2014年05月20日大日乃光2076号
「未来を託す子や孫の赤ちゃん土俵入り健康祈願」
佛天のお加護に恵まれた第三回南大門春まつり
去る四月二十九日は第三回目の「南大門春まつり」が盛会のうちに円成しました。
事前の天気予報では、当日は午前と午後共に雨の予報でした。実際に前日の二十八日と翌日の三十日は終日雨でしたのでその間を縫って、まさに佛天のお加護の中での一日でした。
それまでに春まつり実行委員の皆さんは何度も何度も集まり、数々の打ち合わせや事前の作業を行って頂きました。
二十九日の朝は、いつもの全国の信者の皆さんのための祈願・祈祷を終えた後、どうしても天候が気になりましたので、春まつりの好天と安全も祈りました。
祈祷が終わり東の空を眺めると、それまでの曇り空の雲間から茜色の朝日が顔を出してくれましたので思わず合掌し、更に「どうか全ての行事が終わるまで雨を降らさないように!!」と祈念を凝らしました。
地域の人々と共に見つめ直す〝ふるさとの物語〟
そして七時には本堂前で、当日の安全と無魔成満を、寺内の全職員と一緒にお参りし、更に八時からは全ての実行委員会の皆さんにご挨拶をしました。その中でこんな話をしました。
「この寺は皇円大菩薩様がこの地でご誕生になられた事に因んで、約八百年前に創建されました。その後、寺は一時断絶しましたが、地元の皆さん方の先祖の方々によって守り伝えられ、数々の地名や遺跡を今に伝えて頂きました。
昭和に入ると皇円大菩薩様が自らの生誕地に帰って来られるのに呼応して、開山大僧正によって中興への途が開かれました。そして三年前の南大門再建によって、当山の中興は一応の達成を迎えました。
これらの全てはこの地に皇円上人(大菩薩様)がお生まれになった事から始まった「ふるさとの物語」です。
今日、これから「赤ちゃん土俵入り」をする百名の幼児達の中から、未来を切り拓く人材が輩出するかもしれません。更には日本を、世界を変え、導く偉大な逸材になるかもしれません。
そのような偉大な人物を育むためには、私達自身が誇りに思えるような、輝かしい地域にする努力と、私達自身が良き大人となり、社会人として次の世代を育む努力が必要です。
どうか皆さん、このお祭りを地域の人びとのふれ会いと、ふるさと愛を高める行事にして行くためにお力をお貸し下さい。今日はよろしくお願い致します」
この様な話を終えるや否や、方々から拍手が沸き起こり、私自身も背筋が延びるような思いがしました。
一人一人に一心に祈り願いを籠めた赤ちゃん土俵入り
そしていよいよ祭りのメインである「赤ちゃん土俵入り」となりました。玉名相撲連盟の力士さん達に抱かれた赤ちゃんの中には終始大泣きしている子、泰然と眠っている子など様々でした。
私は土俵入りの作法の間、錫杖加持で様々な霊障を除き、幸福を授ける作法に念を籠めます。
引き続き一人一人に佛様の眼(まなこ)が開くよう中指の先に塗香を付け、佛眼の真言を唱えながら眉間の少し上に塗香を塗り、更に頭上に五鈷金剛杵をかざして佛智が開き佛徳を得られるよう、一人一人に一心に祈念致します。
昨年は長女の長男、そして今年は次女の長男と二年続けて孫の「赤ちゃん土俵入り」に自ら導師を務めました。
「しっかりと未来を皆負って行ってくれよー」
「雄々しく逞しく生きてくれよー」
「あなたにしかない良き徳性を存分に発揮してくれよ!!」
という思いに深さと祈りの力が籠もっているのを実感しました。
来年は三女の娘がこの土俵入りを受けるはずですが、この様に身近な赤ちゃんが続くことで全ての赤ちゃんに深い思い入れを持てる事は、何とも有り難い事であります。
「子は宝」を日本復興の心の起点に
銀も金も玉も何せむに まされる宝 子に如かめやも
奈良時代の歌人、山上憶良は子供は銀にも黄金にも碧玉にも勝る宝であると『万葉集』に歌いました。やはり人には子供を授かって始めて実感できる事も多くあります。
かく言う私は比較的親バカ、孫バカではない方だと思っていますが、やはりこの孫の中に自分の遺伝子の四分の一が確実に伝わっているかと思うと、若い頃にはさほど考えなかった「子は宝」という事を理屈抜きに実感させられました。
そして目の前に居る一人一人の赤ちゃんを持つ親も祖父母も、同じように子や孫に深い愛情と愛着を持っておられる事もひしひしと伝わって来ます。
昔の日本人の子や孫に対する接し方は、明治前後に来日した欧米人の目にとっても、素晴らしいものと映っていたという記録が数多く残されています。それらの欧米人は、日本の子供達はとても大切にされていて、子供自身が世界でも稀に見るほど幸福そうだという印象を書き残しています。
先の和歌のように日本人は長い歴史の中で子供を宝と感じ、宝とみなして育んできたのです。この様に子供を「子宝」とみなして大切に育てるものだという事を、昔に劣らず現代にも復活して行く中で、その子供は更に輝きを増して、その子の良さも更に発揮されるに違いありません。
この様な思いを親だけでなく、周りの全ての大人達が地域ぐるみ、国ぐるみで持ち続ける事が、日本社会が精神的な意味において復活する一つの大切な心の在り方ではないかと確信します。
全ての子供たちに遍く笑顔を
これは私の個人的な体験ですが、身障者の妻をデイケアーのために、車で週に何回か福祉施設に送迎しています。
すると寺から車で十分程の道の途中で二つの小学校の通学路を通ります。すると集団登校の生徒達と度々すれ違います。その時、言葉を失っている助手席の妻は明るい笑顔で笑い声を出しながら、それらの子供達全てに手を振って挨拶をしています。
車道と歩道ですから妻の笑顔と手を振っている姿に気付かない子供達がほとんどですが、その中の何人かが気付いて同じように笑顔で手を振って応えてくれます。
何とも微笑ましく清々しい一時で、私も笑顔がほころびます。私も妻のマネをして、同じように子供達に笑顔を送るようになりました。
そんな中で「あと何年かで、孫達もこうして通学するようになるね」と話すと妻は「ウンウン」
と頷いて笑っています。「全ての通学生を自分達の孫のように思って、笑顔で手を振ろうね」と言いますと、同じように深く深く頷いてくれます。
私達は自分の子や孫には注意や愛情を注ぐ事が出来ますが、いま少しだけ広く周りの子どもや地域の人びとに心を向け、さらにはもっと広く日本や世界に心を向けて行きたいものです。
心ひろびろとさわやかに挨拶を交わす。小さな事から少しずつ、その輪を広げて行きたいものです。出来たら、その最初のきっかけを私達一人一人が心掛ける所から、少しでも地域を明るくして行きましょう。九十七名の赤ちゃんの幸福を祈りながら、こんな事を感じました。
人は自分より愛しいものを見いだすことはできない?
こんな事を書きますと、
「自分には子供も孫も未だ居ません。こんな私はどうすれば良いのでしょう?」
という方のために、少しお釈迦様のお話をいたします。
昔、コーサラ国にパセーナディ王とそのお妃であるマッリカー夫人(勝鬘夫人)がいました。夫人はお釈迦様に深く帰依する、とても敬虔な佛教徒でした。
ある日、お城の高楼に登って沈みゆく夕日を眺めながら、互いに穏やかな気持ちになる中で、王は傍らの夫人に尋ねました。
「愛するマッリカーよ、私はこの世で私自身が誰よりも、そなたよりも愛しいと思うのだがどう
であろうか?」と。
王は当然(私も陛下を一番愛しく思っています!)という答えが返ってくるものと信じていまし
た。しかしその時、夫人も素直な気持ちになって深く考えてみて、こうお答えになりました。
「陛下、その通りでございます。この世では自分自身よりも愛しいものはありません。私もそう思います」と。
王はその返事にガックリと失望するとともに、その問いをあらためて自分自身に問いかけてみて、自分もまた夫人と同じであることに改めて気づかされるのでした。
(しかし、この想いは人として正しいのだろうか?)そう疑問に思ったお二人は、祇園精舎を訪ねてお釈迦様にそのことをお尋ねになりました。
するとお釈迦様はこう答えられたのです。
『人の思いは何処へも行くことができる。
されど何処に赴こうとも、自分より愛しいものを見いだすことは出来ない。
そのように他の人々も、自分の事はこの上なく愛しいものである。
されば自分を愛しく思う事を知るものは、他のものをも愛しまねばならない』と。
この世で一番大切なのは自分自身であるというのが本当に分かった時、領民や家臣達もそれぞれが、自分が一番大事である事も分かるであろうとお釈迦様はお二人に説かれました。
このお言葉・教えのように、私達は自分の延長でもある子供や孫が愛おしいと思えば思うほど、全ての人が自分の子や孫の事を愛おしいと思っている事に気付かなければなりません。
さらには本当に自分を大切に出来る人こそが他の人を思いやり、他の人の子や孫にも愛情を巡らせる事が出来るのです。
人は親や祖父母から真に愛されて育つ事によって、他の人を労り大切にする事も出来るようになるに違いありません。合掌
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