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2014年05月30日大日乃光2077号
大いなるお力に守護されたミャンマー学校建設支援活動

大いなるお力に守護されたミャンマー学校建設支援活動
 
れんげ国際ボランティア会(ARTIC=アルティック)と日本財団が協力して、昨年の五月からミャンマーの南部地区のイラワジ管区で十校の学校建設を開始しました。そして本年四月末から次々と新校舎の落成式が執り行われている中で、去る五月八日から十一日まで、私はアルティックの会長としてミャンマーに行ってきました。
 
「ご遺骨帰國運動」と旧『大日新聞』が機縁になって
 
そもそも今回の学校建設という大仕事が始まったのは、一昨年の末に宗派を超えた同志の皆さんと「ミャンマー/ビルマご遺骨帰國運動」を始めたことが大きなご縁の始まりでした。
 
加えてその年の夏のある日、ミャンマーの和平達成のために、少数民族の大同団結を目指して命がけで働いていた井本勝幸さんに電話した時のことでした。その頃私は度々井本さんに電話をかけたりメールを送ったりしながら時には励まし、時には応援出来そうな人物を紹介したりしていました。それに加えてその頃から、毎朝の祈祷の中で彼の身の安全と志の達成も併せて祈り続けていました(その祈りは今も毎日続いています)。
 
そんな中で日本財団の国際協力部長の森祐次さんと井本さんが夕食を食べながら打ち合わせをしておられた時に、井本さんの携帯に少し長めの電話をかけたのでした。その時、森さんが「誰ですか?こんな時間に長々と電話してくるのは?」と不満気に問い質すと「熊本に蓮華院という寺があって…」と井本さんが言い終わらない内に「その人!まさか川原英照さんじゃない?」と言われ、井本さんは、なぜ森さんが私の事を知っているのか、とても驚いたそうです。
 
実は森さんとは二十五年程前からの巡り合いがあったのです。二十五年前のその時以来、森さんは本誌がまだ『大日新聞』だった頃から読み続けておられたのです。
 
二十五年前の森さんは、これからの人生を国際的な企業でこのまま一人のサラリーマンとして勤めるか、それとも新たに国際協力の世界に入って行くべきかを私に相談に来られたのでした。
 
こんなご縁が元々あった中で、井本さんのミャンマーでの和平交渉とご遺骨帰国運動をご縁にして、私と森さんとのお付き合いが復活したのでした。
 
日本財団と二人三脚での学校建設支援事業
 
またアルティックのスタッフの平野君は、アルティックに籍を置く前の五年間、同じく森さんの所属する日本財団の支援でミャンマーで学校建設をしていたのです。
 
こんないくつかのご縁が重なって、昨年の五月から平野君をアルティックの現場責任者としてミャンマーに派遣し、資金的には日本財団が支援するという体制での事業となったのです。
 
昨年十月十五日にミャンマー・イラワジ管区の行政と日本財団とアルティックの三者間で正式に覚書を交わしました。その結果、今年十校、来年十五校、再来年も十五校と合わせて四十校の学校建設事業を進めることになったのです。
 
佛教精神が根差したミャンマー
 
今回、私はアルティク事務局長の久家君と二人で、十校の内の二校の落成式に参列して来ました。
 
アルティックは昨年から、かつて首都だったヤンゴンとイラワジ管区のザルーンに事務所を構えています。五月九日の朝五時にヤンゴンを出発し、落成式のある学校に着いたのが午前九時。約百名の生徒が学ぶ小学校には、イラワジの大臣と教育次長が来賓として来られました。
 
その来賓控え室では、大臣自身から僧侶である私に最上の特別席を勧められました。かつてスリランカで体験したように、彼の国でも僧侶はとても大切にされているのを身の引き締まる思いで受け止めました。
 
村人の熱意で決まる学校建設
 
今回の私達の学校建設に当たっては、特筆すべき基本方針があります。
 
それは建設費が仮に日本円にして四百万円だとすると、その四分の一に当たる百万円を村の全員で手分けして集めて頂きます。もし四分の一の資金が集まらなければ、学校建設は始めないのです。
 
そして最初の着工時に、まずその金額を拠出しますが、実は日本財団では学校建設の金額が全額予算化されていますので、結局、村人が必死に積み立てた四分の一の資金は、将来に亘って学校を維持管理していくために、村人の合意の上で行う事業によって使われるという計画なのです。
 
事業はその村に相応しいように村人達で充分に検討し、村の総意として村興し的に実施して頂きます。建設工事にも、村の人達が代わる代わる総出で労働奉仕をして頂くのです。
 
テレビの番組などでタレントさんが「どこどこに学校を建てました」といった事が美談として伝えられる事があります。しかし、これはよく考えてみれば、将来の維持費や修理費などの事をあまり考えていないように思われます。ともすれば、全くの善意で外部からの資金で建てられた学校が、数年後、数十年後にはどうなって行くのかまでは考えられていないのではないでしょうか?
 
御本尊様のお導きと歴代貫主の供養の功徳
 
ここまでは五月十二日の帰国までに書いておりました。そして今朝(五月十三日)、いつもの朝の祈祷の中で、ふと一昨年の一月二十一日号(一九九九号)に「未来の人づくりのために学校を建設したい」と書いていた事を思い出しました。
 
その年の八月にミャンマーに眠る四万五千余柱の旧日本兵のご遺骨の事を知り、また九月には日本財団の森さんと二十五年振りに再会し、一年八ヶ月後にはミャンマーに十校の学校が建ったのです。こんな思い出が走馬灯のように私の記憶に蘇り、感慨無量の中で大いなるお加護に身震いする程の感動が、私の体を貫きました。
 
これは御本尊皇円大菩薩様のお導きと、当山の歴代貫主が戦事犠牲者の供養を常に行なって来られた事の功徳が、ミャンマーでの学校建設という具体的な形となって表れたものと受け止めております。
 
常々、当山では先祖供養の大切さとその功徳をお伝えしています。全国の信者の皆さんのほとんどが、この事を身を以て実感しておられるはずです。
 
私自身も妻久美子も、毎月の「先祖追善護摩供養」を一日も欠かさぬように修しています。この先祖供養の功徳力で日々元気になって行く妻の事と、不思議なご縁繋がりで意義のある仕事をさせて頂いている幸福を実感しています。
 
今回のミャンマー出張では皇円大菩薩様のご霊力が、時間も距離も超越したものである事を常々感じておりましたが、自らが数々のご加護を頂く中で殊更に体感致しました。
 
龍神様のお計らい
 
今回の旅でも具体的に有り難い事がありました。五月八日の午後三時頃(現地時間)、ミャンマーのヤンゴン国際空港に到着した時、現地は雨でした。数日前までは四十度を超える酷暑の日々だったそうです。
 
九日のザチェ小学校の開校式の中心となる儀式として、私は学校の敷地と校舎をお加持しました。その祈祷をしていたまさにその時、さながら土埃を鎮め空気を清めるように、快晴の空から慈雨のような小雨が降り始めました。その後、場所を変えての式典でも再び雨が降り出し、新築成った校舎内も爽やかな空気で満たされました。そして帰り着いた成田でも、しっとりとした雨の中に降り立ちました。
 
こうして皇円大菩薩様のお加護の中で、無事に、しかも稔りのあるミャンマー出張となりました。
 
来たる六月十二日には逆に、全国の信者の皆さんと一緒に雨のない「龍火くだり」が実現出来ればと念じながら、皆さんのご来山を心よりお待ち致しております。合掌



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