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大日乃光






大日乃光

2014年10月10日大日乃光第2090号
世の為人の為に生きられた大正生まれの真如大僧正様

その生き様と感性に共感し、 全作品を読破した小説家
 
先月二十日、小説家の百田尚樹さんの講演を初めて間近に聴きました。
 
私はそれ以前に『永遠の0(ゼロ)』と『海賊と呼ばれた男』という二編の小説から始まって、百田さんの全ての小説を読み終えていました。それまでの私の人生で、作品を全て読んだ小説家は、夏目漱石と石川達三だけでした。
 
日頃はあまり小説を読まない私ですが、先の二つの小説の根底に流れる人としての生き方とその感性とに感動して、次々と百田さんの小説を読んで行きました。百田さんの講演では、『永遠の0』と『海賊と呼ばれた男』を執筆された背景と作品が生まれた経緯を、直接ご本人から伺いました。以下は私なりに感じ取った、その要約です。
 
百田さんのご両親は大正生まれでした。彼は昭和三十一年に大阪で生まれ、大阪で育ちました。その頃の大阪にはまだ、戦争の爪痕が色濃く残っていたそうです。そしてお父さんや叔父さん達から戦争の話を度々聞いていたそうです。しかし自分自身は子供達の世代に、先の大戦の話を何も伝えていないことに気づいたそうです。
 
そして実際に戦争を体験した世代の人達が次々と亡くなっていかれるに従って「これは何としても次の世代に伝えなければならない」と思ったそうです。そうして生まれたのが『永遠の0』でした。
 
奇跡の復興を支えた三つの精神
 
こんな百田さんでしたが、三年前の大震災の後、単に娯楽的な小説を書く気になれず、スランプに陥っていたそうです。
 
そんな中である人が「日章丸事件」のことを教えてくれました。この事件のことを調べるに従って、戦後の復興が未だ充分に果たされていなかった昭和二十年代当時の日本に、こんな凄いことをやり遂げた男がいたのか、という驚天動地の感動から生まれたのが、『海賊と呼ばれた男』でした。この小説のモデルになっているのは、出光興産を起こした出光佐三その人です。
 
彼は終戦直後の昭和二十年八月十七日、全社員を集めてこんな檄を飛ばしました。(これは資料に基づいた史実です)
一、これから復興にかかる。
二、どんな辛いことがあっても決して愚痴をこぼしてはならぬ。
三、社員は家族同然だから、決して馘を切ることはしない。
この出光佐三の生き方こそ、日本が戦後復興を為し遂げた大切な精神だったのです。
 
大正世代の根底にあるもの
 
続いて百田さんはこんな話をしてくれました。
 
大正時代の男達は、先の大戦でその四分の一が戦争で亡くなっています。同じく女性達も夫を亡くし、恋人を亡くしています。これほどの苦難を体験した世代はかつて無かったでしょう。しかし終戦後、その同じ大正時代の生き残りの方々が、日本の奇跡の復興を担って頂いたのです。
 
早くも終戦から十九年目の昭和三十九年には東京オリンピックを開催し、新幹線を開通させたのです。新幹線は現在でも世界の人々の憧れのスーパートレインです。
 
大正時代の人々の生き方の根底には「人様のために生きる」という精神が脈々と流れていたのです。百田尚樹さんは、この「人のために生きる」生き方に感動して二つの小説を書き上げたそうです。
 
『幸福への道』からの再出発
 
私の両親も、まさに大正生まれの人でした。
 
『永遠の0』に出てくる主人公、宮部久蔵の年代もその背景も、私の父(真如大僧正)が土浦の海軍航空隊で特攻の訓練を受けた時の教官そのものなのです。幸いにも特攻の命令が下る前に終戦となったので、父は命を長らえ、ふるさと玉名に生きて帰って来ました。父はその後半年間ほどは何も手に付かない、呆然自失の生活を送ったそうです。
 
しかし「人を導く僧侶の自分がこれではいけない!」と一念発起して、信者の皆さんや周りの人たちに「佛教的な生き方」とは何か?「信仰の道」とは何か?を『幸福への道』という機関誌に込め、ガリ版を刷って発行し始めました。
 
その後、印刷機械が導入されて、この『幸福への道』は旬刊誌として、月に三回発行され続けました。昭和二十六年の六月には第三種郵便物認可を受けました。その二十年後に『大日新聞』と改称されています。
 
本誌が第三種郵便物認可を受けてから六十年後(人の一生に例えれば還暦を迎えた年)を期に、平成二十三年八月二十一日号から、当山が中興から更なる創成への道を歩み始めた意味を込めて『大日乃光』と改称しました。当山の中興への道は、まさに『幸福への道』『大日新聞』と共にあったと言えるでしょう。
 
真如大僧正様は〝代受苦菩薩〟
 
明治世代の開山上人様が、当山の中興への道に着手されました。それを確実に継承し、更に発展させる道筋をつけられたのが大正世代の真如大僧正様でありました。
 
真如大僧正様の葬儀の時、かつての曹洞宗ボランティア会(現在のシャンティー国際ボランティア会=SVA)の事務局長であった有馬実成師が、こんな弔辞を読まれました。
 
「真如大僧正は宗派が違っているにも関わらず、設立当初の曹洞宗ボランティア会を実質的に支えて頂いた、当会の大恩人です。そのご生涯はご自身の座右の銘であった「布施大道」そのものでありました。カンボジア難民の人々のために本当に役立つことであれば、宗派を超えて、更には名を捨てて献身的な協力をして頂きました。
 
また、全国の信者のみなさんの苦悩をその身に引き受けて、日々のご祈祷に明け暮れられたそのお姿は、まさに『代受苦菩薩』そのものでした」
 
百田さんの講演の中に出てきた大正時代の人々の生き方の典型を、私の父であり、先代貫主であった真如大僧正様の生涯に、ありありと再確認することができました。「人のために生きる」というこの生き方は、まさに菩薩としての生き方そのものです。
 
大正世代の方々がこのような生き方をされたことに対して、昭和世代の私達、そして平成生まれの子供達は今後どのような生き方をすれば良いのか、大きな指針を大正時代の方々が与えて下さっているのであります。その意味では先人たちの功績を偲び、生き方に学ぶ、ここにも先祖供養の大きな意味があるように感じております。
 
歴代貫主とともに祈りを捧げる奥之院大祭
 
さて、来たる十一月三日の「奥之院大祭」は先々代の開山上人様によって道筋を付けられ、それを先代の貫主真如大僧正様が完成されて以来、毎年厳修して参りました。
 
「柴燈大護摩祈祷」と「横綱奉納土俵入り」は、真如大僧正様によって始められた大祭の二つの柱として、今日まで継承して来ました。「世のため、人のために生きる」という信念の籠もった大祭です。
 
どうか全国の信者の皆さんは、この人のために生きた大正世代の先代と思いを分かち合うためにも、一人でも多くの人をお誘い合わせになってお参り下さい。皇円大菩薩様、開山上人様、真如大僧正様と共に、心よりお待ち致しております。合掌
 



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