2014年02月24日平成26年2月21日号
〝香煙絶ゆる事無き〟霊場への日々の精進こそ当山の目標
初めに
節分が終わり、こちら九州では厳しい寒さも少しずつ和らぎ、春の足音が気付かない内にヒタヒタと伝わってくる時節になりました。
本誌二月一日号で、私の青年時代の第一回目の衝撃的な宗教体験をお伝えしましたが、第二回目に体験した事を次号でお伝えしますと記しておりました。
しかし前号の発行日が「建国記念の日」でしたのでそれに因んだ内容となりました。 今回、少し時期がずれましたが、改めて二回目の体験をお伝え致します。
一念発起で酷寒の水行
それは私が二十一歳の二月十一日の事でした。
二年前に高野山の専修学院での修行生活を通じて僧侶として生きる決意をしたものの、いつの間にか自堕落な学生生活を送る日々になっていました。
「これではいけない」と一念発起して、その年の一月二十一日の「初大師」の日から二月十日までの二十一日間、高野山の奥の院にある玉川の水行場(すいぎょうば)で水行をする事にしました。
それはその当時、開山大僧正様が当山の奥之院開創に心血を注いでおられている事を『大日新聞』を通じて読むにつれ、「せっかく僧侶になる決意をしたのに、こんな生活を送っていては駄目だ!!是信大僧正様も頑張っておられるのに申し訳ない!」と思ったからでした。
最初の水行をする前に、開山大僧正様に、「これから二十一日間、水行をします。時間は夜七時から下宿を出発して、七時半頃からになります。宜しくお願いします」と電話でご報告し「よし、分かった!!」 との短いお言葉を頂いて、勇躍、水行場に向かいました。
夏にこの場で水行をした事は何度かありましたが、厳寒の中での水行は初めてでした。水が流れているので凍ってこそいませんが、周辺の氷を踏みしめ、気合を入れて肩まで水に浸かると、全身を針で刺されたような、冷たさを通り越して激痛を与える流水に、必死に印を結び、痛みに負けないように、胆の底から大きな声を絞り出しながら、『般若心経』三巻、水天の真言、御宝号などを一心不乱に唱え続けること数分…。
水から上がって元の衣に着替えた後、不動堂の回り廊下に脱いでおいたフンドシは、完全に凍っていました。骨の髄まで凍えきった身体は、全身がガタガタと激しく震え、歯の根も合わない程の寒さに耐えながら、約二キロの暗い参道を帰って行きました。
二日目には「何でこんな約束をしてしまったのだろう…」と後悔の念のままに水行場へ向かいました。衣を脱いで水に入る直前は「またあの苦しみを味わうのか!」と一瞬たじろぎましたが、何とか意を決して水に入りました。
大いなるお力に守られた修行
三日目からは「こんなに軟弱では駄目だ!」と思い直して、併せて断食を始める事にしました。それから四日目、五日目と、全身を針で刺されるような痛みに加えて、後頭部にズキンズキンと激しい痛みに襲われました。
断食を始めて三日目に、開山大僧正様に電話で相談してみました。すると、「水行中に断食はするな!命が危うくなる!まだ三日目の断食だから、お粥から復食せよ!」とのご指導を頂きました。
その夜からは、お粥を食べてから水行に向かいました。三日くらいで通常食に戻したら頭の痛みは完全になくなり、何とか水行を続ける事が出来ました。
十日ぐらい経った頃に大雪となり、夜には奥の院の石畳の参道がガチガチに凍り、しかも電線まで切れていたので、完全な闇夜の中の水行となりました。その前から、足袋を履いて雪道の参道を往復すると、足袋が濡れて足が凍傷になりかけたので足袋を脱ぎ、雪駄を履くだけにしていました。
そんな中でも一度も雪道で滑ったり転んだ事もなく、暗い中でも道に迷う事なく、淡々と水行の日々を重ねて行きました。
驕りの心を戒められた問答
そんな中、翌日で結願となる二月九日夜、水行を終えた後で何となく、専修学院時代の同級生のいる行法師(奥の院で日々弘法大師様に食事をお供えしたり、参詣者のために護摩を焚くなどの僧侶)の部屋を訪ねました。
すると、その部屋には三人の行法師の方々が居られました。その中のお一人が、「随分熱心に水行に励んでいるけど、貴僧にとって、お大師様(弘法大師様の事)のお言葉の、どの言葉を座右の銘にしていますか?」と質問されたのです。
私は間髪を入れず、「虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、我が願いも尽きなん」(この宇宙が無くなってしまい、苦しみや悩みを持つ人々が居なくなってしまい、安楽な世界や覚りさえもなくなってしまわない限り、私の願いは終わらない)との言葉を、若気の至りとでも申しましょうか、すごい言葉を言ってしまいました。
また別の方の「何のために、こんなにも熱心に水行をしているのですか?」との問いに、私は、「うちの寺は信者寺で、祈祷寺です。多くの信者さん達の期待に応えたいと思っての事です」と答えますと、その方は、「信者さんの期待に応えるというよりも、信者さんを悲しませたくない!という言葉の方を聞きたかったですね」と言われたのです。
その時、私は自分の中にある奢りの心を見事に見透かされ、もっと無心に虚心に行じなければ行の意味が無い!と痛烈に思い知らされたのでした。
その方はその後、「結願の前日に行の成果として、心中に大きな気付きを頂く事がよくあるものです」 と淡々と言われたのでした。
「そうだったのか!私は自分が水行している!自分が水の中に入って唱えている!と、今までは『オレが!オレが!』の我慾で水行をしてきた。明日の最後の水行は水の流れと一体になるような気持ちで行じさせて頂こう」と心に大きく響き、感じるものを得たように思いました。
水行結願後に至福の宗教体験
そしていよいよ二十一日目の、最後の水行の日が来ました。気負いの無い思いと爽やかな気持ちで、通り慣れた参道を進み、水行場に着きました。
その後、いつものように水行を終えると、二十一日間道場を使わせて頂いた御礼と感謝の思いで、お大師様の御霊廟の前に一晩座ってお参りすることにしました。
すると夜の十時にも、十二時にも、二時でも四時でも、どなたかが代わる代わるお参りされて、ついに朝の五時になっても灯明の光とお香の煙が途絶える事がなかったのです。
間近にその光景に接し、まさに「香煙絶ゆる事なし」を実体験として知ったのです。弘法大師信仰の凄さと素晴らしさを、しみじみと見せて頂いたのでした。
その後、御霊廟を守るように建てられている燈籠堂で、先夜の行法師の皆さんと一緒に朝の勤行を勤めて帰路に着きました。
その時、昨夜まで夜の暗い中で行じさせて頂いた水行場を、久しぶりに明るい中で拝した時、その水が地獄まで見えるのではないかと見紛うばかりに透明な水を湛えていました。
「よくもこんないい加減で、不遜な心根の私を受け入れて頂いた…」 という思いが湧き出した瞬間、二年前のあの時と同じような感動と共に、止め処なく涙が溢れ出して瀧のように流れ出し、胸元を濡らしていきました。
帰り道は深い霧に覆われ、そこに昇り始めた朝日の光で全身が白いベールで包まれました。日輪が木漏れ日となって私を包み、周りの木々や石畳の石からも「よくやり遂げたね!良かったねー」と祝福してくれているように感じながらの、至福の中での帰り道でした。
僧侶としての初心となった、帰山後初の六月大祭での挨拶
その二年後、当山に帰って最初の六月大祭の折、開山大僧正様から、「信者の皆さんに帰山の挨拶をせよ!」 と命じられていましたので、あの夜見た、「名実共に〝香煙絶ゆる事なし〟の高野山の奥の院のような信仰の霊場、修行の道場へと、この蓮華院を、奥之院を為すべく、私の一生を皇円大菩薩様に捧げる事を、ここにお誓い致します」と短いご挨拶をした事を、今もありありと憶えています。
「初心忘るるべからず」という言葉がありますが、私にとっての僧侶としての初心は、十九歳と二十一歳の時のあの体験と、二十三歳の時の先の信者の皆様への挨拶を措いて他にはありません。
能を大成した世阿弥は「初心忘るるべからず」として忘れてはならない初心として「是非の初心」「時々の初心」「老後の初心」を挙げています。未熟だった頃を忘れる事なく精進すること。経験を積んだ後も、年齢が上がっても常に謙虚な心を忘れず努力すること。
私達は老齢になっても人生や佛道に完成は無いのですから、生涯が修行である事を心に留めて、日々向上すべく勤めて行きたいものであります。合掌
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