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大日乃光






大日乃光

2013年09月25日大日乃光第2055号
我執を超えた強い信心が真のご利益顕現への道筋

読書の秋にお薦めしたい書籍

厳しかった夏も、昼間の陽光にその名残りを残すばかりとなりました。朝夕には鈴虫やコオロギの声が、秋の訪れを知らせてくれています。

秋は読書の秋でもあります。そこで一冊の本にまつわるお話を少し致しましょう。それは井本勝幸著『ビルマのゼロファイター  ミャンマー和平実現に駆ける一日本人の挑戦  』という本です(集広舎刊)。この井本勝幸というお名前は、昨年の十月十一日号(二〇二四号)以来、本誌には何度も出て参りましたので、既にご記憶の方も多いと思います。

なお、この本はジャーナリストの櫻井よしこ女史が推薦しておられます。それは昨年の十月二十五日早朝、私が井本さんを伴って、櫻井氏のご自宅に伺い、一緒に親しく歓談したご縁もあっての事でした。

最初の一冊を渡すべき相手

スーパーサンガ(宗派を超えてチベットの平和を祈念し行動する僧侶・在家の会=略称SS)の九州支部の仲間が社長を務めておられる出版社から刊行させたという事情もあって、去る九月一日にまず一冊を手にしました。

そしてこの本を手にして一番喜ばれるのはどなたかを、フッと思いました。そこで心に浮かんだのは、彼の奥様とお師匠様の事でした。きっとそうに違いないと感じて、当山から車で約一時間の所にある福岡県朝倉市の報恩寺のお二人の許にお届けしました。

井本さんの師にして御住職の藤井前諦上人(日蓮宗ではご住職様を上人と呼ぶ)とは、今回初めてお話を致しました。藤井上人は三十七年前に、この地に独力で報恩寺を建立されました。本来は日蓮宗で修行された法華経行者なのですが、どんな事情かは分かりませんが、どこの宗派にも属しない単立寺院として、日々、人びとの苦悩に寄り添っておられます。

井本さんは、そんなお寺の副住職として国際的な救援活動を長年続けて来られました。また人材育成にも力を尽くして来られたので、SS九州のメンバーの中にも、井本さんの薫陶を受けた人材が、幾人か加わっています。

また〝四方僧伽〟(しほうさんが)という、佛教徒による国境を超えた組織も立ち上げておられます。そのために、副住職とは言っても、寺に居られない日々が多かった事でしょう。言わば、住職にあまり服従しない副住職?だったのかもしれません。しかし彼の行動の成果を少しでも知る人は、今回のミャンマーでの活動には、目を見張るものを感じる事でしょう。

ふるさとの歴史に裏打ちされた衆生済度の使命観

藤井上人も、以前は「アイツは一体何をやっているんだ!」と思っておられた事もあったそうですが、今は、「勝幸の活動を支えるために、この寺がつぶれても構わんと思っとります」と、思いがけぬ言葉を耳にしました。

藤井上人がこのように言われる背景には、かつてその地域に伝わる歴史があるからなのです。報恩寺より東南、筑後川の南岸には江戸時代、浮羽三郡がありました。江南原といい、高台のため筑後川の水面より高く、母なる大河の恩恵を受けることのできない貧しい農村でした。

百姓の悲惨さはこのうえなく、ここに五名の庄屋が私財を投げ打ち、借財し、藩主への誓詞血判を出し、不完成の時の責、見せしめのために久留米藩による五名の十字架磔台が工事現場の堤防に建てられました。五庄屋様を殺してはならぬと、各全村百姓衆一丸となり、見事に大石堰を完成させました。以来今日に至るまで、数千町歩の水田が旱魃を知らず、穀倉地帯となっています。(以上、藤井上人ご自身による浮羽大石堰建設秘話)

この事を知られた藤井上人は、俗人の庄屋さんでさえ、苦しむ人々のためにそこまで行動したのだから「出家者の自分が寺を守るとか、家族を守るなどと言ってはおれん」と思われたそうです。本来、僧侶は一生を独身で過ごし、「一所不住」と言って一ヶ所に留まる事もなかったのです。

藤井上人は最後に、「坊主は衆生済度が使命なのですから、守りに入ったらお終いですな!!」と言われたのです。何とも凄烈にして、清々しい思いで報恩寺を後にしました。

不退転の決意で臨んだスーパーサンガの設立

この話を伺って、私にも思い当たる出来事がありました。五年前、悩みに悩んでチベット支援のための僧侶の会を立ち上げるに当たって、一つの決断をしました。それは、「もし万が一、人民解放軍に蓮華院が破壊されるような事態になっても、それはしかたがない!!」と思い定めた事です。

「それはあまりにも大袈裟でしょう」と思う人も多いと思いますが、五十年前から三十年前までの間に、全チベットに六千ケ寺以上あった僧院の内、僅か八ケ寺を除いて人民解放軍によって破壊されるか無人の廃墟と化したのです。金属の佛像は鋳潰され、経典も尽く焼かれ、僧侶の多くが強制的に還俗(げんぞく=僧侶をやめる事)させられたり拷問を受けたのですから、まんざら荒唐無稽な思いでもないのです。

理不尽な何ものかを恐れて、言うべき事を言わず、行動すべき時に行動しないのは真の求道者でも修行者でも、ましてや大乗佛教の僧ではないと私は(勝手に)考えています。

艱難辛苦は神佛からの試練

このことを当山の信仰に当てはめてみれば、不退転の気迫で小さな我欲を超えた所に、真のご利益が顕現するという事になります。少々の悩みや苦しみは、自分自身の信心力で乗り越えて欲しいものです。

今、大変な苦悩の中におられる方は、「この苦しみは自分を鍛えるために、神佛がお与え下さったものである!」「今の苦しみは、自分の魂のレベルを上げるための試練である」
と考えるぐらいの思い定めが必要なのかもしれません。

長年信心して来られた方は、これぐらいの腹の据え方、肝の座り方が出来ても良いのではないでしょうか?このような気迫に満ちた心構えによって、拝み倒すほどの強い信心が生まれ、思いもよらぬご利益が向こうの方からやって来るのであります。

思い定めると言えば、今年八十四歳になられる熱心な信者さんで、何と五世代に亘って当山への信仰を脈々と受け継いでこられた家系のお方がおられます。この方は数年前に腎臓の機能が低下して、ついに人工透析をしなければならない程の重い病気になられました。その方の娘さんから相談を受けました。

それは、「自分はもう充分に生きた。これ以上人様に迷惑をかけて医療の世話になって生きたくは無いから、人工透析はしなくていい」と言われるのだそうで、何とか父親を説得して欲しいという相談でした。

私はそのご本人の経歴も人柄も人生観も知っています。その方は十代で、予科練の航空隊で訓練中に終戦を迎えられました。その方は訓練中の事故で亡くなった仲間の方々や、特攻作戦で散華して還らぬ人となった先輩の方などを大勢見てこられたのです。

そして、「自分の人生はあの時終っていてもおかしくはなかった。無様な生き方をしたら先に逝った彼らに相済まぬのです。ですから、このまま死んでも良いと思っとります」と言われるのでした。

私が「あと五年後は皇円大菩薩様の八百五十年大遠忌です。その記念に五智如来を祀る多宝塔を本院に建立します。その落慶法要に何としてもお参りください。それを目標に、病と戦いながら生きる姿をご家族に見せてあげるのも貴方の最後の務めでもありますよ」とお話をしますと、その方は目にうっすらと涙を滲ませて頷いて下さいました。

この方のこれまでの生き方こそ、生に執着しない、力強く無欲な生き方であり、素晴らしい信心の在り方です。どうか皆さん、小さなとらわれを超えた大いなる願いを立てて頂きたいものであります。そのよすがを得るためにも、先の本を一人でも多くの信者の皆さんに読んで頂きたいものです。合掌



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