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大日乃光






大日乃光

2014年07月31日大日乃光第2082号
「先師の二十三回忌に当たり創建八百年来の祈りを誓う」

先代貫主を偲ぶ
 
今日(七月八日)は当山の先代貫主、故川原真如大和尚の二十三回忌の祥月命日です。
 
先代貫主(住職)に対し、私には寺院における後継者としての立場と、息子としての二つの立場があります。
 
亡き父母を偲ぶ時、皆様にとっても〝私人〟としての父母と、〝公人〟としての父母がありますが、これらはどちらに重きを置くかによって二通りの見方が出来ると思います。
 
特に私達のような六十代以上の者にとっては父親の方に、より〝公人〟としての立場を感じる人が多いと思います。その時代を生きた父親達が〝公人〟としての立場を鮮明に保つ事が多かったように感じるのは、私だけではないと思います。
 
軍服を纏い、国難に殉じた時代
 
大正十四年生まれの父は、寺の次男ではありましたが、先々代の開山上人様(是信大僧正様)によって、長男よりは佛縁が深いと思われていたので、地元の旧制玉名中学校(現在の玉名高校)から高野山大学の密教学科に入学しました。
 
しかし父が入学した時代は、現代の私達の想像を遥かに超えた国難の時代でした。時まさに大東亜戦争のさなか、学徒出陣の時代だったのでした。
 
父は僧侶の衣を軍服に着替え、第十五期海軍予備学生に志願し、茨城県の土浦海軍航空隊に入隊しました。海軍式の猛特訓の中で、心身共に困難に立ち向かう一人の予備士官となって行きました。
 
そんな中で、こんなエピソードを聞いた事がありました。「貴様達は軍艦で一度海に出て外国に行く事があれば、一軍人であると同時に外交の現場に出る事もある」と言われて、訓練の中でカードゲームのポーカーを教わった事があると言っていました。旧海軍では戦争末期でもこんな教育をしていたという事を聴いて、驚いたのを覚えています。
 
その後、父は特別攻撃隊、つまり特攻隊に志願し、そのための訓練にさらに励んでいました。そんな中で、ついに八月十五日の「終戦」を迎えました。
 
副住職として開山上人様を支えた日々
 
海軍から復員すると、今度は再び軍服から僧衣に衣を替えて、京都醍醐寺の伝法学院での佛道修行に邁進されたのです。
 
その修行の期間はお粥や雑炊さえままならない、極度の食糧不足の中で、断食に近い中での加行(けぎょう=密教の特別な修行)だったそうです。
 
戦前・戦後の日本社会の大転換の中で、どんな思いでその大きな矛盾を克服し、そして適応して行ったのか、今となってはもっと聴いておけば良かったと思います。
 
修行道場から当山に帰ってからというもの、父であり師僧でもある開山上人様を副住職として支える日々が続きました。
 
その中で早くも昭和二十三年頃には、つまり先代が二十三歳の時から、本誌の前身である『幸福への道』と題する機関誌を発刊されました。最初は謄写版によるガリ版刷りのものだったようです。その後、早くも昭和二十六年六月から第三種郵便物の認可を得て、旬刊誌として今号の二千八十二号まで続いています。
 
一方、開山上人様は、昭和二十五年頃から先事大戦の犠牲者三百万の人々の供養と、世界平和を祈念するための「大願堂」建立を発願されました。そしてそのために、九州一円に募金活動を展開されました。具体的には伯父と父の二手に分かれ、進駐軍のバスを改造して十人ずつ乗り込み、募金のために九州各地を巡廻したのです。
 
寺内の総てを挙げてお籠り修行に邁進した日々
 
また当寺では、戦前・戦後を通じて様々な悩みや難病を抱えた多くの人びとを受け入れていましたので、寺内で寝食を共にしながらこれらを克服しようとする「参籠修行者」の生活を、母と共に支えてきました。
 
戦前の参籠修行では、結核を患った人がとても多かったそうです。少年時代からその方々と一緒に生活していた父と伯父は、結核に冒される事もありました。この事は随分後で知った事です。伯父は肺が片方しかありませんでしたし、父も姉が生まれた昭和二十五年にはかなり重症の結核に罹り、生死の境をさまよったそうです。
 
戦後になると社会の混乱からか、いわゆるノイローゼの方が多くなって行きました。私の幼い頃の記憶では、自分は三十三人の大家族の一員と思っていました。
 
そんな参籠修行者の中には突然逃げ出して行方不明になる方がおられて、父は何度も警察に捜索願いを出したり、迎えに行ったりしたそうです。もっとすごい時には、突然刃物を振り回した人もおられたそうです。
 
このような事から、昭和三十三年、寺の敷地の半分に精神科の玉名病院が設立されました。当時、熊本県内では宗教法人が医療法人を創った前例は皆無でした。その医療法人の認可を受けるために、三十代前半の父は何十回も県庁の担当窓口に通い詰めたと母が話しておりました。
 
本当の家族を実感出来た日々
 
その後、先代は三十代後半に今一度、寺院の運営のあり方を探り、一人の僧侶として修行を深めるべく、家族を残して単身で奈良のある寺に身を移しました。その間に先代には精神的に、そして僧侶の生き方として大きな転換があったようです。
 
その後、開山上人様の師僧が高齢になられ、住職を務めてこられた佐賀の東妙寺に後継者がなかった事から、その後を継ぐために父母と共に家族五人で東妙寺に移り住みました。
 
私にとってはその時初めて「本当の家族とはこんなものか!!」と思える少年・青年時代を過ごすことが出来ました。
 
四十歳になった父は「東妙寺の境内で法印さん(先代の呼び名)のクワの入っていない所はない!」と信者さんや檀家さん達から言われる程、ジャングルのように荒れ果てた境内を真黒に日焼けしながらの開墾三昧の日々でした。その頃の父の面影は、今でも目に焼き付いています。
 
東妙寺の復興と共に、先代が心血を注いで来られたのは青少年の教育でした。PTAの会長は無論の事、子供会、少年研修館など、地域の子供達と一緒に遊んだり、キャンプをしたりしていました。それらの成果の延長が、「親を大切にする子供を育てる会」や、寺子屋錬成修行会「一休さん修行会」となって連綿と現在まで伝わっています。
 
戦前と戦後を繋いだ記念行事
 
東妙寺での最後の記念すべき事柄は、昭和五十二年五月の東妙寺開創七百年大法要でした。
 
昭和十七年頃、日本の国難に当たって「戦時供出」として送り出された東妙寺の梵鐘が、鐘楼堂の再建と共に、この七百年大法要の記念事業として再現されました。
 
その時は檀家さんや信者さんだけでなく、東妙寺の近くに住んでおられる方で、先の大戦の遺族でもある人達にも広く浄財を呼びかけ、約三千名の方々に広くご縁を結んで頂く中で、梵鐘が再現されました。
 
その時の多くの人びとへの「呼びかけ文」では、梵鐘を出征兵士に見立てて、「先の梵鐘は多くの戦争犠牲者と共に戦場に征きました。かつて皆さんのご先祖の方々に朝な夕なに佛音を響かせていた、東妙寺の梵鐘がいよいよ生まれ変わって帰って来ます」と表現していました。
 
「東妙寺開創七百年」という大きな節目を迎え、自らの戦前と戦後を繋ぐ思いを籠めた梵鐘が再現された時、父の胸にはどんな思いが去来したのかを、もっと聞いておくべきだったと今にして思います。
 
粛々と受け継がれた中興への途
 
そんな自分自身にも一つの区切りを付けられた後の昭和五十二年十一月十一日、奥之院の世界一の大梵鐘「飛龍の鐘」の打ち初め式の導師を開山上人様の名代として務めておられます。
 
そして一ヶ月後の十二月十日から、開山上人様に代わって全国の信者の皆さんのための祈祷と「お尋ね」(電話や手紙による相談や、霊障の有無のお尋ね)を開始されました。
 
そしていよいよ運命の日、昭和五十二年十二月二十日、開山上人様の御入定によって、先代は当山の中興二世としての歩みを始められました。
 
それから一年を経たずして、昭和五十三年十一月十一日から十三日にかけての奥之院(総面積二十一万坪、内境内三万坪)の落慶大法要を大導師として務められました。
 
大法要の後、私と弟(現在の宗務長)とでお世話になった佐賀の数ヶ寺の寺院に挨拶に行った帰りでした。もうすぐ奥之院に着くというその時、東側の奥之院の上空を仰ぐと、何と五色の光を纏った龍が、奥之院の御霊廟(現在の大佛様)に舞い降りる姿を拝したのでした。その情景は昨日の事のように思い出されます。
 
その後約十年間の造園工事、開山堂を始めとする諸堂の建立、道路整備、約八百台収容出来る大駐車場の整備、皇円大菩薩様の大佛の顕現、護摩堂の建立などを十五年と六ヶ月間で成し遂げられたのでした。
 
加えて現在のNPO法人れんげ国際ボランティア会(アルティック=ARTIC)の創設。青少年の教育のために「親を大切にする子供を育てる会」の設立と「子供の詩コンクール」の発足。そして本院の庫裏の大改修と「平成五重塔」の発願。
 
先代の晩年には、民族の融和と世界平和、そして雲仙普賢岳の大噴火の鎮静を祈念して、当山の「蓮華院御廟」(霊園)に梵鐘を新造されました。
 
いま一つの梵鐘は、霊園の梵鐘と同時に発願され、現在本院で毎日佛音を発して頂いております。この事はいつの日か、日を改めてお伝え致します。
 
現当二世の安楽を祈る日々
 
開山上人様と真如大僧正様は当山の中興以来、全国の信者の皆さんの健康と幸福、そして世界の平和を常に祈り続けて来られました。
 
私自身も先代遷化と共に二十三年目を迎える中興三世として、信者の皆様のこの世での幸福と次の世での安楽、つまり現当二世(現在と来世)の安楽を、更に一心に祈る事を、先師二十三回忌の法要で、御本尊皇円大菩薩様と開山上人様、先代真如大僧正様、更には当山創建以来八百年来の歴代の貫主にお誓い致しました。合掌



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