいは旧日本兵をお祀りしているお寺があったり、そこへ現地の人々が線香やお花を捧げているところに出くわしたりするわけです。「これは何とかせんといかん」と思った井本さんから我々の仲間に連絡があって、この会ができたのです。
○○の会というのではなく、「帰國運動」という名称にしたのは、調査目的の
ための期間限定の組織だからです。繰り返しますが、こういう運動体ができたのも、井本さんが各少数民族の人達と信頼関係を作ってきたからで、本当に尊いことだと思います。
僧籍にある私共としましても、お国のために遠い異国で散華された英霊のご遺骨を日本に帰還させることは聖職者の使命でもあると思います。
経済進出の前に魂の安らぎを
―ご遺骨の帰還が達成されない内は本当の平和ではないと誰かおっしゃっていました。
「帰國運動」事務局 いまチャイナリスクで、日本の経済界は中国に代わる進出先としてベトナムやミャンマーに秋波を送っています。最後の未開の市場として期待するのはいいのですが、我々の先輩方のご遺骨が未だ何万柱も埋もれたままになっていることを知っておいてほしいと思います。
経済活動の前に過去の清算、歴史の清算、魂の清算をしなければいけません。先人たちに魂の安らぎを施さずして、彼の地で経済活活動をしてほしくはありません。
―先日、ある有名な漫画家がテレビで、「戦争は絶対に嫌だ。中国と戦争するくらいだったら白旗挙げて中国の支配を受けたほうがましだ」というようなことを言ってましたが、これに対して、ある投稿欄に「この漫画家は中国の支配下でも今と同じような生活が出来ると勘違いしているんじゃないか」とありました。
「帰國運動」事務局 まったく平和ボケ極まれりですね。チベットやウイグルの人達がどんな苦難を受けているか。いま話題にしているミャンマーにしても、かつて欧米の植民地の下でどんなに悲惨な生活を強いられたか。その解放の口火を切ったのが日本だったのです。
インパール作戦を知っている人でも、あれはどうしようもない作戦だったとその失敗ばかりあげつらっています。しかし、何のためだったのか、その目的を理解している人は今では少ないのではないでしょうか。我々の先輩方はインド独立と援蒋ルート遮断のために戦ったのです。作戦が失敗だったので動機までが悪かったみたいに言われ、こともあろうに侵略とまでののしられているというのでは散華された英霊があまりにも可哀想です。
戦後、アジアの国々は次々と欧米の植民地から独立していった。その口火を切ったのは紛れもなく我が日本だったんです。なのに、感謝もされず、打ち捨てられ、顧みる人もほとんどいない、というのでは本当に彼らの魂は浮かばれません。
そもそも経済進出だって、アジア諸国が独立したからこそ言えることではないですか。その大前提をいまの私たちは改めて想い起こすべきだと思います。
現地に残された日本兵の魂
―日本軍と接した現地の人々の中には、勇敢だった日本兵の記憶を語り継いでいる人たちもいます。終戦五十年(平成七年)のとき、『独立アジアの光』『自由アジアの栄光』という二本のドキュメンタリー映画が制作されました。
インドネシア、マレーシア、タイ、ミャンマー、インドの現地取材を敢行したのですが、その中の一コマで、ミャンマーとの国境に近いインドのマニプール州で、現地の村長達が戦争を知らない少年少女たちも交えて「日本兵を称える歌」を歌ってくれています。日本兵がいかに勇敢で優しかったかということを今に至るまで語り継いでいるのです。あの映像を見ると、英霊は決して犬死ではなかったと実感します。
「帰國運動」事務局 ミャンマーの少数民族のカチン族のある将軍は、床の間みたいなところに日本刀(軍刀)を置いていると井本さんから聞きました。旧日本軍の魂を自分のものにしたいというのです。今でも尊敬されているのです。
ご遺骨の帰還が成し遂げられれば、そのことは日本人そのものの魂の在り方に影響すると思います。調査がうまくいって、政府のご遺骨帰還の事業がはじまったときには、ぜひ若い世代にご遺骨の発掘にも参加してほしい。そして日本人の誇りを実体験してほしい。現地に立って供養した体験で人生が変わったという若いお坊さんもこれまで多くいます。
日本のため、アジアの解放のために散華された方々のご遺骨を一刻も早く祖国に帰還させてあげたい。そのための第一歩がこの民間による調査活動です。
かつて井本さんは家族を日本に残し、自分の生命保険を解約して活動資金を捻出されたそうです。今回の我々のこの調査活動にも相応の資金が必要です。今年の年頭から調査は始まっていますが、資金的には自転車操業です。年内には調査を完了したいと考えています。どうか皆様方のご支援をなにとぞよろしくお願いいたします。合掌
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