2014年06月06日大日乃光第2078号
絶大なる御加護に感謝の祈りを捧ぐ六月大祭御遠忌大法要
間近に迫る六月十三日が、蓮華院信仰の要(かなめ)の日
いよいよ六月大祭が間近に迫りました。
年に一度の全国からの信者の皆さん達の〝里帰り〟とも言えるご来訪を万全の態勢で迎えるべく、寺内の全職員挙げて励んでいる日々であります。皇円大菩薩様御入定八百四十六年の大祭は、何と申しましても信仰上最も意義深い大祭であります。
衆生済度の誓願を実践された日本佛教界の二人の大聖
数千の弟子を訓育され、九十六歳になられた皇円上人様は、今から八百四十六年前に、
『末世の衆生を救わん!』
『その功徳を積むべく、龍神修行に入らん!』
『修行の曉には菩薩となって再臨せん!』
といった菩薩の心を結実された、菩薩の誓願を実践された尊い日であります。
この様な末世(『末法』の世・後述)の人々を救済しようという願いを以て入定(心を鎮めて深い瞑想に入ること)されたお方は、私の知る限りでは弘法大師と皇円大菩薩様のみであります。
弘法大師空海上人様は、インドでお釈迦様によって起こった佛法(佛教)の最終段階に発展し深められた密教を、日本に伝えられました。当時の朝廷にも大きな影響を及ぼされ、日本の政治を安定させて文化を発展させられました。
また世界初の身分を問わない総合大学を開創され(現在の高野山大学と種智院大学はその後身)、そして高野山を開創されて来年で千二百年になります。
皇円大菩薩様がご在世の当時は、比叡山において一般の佛教である顕教(天台教学)と真言密教の系統の佛教の両方を修められ、「当時第一等の人」「一山の雄才なり」と称えられる最高の高僧でありました。皇円上人は、おそらく弘法大師を心の中で相当に意識しておられたはずです。
「末法」の世を救うための「龍神入定」
また日本三大史書の一つと評される『扶桑略記』を編纂されるほどの歴史学者でもあられた皇円上人は、その当時多くの人々が気にかけていた「末法思想」も充分に理解しておられました。
「末法思想」とは、佛法を開かれたお釈迦様の入滅後五百年間は正しい教えが伝わる時代である「正法」の時代、その後の五百年間は佛法の形式は残って人々が救われる「像法」の時代、それ
以降は佛教の正しい教えも形式も残らない「末法」の時代という佛教の歴史観の一つです。
この「末法」の世に於いて、「どうすれば人々を救えるのか?」という疑問に対して皇円上人は、長い寿命を持つと言われる龍神に身を変えて、自ら修行を続けようと決意されたのです。
この事を示すエピソードとして当時の太政大臣(現代の総理大臣に相当)である花山院忠雅公の日記に、以下の様な事が書かれています。
桜ヶ池龍神伝説の歴史的証し
今から八百四十六年前の嘉応元年六月十三日の夕暮れ時、一陣の突風と共に忠雅公の屋敷を一人
の旅の僧が訪ねます
『拙僧は比叡山功徳院の皇円と申す者。当家のご主人に目通り願いたい』と旅の僧。
「しばし待たれよ」と、家人は急ぎ忠雅公の許へ奔ります。
「なに!皇円とな?皇円上人は今朝方お亡くなりになったと聞いておる。余をたぶらかそうとは不届き千万!これへ引っ立てい!」
旅の僧が庭に姿を現す。
「これは…間違いなく皇円上人様ではありませんか!お隠れになった(亡くなられた)という報せは過ちだったのですか」と忠雅公。
『まさしく今朝方、私は人としての一生を終えました(驚く忠雅公)が、長命の龍神に身を変えて修行を続ける事を発願しました。ついては弟子法然の探索した遠州(静岡県)桜ヶ池を修行場として使わせて頂きたく、桜ヶ池の領主である貴殿に許可を頂きに参りました』と皇円上人。
「それはそれは尊い事。どうぞ上人様の思いのままにお使い下さい」忠雅公がそう答えるや否や、皇円上人の姿は瞬く間に消えてしまいました。「何と不可思議な事か…」と忠雅公。
その数日後、遠州より天変地異を伝える急報が届きました。『桜ヶ池に風吹かずして龍巻起り、雨降らずして洪水出で、池の中の塵芥、尽く払い上げ、諸人の耳目を驚かす』と。
この報を受けて忠雅公は、「桜ヶ池での天変地異の報せを考うるに、彼の皇円上人が当家にお出ましになり、桜ヶ池を借用したいと申された、まさにその日ではないか 何と不可思議な事よ」と日記に記されているのです。
このような事から皇円上人が龍神となって桜ヶ池に修行に入られたという伝説が始まるのです。その他にも法然上人の数々の伝記や絵伝に、この「皇円上人桜ヶ池龍身入定」の事が伝えられています。その後、法然上人、親鸞聖人など多くの高僧が桜ヶ池に参詣されたという事も伝えられています。
皇円上人御生誕の地に下された蓮華院中興への御霊告
一方、こちら玉名の地には皇円上人の甥の弟子に当たる惠空上人によって蓮華院浄光寺が建立されています。その当時の宗派は分かりませんが、遅くとも七百三十年程前には、既に真言律宗の肥後の国を代表する寺院であった事が、奈良西大寺の古文書によって分かっています。
しかし残念ながら戦国時代に地方豪族同志の争いに巻き込まれ、主な伽藍が焼失してしまい、寺院としての姿も消えてしまいました。
皇円上人の龍神入定から七百六十年後の昭和四年十二月二十日、後の開山大僧正様に、以下の御
霊告が下されます。
『我は今より七百六十年前、遠州桜ヶ池に菩薩行のため龍神入定せし皇円なり。今心願成就せるを以て汝にその功徳を授く。よって今より蓮華院を再興し、衆生済度に当たれ!!』
身の引き締まる思いでこの御霊告を受けられた開山上人は、その御霊告に忠実に従って蓮華院の中興への途を歩み出されたのでした。
以来八十有余年、歴代貫主によって皇円大菩薩様の衆生済度のお働きは国内のみならず、アジアの国々へも着実に広がりを見せております。
絶大なる御霊力の淵源は七百六十年もの苦難の龍神修行
そんな中で何と言っても多くの人々の苦しみを抜き去る皇円大菩薩様の絶大なる御霊力は、一心にお縋りされる信者の皆様にとっては、さながら親のような大安心を与え続けておられます。
この絶大なる御霊力、霊験の源は、『末世の人々を救いたい!』という大慈悲心から七百六十年もの苦難の龍身修行を修められた賜であります。
このご修行こそが歴史上の高僧としての皇円上人から、佛様としての皇円大菩薩様への飛躍の根源なのです。
皇円上人から皇円大菩薩様に、その御身を大転換された日こそ、間近に迫った大遠忌の日なのであります。
この様に大きな功徳の籠もった日に、皆さんこぞって御礼参りとして、そして更なる御加護を祈るために、来たる六月十二日からの御遠忌大祭に、ご家族やご友人、知人の皆様と一緒にどうぞお参り下さい。
合掌
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