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大日乃光






大日乃光

2014年02月07日大日乃光2067号
「神と佛が支え合う日本と国民の幸せを祈る」

建国記念の日に 日本復興の先達を回顧する

本誌の発行日は建国記念の日です。この日が戦後再び制定されたのがいつなのか、定かには知りませんが、少なくとも昭和二十七年の四月二十八日以降である事は間違いのない事です。

なぜなら昭和二十年の終戦以降その日まで、日本を支配していたのはダグラス・マッカーサーを頂点とするGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)だったからです。

この七年の間に憲法が制定され、「教育勅語」が廃止され、「教育基本法」が定められ、祝祭日が改定され、各界のリーダー達の「公職追放」が実施され、「マスコミの検閲」などを通じた「言論統制」が国民の気付かない所で続けられていたのです。

ところがGHQは朝鮮戦争を境に方針を大転換して、晴れて日本は独立を回復し、国際社会に復帰したのでした。

そんな中で、東京裁判でA級・B級・C級の戦争犯罪人となった延べ五千七百五十二名の人びとの名誉回復が国会で承認されて、戦犯となってしまわれた方々のご遺族にも、当時の厚生省から遺族年金が支給されて現在に至っています。

このように昭和二十七年以降になって国内での日本を取り戻す動きの一環として、「建国記念の日」が制定されたのです。安倍総理の「日本を取り戻す」一連の政策に先駆けたこの様な働きをなされた多くの先人に、感謝の思いでいっぱいです。

個人に誕生日があるように、世界中のほとんどの国々にも「建国の日」はあるはずです。また各家庭に家紋があるように、国の旗、つまり国旗もあります。世界中で国旗に加えて国歌を大切にしない国や国民は、ほとんどいないのではないでしょうか?

ご遺骨帰國運動の中で知った大使任命式の威厳

一昨年の九月、私は外務省のミャンマー担当の部長さんと巡り合いました。その後、十月二十五日に「ミャンマー/ビルマご遺骨帰國運動」を正式に立ち上げる会議の中休みの時間に、先の外務官僚の方と我々は再び巡り合いました。その時、先月までは部長だったその方が国際協力局長に昇進しておられました。

それ以来何度もお会いしましたが、先月二十八日には、何とその方は皇居に参内されて、正殿「松の間」にて天皇陛下から大使の信任状を授与されて、晴れて在ブラジル特命全権大使となられたのでした。

私からすれば、初めてお会いしてからわずか一年四ケ月で、部長から局長を経て大使に昇進されたのです。その間、どれ程の激務と労苦があったのか察するに余りありますが、いつお会いしても始終穏やかで、温かいお人柄に感心しておりました。

その方から以前伺った話によれば、外務省の幹部に比較的愛国者が多いのは、全ての大使が天皇陛下から直接信任状を授与され、「重任ご苦労に思います」とのお言葉がかけられる(勅語を賜る)ので、そのためかもしれないとのことでした。

昭和天皇に感激の拝謁

私自身は十九歳になるかならないかの頃に、昭和天皇をわずか三メートルの近い所で拝した事があります。それは高野山に陛下が行幸された折、私達高野山専修学院二十九期生全員が高野山の壇上伽藍に整列して、昭和天皇をお迎えした時の事でした。

私自身は戦後教育しか受けておりませんし、中学三年の時の数学の先生は、天皇陛下の事を何と「天チャン」と呼んでいました。あまり良い気はしませんでしたが、かと言って、取り立てて批判する気もあまり起こりませんでした。

また高校の卒業式では国歌の「君が代」も、「仰げば尊し」も歌った憶えがありません。そんな時代に育った私でしたが、目の前を陛下が歩いて進まれる時、背中から首筋にかけてゾクゾクッとする、これまでに経験した事のない、何とも言い表せない感動を覚えた事を今でも鮮明に憶えています。

頼もしくご成長あそばされた皇太子殿下との邂逅

その後、私が二十代の前半、先代の真如大僧正様が第四十六世法印として佐賀東妙寺の住職を務めておられた頃の事でした。

現在の皇太子殿下が、学習院大学の研修旅行で東妙寺にお立ち寄りになった事がありました。それは東妙寺に所蔵されている懐良親王御親筆「紙本墨書梵網経」(重要文化財)を拝観しに見えられた時の事でした。

殿下をお迎えするために、本堂の向拝口に立っていた当時の父(真如大和尚)の顔がいつになく真剣で、かなり強張っていたのを、昨日の事のように思い出します。

その後、私は日本青年会議所(JCI)に入会して、何度か国際会議に参加しました。その内の一つの国際会議が横浜で開催されたとき、すでに皇太子殿下になっておられた殿下が特別来賓として開会式にお越しになりました。

十九歳の時に間近で拝謁した昭和天皇と全く同じように、目の前を殿下が歩いて通り過ぎられた時も、東妙寺の時と同じような感動と感激に満たされました。

しかもその時は、会場を埋め尽くす数千人の世界のJCメンバーの仲間のために、堂々たるスピーチを果たされました。その時は日本人の一人として誇らしく感じるのと同時に、皇太子になられて数段ご立派になられた事を実感し、とても嬉しく思った事を憶えています。

外国の国家元首をも正された世界最高峰の権威とは

今上陛下には未だ拝謁の栄を賜ったことはございませんが、六年前に青年会議所の大先輩からこんな話を聴きました。

その年の三月、世に言う「二〇〇八年のチベット動乱」が世界の耳目を集めました。私は全国の同志の人達と一緒に「宗派を超えてチベットの平和を祈念し行動する僧侶・在家の会」(略称=スーパー・サンガ)を立ち上げました。そしてその後二年間、私はその会の代表を務める事になったのです。

その会が設立される前後に、私は日本政府、或いは政府要人が「チベット問題」をどう思っておられるのかを知りたくて、前総理と、近い将来総理になるであろうお二人の要人にお会いしました。

その内のお一人を議員会館に訪問した時の事でした。「川原君!陛下は名君にあらせられるよ!」と言われたのです。

その方は、当時の中国の胡錦濤国家主席を伴って天皇陛下に拝謁した時のことを話して下さいました。胡主席は、今回の来日で一番緊張したのは皇居での一時だったと述懐しておられたそうです。

大変な緊迫感で、陛下にお目に掛かった時、開口一番、陛下が、「先般は貴国よりトキ(朱鷺)を贈って下さって有り難う」と仰られると一気に緊張がほぐれて、胡主席は、「わが国は自然が豊かですから、数々の貴重な動物が生息しております。いつでもお手伝い致しましょう」と、得意満面に答えたそうです。

すると陛下は、「貴国の動物達が生き生きと生きているように、貴国の国民の皆さんが生き生きと生きられるよう努めて下さい!」と仰られ、通訳の言葉を聴くや否や、胡主席の顔色が一気に蒼白となったそうです。

チベットだけでなく、ウイグルや南モンゴルの人々に対して中共政府がどんなひどいことをしているのかを陛下は充分にご存知であり、その事を直接批判するのではなく、相手の言葉に応じる中にも文化的な言葉の力で応じられたのです。

そこでそのお方は、「川原君!陛下は名君にあらせられる!!日本は大丈夫だよ!!心配することはないよ!!」と言われたのでした。

神佛を父母に慈しみ育まれた日本文化

脈々と百二十四代に亘り、祈りの盟主として日々国家の安寧と国民の幸福を、そして世界の平和を祈り続けておられる天皇陛下は、まさに日本国の象徴であり、国家元首に違いありません。

そんな歴代天皇陛下の中には、自ら佛教を深く理解された方々が数多く居られます。そして神道の持つ自然を大切にする良き伝統と相まって、日本の精神文化を育んで来られました。更にはもっと進んで御自ら出家得度なされて法皇となられたお方が歴代天皇の中に三十五名もおられるのです。

私達はともすれば、天皇陛下や皇族のお方々の宗教は神道であると思っているかもしれませんが、それは明治以降のたかだか百五十年くらいのものでしかありません。それより千二百年以上もの昔から、歴代天皇は熱心な佛教徒であらせられたのです。

日本は神と佛がさながら父と母のように、互いに手を取り合って国民を、そして日本文化を育んで来たのです。このような神佛協力による千数百年の伝統が、中国文化圏のすぐ近くにありながらも、「日本文化圏」として、世界の文化史の中で独自の地位を築き、発展を続けてきたのです。

建国記念日に当たって、天皇陛下と日本文化にまつわる事を少しお話ししてみました。合掌



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