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大日乃光






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2014年03月11日大日乃光第2070号
「開山大僧正様の御霊力と運命に導かれての結婚」

三十六回目の結婚記念日

来たる三月十二日は、私と妻久美子の結婚三十六周年に当たります。三回目の干支が巡ってきたことになります。

先月から私の青年時代の事を二回もお伝えしていますが、今回も二十五歳当時の私の体験にまつわる話をいたします。

開山上人様の結婚のお達し

二十三歳で当山に帰山して一年程経ったある日、開山上人様からお呼びが掛りました。お部屋に伺いますと、突然、「英照! おまえは結婚しなさい!」と言われました。

その時は相手が誰かも全く言われないままでした。その時、私は初めて開山上人様に逆らって、こう言ったのです。「いえ! 私はまだ修行が足りませんから、当分結婚のことは考えておりません!」と。

すると、「ほう? そうか! お前の修行は結婚したら出来なくなるようなものか。そんなのは本当の修行じゃない! 本当の修行というものは、佛様からさせられるものじゃ!! よく考え直してみよ!」と言われたのです。その話はそれ以上なさらず、後は別の話になりました。

心を惹かれた清楚な大和撫子

それから一ヶ月後の昭和五十二年五月十三日の御縁日の事でした。

何かに引き寄せられるようにして、当時の庫裏の二階の自室の窓から、現在の手水舎に目が向きました。顔は見えないながらも、ピンクのワンピースも清楚な若い女性が手と口許を清めている姿が私の目と心に飛び込んできました。

その数分後、庫裏の廊下で先の女性とすれ違いました。その時も、これまでに感じたことのない程の印象が心に焼きついたのです。

後で知った事ですが、その時、その女性はお父上様とご一緒に、開山上人様の特別指導を受けられたそうです。その時、開山上人様はその女性をマジマジとご覧になり、その女性もしっかり開山上人様に向き合ったとの事でした。

仕組まれていた運命の歯車

それから半年後、大梵鐘「飛龍之鐘」の打ち初め式の準備で忙しくなる頃、ある信者さんのお嬢さんが修行を兼ねて、住み込みでお手伝いに来られました。それが半年前に私の心に深い印象を与えた女性だったのでした。

後で知った事ですが、その女性のお父上様と開山上人様は、二人だけの約束をしておられたのでした。開山上人様は、「三ヶ月、お嬢さんを修行に出しなさい。近い将来英照の嫁にしたいと思っているが、送り出す時は、この事を決して本人には言わずに送り出しなさい」と言っておられたのでした

魂だけの全国行脚

既に体力の弱っておられた開山上人様は、昭和五十二年十一月十三日、先代の真如大僧正様を「打ち初め式」の導師ご名代に任じられて、自らは大梵鐘の初めての佛音(鐘の音)を本院で聴いておられたのでした。

〈大きな仕事を成し遂げた〉という安堵感からか、開山上人様はそれから急激に体力を落として行かれました。長い時間ウトウトと眠っておられることが多くなりました。

私が「眠いのですか?」と尋ねると、「眠いわけではないが、多くの人達に会っておかんとな!」と、その時は何を言っておられるのか解りませんでした。

後の本葬儀(昭和五十三年一月十三日)の時に何人もの信者さん方に聞いた話では、そのウトウトしておられた頃、「突然是信大僧正様(開山上人様)が我が家に来られて、ニコニコと笑っておられて、一言、二言、言葉を交わした」「私の家には昼間に来られた! あのお顔はどう見ても是信大僧正様だった。その時以来、私の長年の持病が不思議な事にすっかり治りました」こんな話を何人もの信者さんから聴いたのです。

「多くの人に会っておかんとなあ!」とは、身体は本院の中興開山堂に居られるままに、魂を全国に飛ばされて、多くの信者の方々にお会いしておられたのでした。

御入定のお姿に誓った蓮華院中興の継承と発展

大梵鐘の打ち初め式以来、私は奥之院に住み込み、以来少なくとも五年間は、毎朝の勤行の始めに大梵鐘を打鐘する日々を送りました。

しかし打ち初め式から四十七日目の十二月二十日、本院から奥之院に驚天動地の電話が入りました。「大僧正様が今亡くなられた!!」私は目の前が真っ白になりながら、取るものも取り敢えず、一目散に本院に向かいました。

さながら数日前にそのお姿を最後に拝した時と全く同じく眠っておられるような、安祥としたご入定のお姿でありました。父や伯父や伯母が傍に座っておられたので、私はご挨拶の後、布団の中に手を入れて、足を触らせて頂きました。その足はまだ温かく、まさにまだ生きておられるかのようでした。

その足に触れながら、私は心の中で、〈長い間大変な道程を歩み通して来られました。私はその道をしっかりと歩み、後を引き継ぎますのでどうかお守り下さい!!〉と心の中でつぶやきました。

親族同然に過ごしたお通夜

その後、奥之院に姉と信者さんのお嬢さん(後に妻となった久美子)を残して来た事を思い出し、二人を迎えに行きました。その二人と他の近親者だけでそのままご入定されたその部屋に入り、一晩の仮通夜を過ごしたのでした。

その時、つい最近来たばかりにも関わらず、そのお嬢さん(久美子)に誰一人として「あなたはお休みなさい」とは言い出しませんでした。後で本人に聞くと、「大僧正様からここに居なさいと言われているような気がして、そのままそばに居させて頂きました」とのことでした。

大いなるお力に促された求婚

それからお通夜、密葬、建設中の開山堂への埋葬と続き、奥之院で初めての年末年始の準備へと多忙を極めていた十二月二十九日、三ケ月の約束でお手伝いに来られていた、先の久美子さんが「ご相談があります」と言われました。

「誠に申し訳ありませんが、母を亡くした父が故郷にたった一人で居りますので、年越しが気になります。こちらのお寺もこれから大変とは思いますが、どうか帰らせて下さい!」と。

私は〈このまま別れてしまえば、一生会えないかもしれない!〉という思いが突然心の中に芽生え、それと同時に開山大僧正様から、〈英照!何をしておる!自分の口でしっかりと求婚せよ!!〉と、後ろから押されているのをはっきりと感じ、意を決して久美子さんに、「私と結婚して下さい!!」と言っていました。〝言わされている〟とも感じながら、答えを待ちました。すると、「一晩考えさせて下さい」との答えでした。

不思議な縁で時空を超えて結びついた二人

明けて十二月三十日の早朝、久美子さんは、「解りました。不束者ですが、私と結婚して下さい!」と応えてくれました。

近い内に結婚するとなれば、その年が実家で迎える最後の年末となり、最後の正月になるという事で、すぐに鹿児島の実家に帰って頂きました。

そして奥之院の落慶法要を八ヶ月後に控えた三月十二日。本院の本堂で真如大僧正様を戒師に、伯父夫妻を媒酌人に、佛前結婚式を挙げ、引き続き奥之院の信徒会館で披露宴を執り行いました。

その数年後、妻のお父上様がこんな話をされたと私の親友が話してくれました。「大山家の先祖は源平合戦の〝宇治川の先陣争い〟で有名な佐々木高綱を家祖とする家柄で、その系統に佐賀東妙寺の開基、唯圓上人が居られます。

元寇に備えるために、後宇多天皇の勅願によって東妙寺を開創するために唯圓上人を遣したのに呼応して、鎌倉幕府も寺社奉行として唯圓上人の実弟を佐賀に派遣したと聞いています。

ですから東妙寺の寺紋と私の家の家紋は同じなのです」と。この事は私達の結婚の後、しばらくして私の親友から直接聞いた、妻のお父上様のお話でした。

私が少年期、青年期を過ごした東妙寺を創建された佐々木高綱の直系の子孫の方々と、七百年の時空を隔てて夫婦として巡り逢わせられるとは、何という不思議、何という巡り逢わせでありましょうか?

私は先代の後を承けて、平成四年からの六年間、その東妙寺の四十七世法印を務めていたのでした。(続く)



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