2014年10月27日大日乃光第2091号
「様々な苦難を乗り越えて祈りを結集する奥之院大祭」
運命を変えた 五年前の十月十二日
あと二十日あまりで奥之院大祭となります。そんな中で、ちょうど五年前の忘れられない十月十二日のことを少しお話し致します。
その前日が、京都での関西支部布教会でした。その前日すでに京都に居た私に、妻の久美子から電話がかかってきました。
「頭が割れるほど痛いの…。サワリはありますか?」と。霊障(サワリ)はなかったので、早速全快祈祷を修しました。
その後、再び電話がかかってきて、どうしようもなく痛いということでした。私は明日は日曜日だけど、どこか空いている病院に行ってごらんと答えました。そして布教会を済ませて、十一日の夜十時頃帰り着きました。
「どうだった?」「いろいろ検査したけど、何も異常は見つかりませんでした。痛み止めの薬をもらってきたので、今は落ち着いています」その晩は、何事もなかったかのように、二人とも床につきました。
〝今夜が峠です〟の宣告
妻は三十数年前の出産の時に血液製剤を使ったせいか、C型肝炎を患っていましたので、一年前からインターフェロンの治療をしていました。この治療は抗癌剤のように疲労がはげしく、普通の生活ができないほどでした。
私はいつものように朝の祈祷を済ませ、朝食を済ませて部屋に戻りました。するとまだ妻はぐっすりと眠っていました。疲れているんだろうと思って、そのままにしていつもの仕事にかかりました。
しばらくして胸騒ぎを感じた私は、妻の寝ている部屋に急ぎ足で向かいました。すると妻はこれまで聴いた事のないような大きなイビキをかいて眠っています。これはいかん!と慌てて揺り動かしても全く反応がありません。私は生まれて初めて救急車を呼びました。
車内では救急救命士が妻の名前を何度も呼びかけますが、全く反応がありません。到着した病院は、昨日妻が検査を受けた同じ病院でした。そして後で知ったのですが、同じ先生が同じ機械で検査をしていました。
しばらくして先生から呼ばれて説明を受けました。「今夜が峠です!」と。目の前が真っ暗になりながら、彼女に付き添いました。深夜まで付き添いましたが、朝には祈祷をしなければなりませんので、私は後ろ髪を引かれる思いで、後を次女に代わってもらいました。
祈願者の必死の願いと共に
朝の祈祷が終わり、病院に駆けつけると主治医の先生から、「何とか峠は越えました。しかし嚥下障害(食物を飲み込めない障害)が残るでしょう」と言われました。少し希望が見えてきたかと思ったら、また心が塞ぎ込んでしまいそうでした。しかし、三日目にはお粥をすすることができました。
五年前の十月十三日も、このご縁日法要を必死の思いで勤めました。同じように苦難を抱え、必死の思いで祈願されている信者の皆様と同様に、護摩を焚く時には妻の延命も併せて必死に祈りました。
その後、妻を救急病棟に残したまま、十一月三日の大祭の諸行事を、必死で勤め上げました。恒例の「柴燈大護摩祈祷」も、例年以上に真剣に祈っていた事を思い出します。
病院通いの車中で内観
一ヶ月の間、毎日たった一人で病院に通う十五分間の運転の途中、泣きながら車を運転する事もありました。そんな中で大きな声で歌ったり、時には御宝号やお経を唱えて、とにかく前向きに前向きにと自分に言い聞かせました。それから約一ヶ月後、妻は様々な困難を乗り越えて、この救急病院を退院しました。
熊本市内のリハビリ病院に転院してからは、片道四十五分の道程が堪らない時間に感じました。引き続き、ひたすら御宝号を唱え続けました。
そんな中で、妻がこんな病気になったのはどんな因縁なんだろうか?多くの人たちの病気の全快を祈っている私の妻が、こんな状態になるというのは何ということだろうか?私が妻を病気から守ってやれなかった不甲斐なさ!そして妻にしてもらった事…。妻にして上げたこと、妻に迷惑をかけた事を思い、車の中で内観を続けてきました。
車椅子の大先輩にお会いして
二ヶ月ほど過ぎたある日、かなり病状が安定してきたので、車椅子の大先輩、藤本猛夫さんに二人で会いに行きました。
私が藤本さんに「あなたは何のために生きていますか?」と問い掛けると、藤本さんは、「私は笑うために生きています」
と答えられました。これを聞いて、妻と私はそれからは努めて互いに笑うようにしました。
それ以来、行き帰りの車の中でこれまでのように内観をしたり、また御宝号を唱えたりしながら五ヶ月があっという間に過ぎました。
翌年の四月から、妻は自宅療養になりました。妻のことは友人や知人にも伝える事はありませんでした。週に二日はデイケアーで施設に泊まり、三日はショートステイという日々を過ごしながら、少しずつ少しずつ元気を回復し、普通の生活が出来るようになって行きました。
互いに切磋琢磨して行く日々
この頃になって、私はようやく妻を連れて人前に出ることが出来るようになりました。私はますます輝く彼女の笑顔と、いつも声を出す代わりに笑っている彼女の笑い声に励まされ続けてきました。
三年前に、妻の病状や闘病生活などをようやく本誌に書く事が出来ました。そしてつい最近も、藤本猛夫さんの元を二人で訪問しました。終始ニコニコしている妻と私に対して、藤本さんも明るい笑顔で応えてくれました。後で、「素敵な奥さんの笑顔と仲睦まじいお二人の姿に接して、私も元気をもらいました」という文章が電子メールで送られてきました。
彼は第一回目の「子供の詩コンクール」のグランプリ受賞者です。彼は普通なら二十歳までしか生きられないという筋ジストロフィーを患っておられましたので、二十五年前の表彰式の時も車椅子で登壇されました。
彼にとってはこの受賞が大きなきっかけになったようで、その後、彼は病室の仲間たちとバンドを作ったり、詩を書いたり、そして最近では二冊目の随筆集を発行しておられます。
現在、彼は三十六歳の良いおじさんになっています。と言っても、その精神年齢は私よりも年長ではないかと思う程の深い人生観を持っておられます。【苦難が人を磨く】という事を、藤本さんと妻から教えられました。
開山上人様が、「困難に遭遇し、それと向き合う事は、自分の作った〝業〟前世から持ってきた〝宿業〟を解いていることになる。だから人は、困難に向き合う事によって、人生を深めることができる」と言っておられた事に、心からうなづけます。
歓喜の奥之院落慶大法要
思えば三十七年前の奥之院の落慶大法要の三日間、先の二日間は雨の中で大変な思いをして様々な準備に走り回ったことを思い出します。
そして最終日の三日目にようやく晴れ間が見え、準備してあった柴燈大護摩祈祷の白煙が天空に昇っていく様を拝みながら、妻を始め多くの人びとが涙を流しながらお参りしていました。私も一生忘れられない感動で感極まっていた事を、ありありと思い出す事が出来ます。
全国の信者の皆さんは様々な困難を乗り越えて、様々な事情を乗り越えて、来たる十一月三日の奥之院大祭に是非とも脚を運んでお参りして下さい。必ずや大きな深い感動とともに、得難いご利益を持って帰られるに違いありません。合掌
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