2014年07月09日大日乃光第2081号
日本の「歴史を成佛」して頂き、この国の未来を輝かせよう
沖縄慰霊の日に思う
去る六月二十三日は、「沖縄慰霊の日」でした。六十九年前のこの日を以て旧日本軍の組織的な戦闘が終わり、事実上、沖縄戦が集結した日とされています。
私は二十五年以上前に、日本青年会議所の研修委員会の「洋上スクール」という船に乗り込んで、沖縄に研修に行った事があります。その時、日本軍の地下壕も見学しました。そこには海軍司令官の太田実少将(自決後中将に特進)による海軍次官宛ての電文が展示してありました。
電文の最後には、「…沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」という一文が記されていました。この司令官の年齢(五十四歳)は父の世代とほぼ同じでしたので、内地に家族を残してその場で自決された時、どんな思いであられたかと胸を締め付けられる思いがしたのを昨日の事のように思い出します。
戦勝国側にもあった非人道性
一方、終戦のほぼ一年前に当たる昭和十九年八月二十二日、約八百名の小中学生を日本本土に疎開させる航海中の対馬丸という貨物船が、アメリカの潜水艦の魚雷攻撃で沈没し、ほとんどの子供達が亡くなっています。
この事をNHKも「証言記録・市民たちの戦争 海に沈んだ学友たち~沖縄 対馬丸~」という特別番組で平成二十一年末に放送しています。残念ながらこれは観ていませんので何とも言えませんが、番組の宣伝では非戦闘員の子供達を殺すという国際法違反については一言も伝えていませんでした。アメリカでは対馬丸を撃沈した潜水艦が「真珠湾攻撃の復讐者」として真珠湾に展示されているとの事です。
大義名分を与えた宣戦布告の三十五分の遅れ
そもそも先の大戦でアメリカとの戦端を開いた真珠湾攻撃は、駐米日本大使館が事前に準備をして、攻撃三十分前にアメリカ政府に宣戦布告を通達する手筈を調えていたのですが、現地大使館員の判断ミスで、攻撃が始まってから三十五分後にこの宣戦布告が手交されてしまったのです。
この僅かな過ちによって、アメリカに「日本は卑怯な国」「リメンバー・パールハーバー」という大義名分を与えてしまったのです。
加瀬英明/ヘンリー・S・ストークス共著の『なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか』(祥伝社新書)によれば、当時のアメリカ大統領ルーズベルトは、日本側の暗号を完全に解読していて、日本の真珠湾攻撃を事前に知っていたがハワイの太平洋艦隊司令長官には伝えずに、敢えて日本側に開戦に踏み切らせたという事が書かれています。
私は日本の歴史を日本人の立場から書かれた本を何冊か読んでいますのでこの事を以前から知っていましたが、多くの方々は未だにアメリカ側が日本を戦争に引き入れた事を知らないのではないでしょうか?
先人の足跡を肯定的に捉える「自分の国の歴史」
ここ数年、終戦記念日が近づくにつれてテレビや新聞では「これでもか!」というぐらいに、かつての日本の戦争は間違った戦争で、日本はアジアの国々に迷惑をかけた侵略国だと言わんばかりの報道が繰り返されています。
このように自国の歴史を否定的に捉えた報道を、いつまで繰り返せば気が済むのでしょうか!「自分の国の歴史」とは、とりも直さず私達の先祖が歩んできた足跡であり物語です。先祖の生き様をこのように否定し続けていては、将来、私達も自分の子孫からどのように評価されるというのでしょうか?
先の大戦に対する全く逆の見方、捉え方として、こんな考え方もあります。七十数年前の世界では、アジア・アフリカのほとんどの地域が欧米の植民地でした。あの頃の世界は、まさに白人支配の時代でした。
そんな中で唯一、日本が立ち向かったのです。あの時代の日本は「東亜侵略百年の野望をここに覆す…」(「大東亜決戦の歌」作詞/伊藤豊太・作曲/海軍軍楽隊)という軍歌が残っているように、結果として日本は負けはしましたが、その後多くの国々が続々と独立を果たし、今では「人種差別は最も恥ずべき感情である」とする考え方が世界の常識となるに至りました。
現在の世界には百九十五ヶ国もの独立国が存在し、少数民族の問題がまだいくつか残されてはいますが、概ね人種差別は認められなくなっています。この世界的な大きな流れを作ったのは、紛れもなくこの私達の祖国日本であり、私達の先祖の努力の賜なのです。
二十代の外国人女性が携わった日本国の最高法規
一方で現在の憲法は日本に主権のない時代に作られました。この憲法は世界でも最も古いと言っても過言ではないぐらいに一言一句改正されていません。
約二十年前に、私は各界の多くのリーダーの方々が聴衆として集まった講演会に参加しました。その時の講師はユダヤ系アメリカ人のベアテ・シロタ・ゴードンという老婦人でした。
彼女は戦前、十年ほど日本に住んだことがあり、占領統治下の日本でGHQに勤め、自ら現在の「日本国憲法」の原案作成に関わった事を話されました。彼女は、日本の女性の人権に関わる条文は当時、二十二歳だった自分が提案したと誇らしげでした。私は「そんな若い女性があの憲法の作成に参加していたのか!」と、何ともやりきれない気持ちになりました。
しかし私以外の聴衆の多くが頷きながら尊敬の眼差しを向けるのに気がついて、さらに気持ちが滅入ってしまいました。と云うよりも、二十歳そこそこの外国人が参加して出来た日本の最高法規を、未だに後生大事にしていて、その事に何の疑問も抱かない周りの先輩の人達に失望していました。
聴衆の人達の娘の世代の人物が参加して日本国憲法が出来た事を知っても、感心するだけで反発もしないとは、一体どういう事なのでしょうか?ここ十年ぐらいは随分と私達の意識も変わりましたので、もし同じ話を今聴いたら、聴衆の反応は違ったものになると信じたいところです。
ここで一つ喩え話を致します。ここに百年以上続いている老舗のお店や会社があったとします。立派な老舗には必ずと言って良いくらい、素晴らしい家訓や社是があります。
その家訓や社是を六十年ほど前に現在の社長や当主の娘の年代の外国人が参加して作ったと知ったら、現在の家族や社員は一体どう思うでしょうか?
どんな事情で出来たものであれ「我が家(社)の家訓(社是)は立派だから」と、何とも思わないのでしょうか?「やはりこれはどこかおかしい!」と感じるのが普通でしょう?
この感情が無いとすれば、その人はその老舗やその会社の人としては、次の世代にしっかりとした生き方や良き伝統を示す事は難しいと、皆さんも思われるでしょう。
先人に尊敬の誠を捧げる文化
間もなくお盆です。お彼岸と同じく七月、八月のお盆は、ほとんどの人々が先祖を偲んでお墓参りをしたり、佛壇に手を合わせるなどして先祖供養をされます。当山も全国の多くの信者さん方から「お盆追善供養」のお申し込みを受けて、早朝から心を籠めて供養致します。
このお一人お一人が父母や祖父母、さらにはもっと以前の先祖の方々を偲んで供養を申し込まれます。またこの期間には当山に供養を依頼されると同時に、自らもお佛壇やお墓の前で先祖の方々と対話し、在りし日の出来事を偲び、家族で語り合ったりされるはずです。
その時、父母、祖父母の良くない面を口に出したり思ったりされるでしょうか?そんな方はほとんど居られないでしょう。仮に他の人が自分達の先祖の悪口を言ったとしても、もしそれが仮に事実であったとしても、それに同調したり相槌を打ち、一緒になって先祖の悪口を言う事は無いはずです。
これと同じように、日本の近代の歴史の輝かしい良き面を子や孫に語り継ぐ事こそが、日本の歴史を大切にする事であり、日本の未来を輝かせる大切な原点なのではないでしょうか?
毎年年末に内閣府が青少年の意識調査を行い、国会に提出している『子ども・若者白書』が先月一般公表されました。その中の先進七ケ国の青年の意識調査では「自分自身に満足しているか?」の問いに対し、日本は四十五・八パーセントで最下位。一位のアメリカは八十六パーセント。六位の韓国でも七十一・五パーセントでした。
また「将来に希望を持っているか?」の問いについて日本で肯定したのは六十一・六パーセントとこちらも最下位という結果でした。一方、「自国のために役立つことをしたい」という設問には、日本の青少年が一位と、こちらは希望の持てる結果でした。
祖先を尊び供養するように子や孫に良き歴史を語り伝える
長年当山を信仰してこられた方が亡くなりますと、その息子さん、娘さんから「父の(母の)成佛供養をお願いします」と戒名や法名を書いて、「成佛供養」を依頼される事があります。
これと同じように、私達は日本の歴史をただ批判するのではなく、正しい知識と愛着を持った意識で、日本の良き面を次の世代にしっかりと伝え続けて行く事こそが「日本の歴史を成佛」させる事になるに違いありません。
日本の良き面を語り継ぐ事こそが、我が家の家内安全を祈り、我がふるさとの発展を願う思いと融合し、歴史への感謝の心が育ち、自信と誇りを持った子孫を育むに違いありません。
それは取りも直さず、未来を担う子や孫に光明の道筋を示す事にも繋がると確信致しております。合掌
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