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大日乃光






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2014年08月19日大日乃光第2084号
ありがとう!「武士道」 英国元外交官の回想

先代の御霊に導かれた巡り会い
 
去る七月八日は、朝から本誌二〇八四号の原稿を書き上げ、先代真如大和尚の二十三回忌法要を近親の方々と勤めた後、さながら先師の御霊に導かれるようにして、ある人物と巡り会いました。
 
話は一年ほど前に遡ります。私は「ミャンマー/ビルマご遺骨帰國運動」の同志の方々と一緒に総理官邸に伺いました。私達の運動の二人の共同代表(「四方僧伽」代表の小島知広師、「チベットの平和を祈念し行動する僧侶・在家の会」代表の林秀穎師)と共に総理への親書をまとめて、衛藤晟一総理補佐官に手渡すためでした。
 
補佐官との面会を待つ控室でその方と初めて巡り会い、挨拶を交し、名刺を交換しました。その後一、二度便りを交換していたのですが、七月上旬、突然その方から電話が掛かって来て、七月八日に再会したのでした。その方は惠隆之介という人です。
 
「平和ボケ」を危惧される元自衛官
 
惠さんは沖縄県の出身ですが、中学・高校と熊本市内の中高一貫の学校を卒業され、防衛大学に進学されました。その後、海上自衛隊に入隊され、将来を嘱望される優秀な士官でありましたが、ある事情で退官されました。
 
そして現在は、執筆活動でジャーナリストとして活躍しておられます。また、惠さんの言われる処の、沖縄県内の偏った言論空間に対して、孤軍奮闘の日々を送っておられます。
 
久々にお会いするなり自己紹介もそこそこに、日本の安全保障について、相当の危機感を持っておられるのでしょうか、「このままでは日本は危ないですよ!!」「平和ボケを続ければ、近い将来日本は中共の植民地になりかねません!」…と熱弁を振るわれました。
 
知られざる戦場の秘話
 
約二時間の歓談の後、『海の武士道』DVDブック(惠隆之介著・育鵬社)を手渡されました。以下はその著書の要約です。
 
平成十五年、海上自衛隊の観艦式に合わせ、イギリスから一人の老紳士が来日されました。その人こそサムエル・フォール卿その人でした。フォール卿は八十四歳という高齢で、心臓病を患いながらも海上自衛隊の護衛艦「いかづち」の艦上で、戦後六十一年の長きに亘り、日本人の誰もが知らなかった奇跡の話を始められました。
 
太平洋戦争が勃発した翌年の昭和十七年は日本軍優位の内に戦況が進み、ABDA(オーストラリア・イギリス・オランダ・アメリカ)連合軍は東南アジアで日本軍の猛攻を受けました。現在のインドネシア・ジャワ島東北部のスラバヤ沖海戦で激戦の末、日本海軍が勝利を収めました。当時少尉だったフォール卿の乗艦するイギリス駆逐艦エンカウンターは追撃を受け、やがて砲弾が命中して機関が停止し、脱出以外に選択肢がなくなったのでした。
 
艦長以下乗組員は全員脱出し、その後、エンカウンターは沈没しました。付近には先に沈没したイギリス巡洋艦エクゼターの乗組員を含め、四百名以上が漂流していました。しかし、わずか八隻の救命ボートではあまりにも不十分でした。
 
フォール卿は脱出前にSOSの救難信号を打電したので必ず味方が救出にくると信じていました。疲労が増す漂流者達に「必ず助けが来る!生きて祖国に帰るんだ。家族を思いだせ」と叱咤激励しながら友軍の救助を待ちました。
 
漂流から二十時間近く経過した頃、遠くに船影が見えました。兵士はオールを振り上げながら叫び、助けを求めました。しかしその船は、工藤俊作艦長が指揮する日本海軍の駆逐艦「雷」(いかづち)だったのです。
 
この海域で日本海軍の船が敵の潜水艦に沈められたので、海上に多くの浮遊物を発見し、警戒しながら接近して来たのです。水上艦にとって潜水艦は大きな脅威でしたから、警戒態勢から戦闘態勢に遷ります。しかし浮遊物はイギリス海軍のもので、生存者が四百名ほどいると言う、見張りからの報告でした。
 
海上を漂うフォール少尉も、機銃掃射で蜂の巣にされるに違いないと、最後の時を覚悟しました。雷はこのまま航行すれば、約二分でこの海域から遠ざかります。救助のため船を停止すると、いつ敵の潜水艦や航空機の襲撃を受けるやもしれません。味方なら当然ですが、敵を救助するか否かは艦長の判断に委ねられていました。
 
敵兵をも救助した武士道精神
 
工藤艦長は「敵兵を救助せよ!」と命令を発し、マストに旗を掲げました。それは「救難活動中」を示す国際信号旗でした。「敵を助けるだと?」「艦長は正気か?」「助けたとしても、敵は四百名以上いて、我々より多いぞ」という不安と不満が乗組員の間に広がりました。
 
工藤艦長は海軍兵学校で学んだ武士道精神に基づき、「敵とて人間。弱っている敵を助けずしてフェアな戦いはできない。それが武士道である」と、甲板から縄梯子を降ろしました。
 
しかしイギリス兵達は登ってきません。二十一時間という漂流で衰弱した体では登れなかったのです。そこで艦長はラッタル(固定階段)の使用や、警戒要員をも救助に差し向け、更には一番砲塔だけ残し、他は全て救助に向かわせるという大きな決断を下したのです。
 
救助に使えるものは全て使い、総動員に近い態勢でした。それは日本海軍史上、極めて異例な命令だったそうです。こうして救助されたイギリス兵四百二十二名に対して、雷の乗組員にとっても貴重な真水や食料を、惜しみなく振る舞いました。
 
救助されたイギリス兵が一応の落ち着きを取り戻した頃、工藤艦長は「イギリス軍の士官以上を甲板に集めよ」と命令を下します。恐る恐る甲板に集まった英軍士官を前に、工藤艦長は流暢な英語でこう言ったのでした。
 
「You have fought brevely.」(貴官らは勇敢に戦った)「Now,you are the guest of the Imperial Japanese Navy.」(諸君は日本帝国海軍の名誉あるゲストである)翌日、イギリス兵はオランダ病院船に捕虜として引き渡されました。
 
黙して己を語らない海軍魂
 
戦後、フォール卿は家族と愛する恋人のいる母国に帰還し、サーの称号を賜るほど有能な外交官として勤め上げました。
 
平成八年、彼は自らの人生を『マイ・ラッキー・ライフ』という一冊の自伝にまとめました。その一ページ目にはこう書かれています。「この本を私の人生に運を与えてくれた家族、そして私を救ってくれた大日本帝国海軍少佐、工藤俊作に捧げます」と。
 
フォール卿は工藤艦長への感謝の念を忘れませんでした。だからこそ、自分が死ぬ前に、誇り高き日本人である工藤艦長に、ぜひお礼が言いたいと日本を訪れたのです。しかし平成十五年の訪日では消息が分かりませんでした。
 
一方、工藤艦長は別の駆逐艦の艦長に就任しましたが、「雷」は幾多の激戦を乗り越えた末、昭和十九年四月、敵潜水艦の攻撃で撃沈され、乗組員全員が死亡しました。そのショックからか、終戦後、工藤艦長は戦友との連絡を一切とらず、また戦争中の事は何も話さず、ひっそりと余生を過ごされ、昭和五十四年に七十七歳で生涯を終えられたのでした。
 
日本海軍軍人には「己を語らず」というモットーがありました。「どんなに善いことをしても、それを自らが語ってしまっては、その功は台無しになる」という考え方です。このため日本海軍は「沈黙の海軍」とも言われていました。
 
佛教の「戒」に通じる武士道の「武」
 
この自分の功績や善行を敢えて語らないという武士道精神の背後に、佛教の精神が入っているように私は感じています。そもそも武士道の「武」という字は「戈」(カ・ほこ)を「止」(とめる)という意味が籠められています。
 
この「武」とよく似た字に「戒」があります。佛教の「三学」として「戒学」「定学」「慧学」がありますが、佛法を学ぶには、先ず「戒」を学び実践する事が大切とされています。
 
この「戒」は「戒律」という熟語として、当山の属する真言律宗では特に大切にしています。この「戒」も「戈」と「廾」(キョウ)で出来ている字ですが、「戈」(ほこ)を「廾」自分自身に振り向けるという意味です。「武」と「戒」は、「止める」と「振り向ける」の違いはあるものの、大切な同じ意味を持っているのです。
 
世界に語り継がれる日本の武士道精神
 
この戦場の奇跡は、フォール卿の話に感動された元自衛官の惠隆之介さんの手によって、平成十八年に『敵兵を救助せよ!―英国兵四百二十二名を救助した駆逐艦「雷」工藤艦長』(草思社)にまとめられました。
 
そして平成十九年四月、この物語はフジテレビ系列の『奇跡体験!アンビリバボー』で「戦場のラストサムライ・敵兵を救助せよ」として全国放送されました。
 
この物語はその後も横浜の公立小学校で道徳の授業に使われるなど大変好評でしたが、再出版には苦労し、平成二十年にタイトルを『海の武士道―The Bushido over the Sea』と改めて産経新聞社出版より再刊されました。
 
そうした動きの中で、多くの方々の協力により工藤艦長の墓所が分かり、平成二十年に再び来日されたフォール卿は工藤艦長の墓前に献花し、手を合わせ「Thank you!!」と心を込めたお礼を述べられました。
 
翌平成二十一年には『ありがとう武士道―第二次大戦中、日本海軍駆逐艦に命を救われた英国外交官の回想』(麗澤大学出版会)と題して、先のフォール卿自身の回顧録も訳出されました。
 
工藤艦長をはじめ「雷」の全乗員の行為が敵兵を感動させ、フォール卿によって日本の「武士道」が世界に広められました。
 
フォール卿は次のように語ります。「敵を敬う、という日本の武士道の考え方を、私は子どもや孫たちにも話しました。世界の人々が仲良くなるきっかけになればと思います」と。合掌
 



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