2014年04月29日大日乃光第2075号
『「布施大道」の先代の志をさらに高めつつ励む決意』
植物は実を遺す 私達は何を遺せるか
先月中旬には例年通り、貫主堂裏の朴の木が大きな花を咲かせ始めました。本誌が皆さんの手元に届く頃には多くの花が終わり、実を付けつつある状態かと思います。
全ての植物は毎年花を付け、実を結び、次の世代を遺して行きます。特に一年生の草は、その短い一生の間に気付かない程の小さな花を付け、実を落としてその一生を終えて行きます。
それに対し、私達人間は七十年、八十年もの一生を生きるために、ともすれば月日を無為に過ごしてしまいがちです。
稲盛和夫さんの説く人生成功の〝方程式〟とはそんな私達ですが、人生を真剣に生きて来た人々は、必ず燃えるような情熱と努力によって、大きな成果を遺しておられます。
そんなお一人に、私が以前から注目し、関心を寄せていた人物がおられます。多くの人がご存知の、稲盛和夫さんです。京セラを世界一のセラミック会社に育て上げ、第二電電(現KDDI)を日本有数の会社にして行かれました。
その稲盛さんの著書『生き方 人間として一番大切なこと』(サンマーク出版)という本があります。この著書の中で、稲盛さんは人生成功の方程式を掲げておられます。
それは「成功=能力×努力×心構え」というものです。人は少々能力が高くても、「自分は頭が良いのだから、努力しなくても成功する」と、コツコツと努力している人を見下していると、遂には自分よりも能力の劣った人に追い越されてしまう、ということです。
なぜなら人生に於いて成功するか否かは先の三つの要素の足し算ではなく、掛け算だからという考え方です。
そして見落としがちな事は「心構え」です。これは生きる姿勢、人生哲学と言ってもよいでしょう。この心構えが悪い方向に向いていれば、それはマイナス要因となるのです。
能力と努力がいかに大きなプラス要因になっていたとしても、心構えのマイナスを掛けると、結果は一気にマイナスになってしまうというのです。
蓮華院信仰の〝三力〟
私が時々お話しする事に「三力」(さんりき)があります。これは「以我功徳力 如来加持力
及以法界力」です。意味は、自分自身の努力と佛様のお救いの力、そして社会の状況の三つの要素によって、修行の成果が決まるということです。(『大日経七供養儀式品』『胎蔵四部儀軌』など)
これを元に当山独自の三力として、信者の皆さんの信心の力、皇円大菩薩様の御霊力(
救済力)、そして私の祈祷の力、この三つの力の掛け算の結果として、ご利益や霊験が現れるというものです。ここでも足し算ではなく掛け算であるという事が大事です。
例えば皇円大菩薩様の絶大なる御霊力に加えて私が真剣に祈っても、祈祷をお願いする方が信じていなければ(つまりマイナスかゼロであれば)、結果はマイナスかゼロになってしまいます。
つまり皇円大菩薩様のお力が無限にあり、私が一心に祈っても、祈祷をお願いされた方の信心がゼロであれば∞×1×0=0という事なのです。
因果応報の基は善悪の判断
先の稲盛さんの説に戻します。
「能力×努力×心構え」の「能力」も「努力」も充分に分かりますが、「心構え」とは何でしょ
う。この心構えを作るものこそ、正しい信仰ではないかと思います。
佛教は因果を説く宗教です。良き思い、良き努力が良き結果をもたらし、悪しき思いや悪しき努力(そんなものを努力と言えるかどうか分かりませんが)は、悪しき結果をもたらすのです。
しかし残念ながらこの「因果の法則」はたちどころには、すぐには結果が出ない事の方が多いので、人は因果の法則に疑問を持ったり信じようとしないのです。
ここで「良き思い」や「良き努力」とは一体何か? という疑問がわいてくると思います。これは人間が本来持っている判断力に基づくもので、何が良い事で、何が悪い事かは子供でも分かっていることです。
白楽天と道林禅師の問答
中唐の詩人として有名な白楽天(白居易)と鳥 道林禅師(以下道林禅師)の有名な問答があります。
道林禅師は松の木の上で生活しながら佛法の真髄を探求したと伝えられる高僧です。白楽天はこの禅師に出会う機会を待ちかねていましたが、白楽天が杭州刺史(現浙江省の施政官)になって、いよいよ秦望山に道林を訪ねることとなりました。
白楽天が「そんな高い所での生活は危ないぞ」と問えば、道林禅師が「危ないのはそっちの方だ」と応えます。再び「木の上が危なくなく、地上が危ないとは何故でしょうか?」と問うと、禅師は「佛法を知らず、心の定まらぬ者は、地上にいても危ない」と応えました。
白楽天が「その佛法とは何か?」と尋ねると、「諸々の悪は作さず、衆々の善を奉行し、自らその意を浄める、是れ諸佛の教えなり」と禅師は応えられました(『七佛通戒偈』の最初の句「諸悪莫作(しょあくまくさ)・衆善奉行(しゅうぜんぶぎょう)」)。
白楽天が「そのような事は三歳の童子でも知っている!」と返すと、禅師は「三歳の童子これを知ると雖も、八十の老翁なおこれを行うこと能わず」と、再び応えられました。
白楽天はこの言葉に心を打たれて返す言葉を失い、やがてその意を理解し、竹閣(広化寺)を建て、以後朝な夕なに訪れては、参禅したというお話です。
この話のように、そもそも全ての人は何が良い事で、何が悪い事かを本能的に知っているのです
。しかし食品偽造などの社会的不祥事から、子供の世界のイジメに至るまで、悪事は尽きません。そこに人間の人生の難しさがあります。
「六波羅蜜」は人生をより良く導く道標
そんな人生の中で「人は何のために生きるのか?」という問いを常に真剣に自分に問い掛けている人にとっては、自ずと答えは見出だせると思います。
先の稲盛さんも、この「人は何のために生きるのか?」という問いに対して、「生まれて来た時よりも、少しでもましな人間になる事」と書いておられました。
私は「今の人生に於いて、少しでも魂を綺麗にして死ぬ事」「今生で魂のレベルを少しでも上げる事」と考えています。
この様な心構えが人生を良い方向へと導くプラスの心構えであると確信しています。良き人生、良き生き方の道標として、大乗佛教では「六波羅蜜」という六つの努力目標・実践方
法が説かれてきました。その六つとは、
①布施波羅蜜=自らの持っている財や知識や体力などで、周りの人々や事柄に対してサービス、奉仕に努めること。
②持戒波羅蜜=社会や佛法に定められたルールや戒律を保つこと。
③忍辱波羅蜜=困難な中でも耐え忍び、気持ちを切らさないこと。
④精進波羅蜜=常に弛まず努力を続けること。先の稲盛さんの成功のための「努力」に相当します。
⑤禅定波羅蜜=心を落ち着かせ、集中力を保つこと。
⑥智慧波羅蜜=天地自然の法則を正しく理解して、本当の智慧を磨き出すこと。
①の布施波羅蜜は当山では具体的に「一食布施」や「同胞援助」として、三十四年前から信者の皆さんに提唱し、その浄財で様々な国際協力の活動を続けて参りました。
またこの布施波羅蜜は欲望を正しい方向に向けるものでもあります。自分さえ良ければ他の人はどうでも良いといった、利己的な生き方からの大きな転換の大切なきっかけとなるものです。そして自分の小さな欲望から、社会へ、また世界へと広く心を開く実践でもあります。
この布施の実践を通じて、私達に他の人々への慈しみの心を育て、心のステージを上げていく事にもなるのです。
「布施」と「精進」で形作る人生の良き心構え
この六波羅蜜の全てを常に心に掛けるのが難しいと思われる方は、布施と精進の二項目だけでも、日々の生活の中で心掛けて、自身の生き方の根本にして行くようにされれば、それがそのまま「良き心構え」となるに違いありません。
先の三力(自分の努力×佛様のお加護×社会の恵み)の内の第一の「功徳力」に相当するのが良き心構えを持った努力なのであります。
先代真如大僧正様の「布施大道」の書を板に彫り込んで、随分前から本堂に掲げています。これは先代の最も大切にされた言葉です。
「布施の実践こそが人生を幸福に導く大いなる道である」との信念が籠められた書で、当山自体も今後更にこの「布施大道」を道標にしつつ努力精進して行きたいと、心を引き締めている昨今であります。合掌
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