2014年01月29日大日乃光第2066号
受験勉強もひとつの修行、光明を信じてそれぞれの道へ
大寒の候に人生の転機を振り返る
一年で一番寒い季節になりました。皆さん風邪など引かないように、健やかにお過ごし下さい。
この文章を書いているのは一月十九日です。本誌が皆さんのお手元に届く頃は大学入試のためのセンター試験が終わり、各私立大学の入試が始まっている事でしょう。言わば受験生にとっては、人生の大きな転機を迎える時期に相当します。
この時期になると、かつて五年間過ごした高野山での一年間の修行道場と、四年間の学生生活を思い出します。それは今にして思えば、私にとっても大切な、人生の大転換期だったからです。
すでに四十年程も昔の事ですが、いくつかの事柄を昨日の出来事のようにありありと思い巡らす事が出来ます。
この五年間で、これまでの六十年の人生の中の数ある感動の中でも特別に大きく人生を変えるほどの、魂を揺り動かされた感動を二回経験しました。二回目の経験は、次回お伝えします。
運命を導く大いなる御意志
まず第一回目は、高野山専修学院時代、つまり私が十九歳の二月十三日の早朝の出来事でした。
少し話を遡りますと、その約一年前の二月から三月にかけて、私は大学受験に失敗しました。受験浪人の生活に入る前の気分転換を兼ねて、春休みを利用して、それまでの趣味の一つだったサイクリングに出かけました。
当時家族皆で住んでいた佐賀の東妙寺から、姉と弟と三人で福岡県の日向神渓谷を経て蓮華院に行く事にしていました。目的地の日向神渓谷までの長い上り坂をペダルを漕いで着き、一休みした後、再び同じ道を下り始めると、ポツポツと雨が降り出しました。
東妙寺にそのまま帰るか、蓮華院に行くかという分岐点にさしかかった時、姉と弟は「ここからなら東妙寺が近いから、今日は帰ろう!」と言い出しました。
蓮華院に行かなければならない特別な理由があった訳でもありませんが、私は〝何としても蓮華院に行かなければならない〟と、何者かに衝き動かされるように二人の反対を押し切ってハンドルを南に向け、蓮華院を目指しました。あまりに強い私の意志に、姉と弟も一緒に付いて来ました。
途中から更に雨脚が激しくなり、雷が鳴り始め、何度も近くに落雷しました。そんな豪雨と稲光の中、全身ずぶ濡れになりながら必死の思いでペダルを踏み続け、雷に撃たれて死ぬのではないかとの死の恐怖を感じながら蓮華院に到着しました。
すると、是信大僧正様(開山大僧正様)から「すぐに部屋に来い」との事でしたので、体の水気を拭きながら中興開山堂の居間に入りました。
御霊告に従った高野山入山
開口一番「今から直ぐに汽車で東妙寺に帰って、真如と一緒に高野山に行け!!」と言われたのです。高野山がどこにあるのかも、どんな所なのかもほとんど知らなかった私でしたが、「ハイ!分かりました」と言っていました。当時の是信大僧正様は、私達孫にとっては絶対に逆らえない大きな山のような方でしたから「ハイ」以外には言えなかったのです。
その翌日には父(真如大僧正様)に伴われて、生まれて初めて高野山に身を置いていました。東妙寺の先代住職、故岩根真寛大僧正様の弟弟子であられた元高野山大学学長の
中野義照先生を始め、父の同級生にして高野山大学教授の高田仁覚先生その他、父の同級生の方々にもお会いしました。
その結果、父は私を大学に入学させる前に、高野山の専門修行道場である専修学院に入学させる事を決められたのでした。
初めて向き合った僧侶への道
高野山が初めてならば、修行道場で何をするのか、どんな生活になるのかも全く解らなかったのですが、父に伴われて初めて向かった専修学院から、あまりにも清々しく颯爽とした、自分とあまり年齢の違わない若い修行者が行脚(あんぎゃ)に出る所に遭遇しました。
そのあまりに晴れやかな表情と、鏡のように拭き清められた広く長い廊下の佇まいに感動した事もあって、「一度、坊さんの世界としっかり向き合うのも悪くないな」という思いが芽生えたのでした。
十一歳まで蓮華院で生まれ育ち、東妙寺で少年・青年時代を過ごした私は、父や祖父を見ていて「とても私には坊さんは務まらない。幸い弟が坊さんになると言っているので、自分は別の生き方をしよう」と、勝手に思っていたのです。
父は二人兄弟の弟でしたが、父の方が僧侶となり、長男の弘海伯父が別の世界に身を置いていた事も大きかったと思います。
しかしよくよく考えてみれば、私は祖父と父以外の坊さんの生き方を全く知らなかったし、僧侶の役割が何なのかも充分には解っていなかったのです。
その上、自分は佛様へのお供えの佛飯を頂いてここまで育ったのに、お寺の事、僧侶の事をあまり知らず、佛教が何なのかもほとんど知らなかったのです。
そこで一年間、専修学院での修行に励み、その結果、やはり僧侶の世界は自分には無理だと思ったら、その時初めて自分の道を歩こうと決めていたのです。こうしてその年の四月には一人の修行者になっていました。
専修学院で学んだ深淵なる佛教の思想大系
高野山に登ってから、頭を床屋さんで丸めて頂き、専修学院の門をくぐった時は、身の引き締まる思いでした。四月とは言え、お堂の北側にはまだ屋根から落ちた残雪がうず高く残り、夜は刈ったばかりの頭に頬かむりをしなければ寒くて寝られないほどでした。こうして一年間の佛法との対決が始まりました。
この一年が人生の分岐点と思っていたので、私は他の仲間の修行者が九時に消灯(これは道場の定めです)した後も、蛍光スタンドに衣を被せて光が漏れないように注意しながら佛教書を読み耽り、他の人が休んでいるときにも、誰も掃除しない廊下を拭いたりしていました。時には指導者に様々な相談や質問をしたりして、一学期の四ヶ月を過ごしました。
この期間は修行の実践よりも佛教学、密教学などを広く浅く学ぶ期間でした。この間は佛教を知れば知るほど、学べば学ぶほど、その広く深い思想の大系に圧倒されながらも、知的好奇心で大いに心が満たされ、「佛教とはすごいものだナー」と感動していました。
僧侶の道への扉を開いた神秘的な体験
そしていよいよ九月から四ケ月の専門的な修行に入りました。自分なりに必死に修行したつもりでした。行の最後に、密教の大切な儀式の「伝法灌頂」が終わっても、まだ僧侶として生きる決心がつきませんでした。そしていよいよ一月に入ってからは、皆が消灯した後で、一人本堂で読経をしたり、瞑想に励んでいました。
そんな中での二月十三日は、とうとう朝まで本堂に坐っていました。いつの間にか日課の朝の勤行の合図の半鐘の音で瞑想から出て、皆さんと一緒に再び本堂に入り、一時間のお勤めが終わりました。
そして皆さんと一緒に本堂の正面から出ようとするその時、朝日の光を全身に受けた瞬間、思いもしなかった事が起こりました。全身を貫く閃光と言うか、波動と言うべきか、感動が足の底から全身を包んだかと思うと熱い涙が止め処もなく溢れ出し、衣の胸元を濡らし、白い水蒸気になって立ち上りました。
と、その時、「アー!自分もお坊さんになって良いのだ!僧侶にならせてもらえるんだ!」
と心の中で叫んでいました。
その年の四月、現役の同級生に一年遅れて高野山大学に入学したのでした。
記憶力を増進する求聞持行
今思えば受験勉強も一種の修行のようなものです。好きな趣味の時間を削り、睡眠時間を削り、学び覚えるべき事を必死で学び、記憶するといったストイックな日々を、孤独と闘いながらひたすら実行するのですから、多くの部分で修行と似ています。
以前受験に失敗した一人の青年を預かり、寺での生活の合間に「皇円大菩薩求聞持行」を授けて実修させた事があります。これは皇円大菩薩様の御宝号を、五十日間かけて百万遍唱えるという修行です。
その後、彼は大学のインド哲学科に進学し、今年で修士課程を終えます。浪人する前の学力は知りませんが、求聞持行のお蔭で学部、大学院と優秀な成績を修め、学内でも注目される学士論文を書きました。今年は修士論文を提出しています。
求聞持行は記憶力を増進する秘法ですが、受験勉強の中でも十五分、三十分だけ時間をとって、御宝号を千遍、二千遍とひたすら唱えるだけでも必ず功徳があります。ぜひ実行してみて下さい。合掌
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