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大日乃光






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2014年09月15日大日乃光第2087号
信仰生活の精華を表す「念ずれば花開く」の詩

真民先生の母校に建立された第七百番碑「念ずれば花開く」
 
今朝、久しぶりに姉や娘たちの母校の玉名高校に行ってきました。そこには玉名出身の世界的な詩人、坂村真民先生の七百番目の詩碑があるからです。
 
その詩碑は「念ずれば花開く」という言葉が、小岱山に産出する花崗岩に深々と刻み込まれています。この碑が建立されたのは、今からちょうど十年前の、平成十六年の三月でした。
 
その時、真民先生は九十五歳になっておられました。詩碑除幕式に引き続き、校内の講堂で数百人の人々の前で熊本県近代文化功労者賞受賞の記念講演をされました。この近代文化功労者賞は、熊本県の文化勲章とも言える賞です。
 
その講演の時の真民先生の写真を、私は自分の執務室にいつも掲げています。
 
苦労もひとしおだった生まれ故郷での少年期
 
真民先生は、実はそれまでの人生の中で故郷玉名をあまりお好きではなかったように感じていました。
それはなぜかと申しますと、真民先生は八歳の時に、当時四十歳のお父様を亡くされました。お父様は玉名小学校の現役の校長先生として亡くなれたのです。それまでは校長先生のご長男ということで、周りの人達からもとても大事にされながら育っておられたように思います。
 
真民先生を頭に五人の子供達を抱えたお母様は、親戚の方々から「二人か三人の子供を里子に出してはどうか?」と何度も言われたそうです。しかしお母様は、さながら外敵から雛鳥を庇う親鳥のように、ついに五人の子供を手元に置いたままで、大変な苦労の中で母子家庭としての生活を始められたのです。
 
現代とは違って、当時は福祉の充実もありませんし、それはそれは大変な生活だったそうです。そんな中で真民先生は、旧制玉名中学校に進学されました。現在の熊本県立玉名高等学校です。
 
体が小さくひ弱だった先生は様々ないじめを受け、また軍事教練の行進の時などでは一番後ろの方で、短い騎兵用の鉄砲を担いで町中を行進されたそうです。その姿を見た町の人達がクスクスと笑ったり、冷やかすような態度で接していたそうです。
 
〝一白水星〟ゆえの漂泊の運命?
 
またお父様の後を継いで教育者の道を目指されましたが、運悪く、師範学校には合格出来ませんでした。その結果、最も学費が安いと言われていた、当時の神宮皇學館、現代の皇學館大学に進学されました。
 
真民先生には、少年時代の菊池川、青年時代の伊勢の五十鈴川、そして晩年の愛媛県砥部町の重信川の三つの川に、深い愛着を持っておられました。神宮皇學館時代に、五十鈴川の畔で食器を洗ったりして、この川に親しみを抱いておられました。
 
この伊勢の皇學館を卒業された後、先生は朝鮮半島に渡り、朝鮮の女子教育に挺身されました。しかし終戦後、やむなく帰国されました。
そのまま故郷の玉名で教鞭を執られる事はなく、子供達も連れて四国に新たな道を求められたのです。それ以降、真民先生は「四国の人」として生涯を通して行かれます。
 
ご自身もおっしゃっていましたが、「自分は一白水星酉年の生まれ。一白水星だから水のように流浪の人生で、生涯故郷にはご縁がないのだ」と、何度か伺ったことがあります。
 
聞けず終いに終わったふるさとへの思い
 
このような事情もあり、真民先生はご自分の故郷、玉名に縁が薄く、そして良い思い出のない玉名があまり好きではなかったように感じたのです。
 
ある時、私は、「先生は石川啄木で行くのですか?それとも室生犀星で行くのですか?」と伺ったことがあります。すると「それはどういう意味だね?」と、先生が問われました。私は、
 
「ふるさとは
遠きにありて思ふもの
そして悲しく歌ふもの
よしや
うらぶれて
異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや…」と歌った室生犀星と、
 
「ふるさとの
山にむかひて
言ふことなし
ふるさとの山はありがたきかな」
と歌った石川啄木の、どちらの生き方をされるのですか?と尋ねたのです。
 
先生は困った顔をされましたが、どちらの生き方をするという答えはついに聞かず終いでした。
 
幸せな帰結をもたらした母校への詩碑建立
 
そんな先生も齢九十五を迎えられて、記念すべき七百基目の詩碑を、ご自身の母校、玉名高等学校に建立されたのです。その時、いつもおそばに居て、真民先生のお世話をしておられた片山克さんが、「真民先生の故郷へのわだかまりが、これで完全に解けたように思います」
と言っておられたのを、昨日の事のように思い出します。
 
人は身近な家族や周りの人とのわだかまりがなく、仕事に対するやり甲斐があり、そして自分の故郷に対する思いを高め、さらにはこの日本国への感謝の念が深まった時、初めて安らかな幸せを感じることができると思っています。
 
「念ずる」とは即ち「願う」こと
 
この七百番目の詩碑を建立する時、たまたま私の親友が、玉名高校の後援会の会長を務めていました。詩碑の除幕入魂式が終わって、しばらくしてその方から伺った話です。
 
学校側から、「本校は公立高校なので、『念ずれば』とか、そのような宗教的な言葉の碑を校内に建てるのは、いかがなものか?」という意見も出たそうです。
 
この『念ずれば花開く』の〝念ずる〟という事は、すべての親が我が子の健康を願い、健やかな成長を〝願う〟事とほとんど同じなのであります。
 
さらには我が子に「善き人とめぐり会ってくれよ」という願い、結婚をすれば出産が「安産であって欲しい」という願い…などなど。このように、すべての人が生きていく上で願いを持ち、念じ、祈る事は一度や二度ではないはずです。
 
『念ずれば花ひらく』という言葉が宗教的だから良くない、などと言ってしまう事は、生きている事がそのまま宗教的な世界に繋がっているということを、全く自覚していない方の意見なのであります。
 
またこの意見は、政教分離をことさら厳格に守ろうとする、「政教分離原理主義」とでも言うべき宗教排除の考え方と言ってよいでしょう。
 
今、苦難の中にある人は、時々刻々、毎日毎日、様々な事を念じ、祈り続けます。そうではない人も、やはり人生の節目節目には様々な願いを持ち、念を起こし「幸いあれかし」と祈ります。
 
「願い」を抱くことが即ち「人生」
 
このような多くの人々の祈りや願いを一身に受けて、それに尽く応じていただくのが神々であり、佛や菩薩なのです。中には、「神佛にそのような現実的な低級な願いをすることは正しい信仰では無い」と言う人がおられます。
 
しかし、全ての人はこの人生の節々で右か左かを真剣に悩み、不安の中で選び、様々な事を願うのが普通です。その祈りや願いを通じて、人は何か偉大なものに触れ、何か大きな世界に触れる大切な機会とする、良いきっかけだと思います。
 
願いを持たない人は、この世にほとんどいないはずです。その祈り方や念じ方の方法を指し示すのが、宗教の役割でもあるわけです。
 
私達は皇円大菩薩様という有り難い佛様と巡り遇い、この佛様に様々な願いをかけ、そして自らも真剣に、その願いに応じた行動を通して祈る。この事が、私達にとってはいかに有り難い事かをまざまざと実感するのであります。合掌
 



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