2015年03月06日大日乃光第2102号
「れんげ国際ボランティア会を支えた『奉仕』の原点」
カンボジア難民支援に始まったアルティックの原点を振り返る
来たる三月三日は、NPO法人れんげ国際ボランティア会(アルティック=ARTIC)の母体である蓮華院誕生寺が難民支援の募金を開始した日です。
それは三十五年前に、まさにこの本堂のこの法座から、先代の真如大僧正様が「同胞援助」(どうほうえんじょ)としてカンボジア難民支援の募金を提唱された日であります。
今回は、当山の「奉仕行」としてのアルティックの原点を確認したいと思います。
昭和五十五年当時は連日のようにカンボジア難民の悲惨な現状をマスコミが報道していました。毎日何百人もの痩せ細った人々が、カンボジア各地からタイとの国境地帯に、陸路で命からがら逃げ込んでいたのです。
それに対して「同じアジアの同じ佛教徒が苦難を味わっているのを黙って見ておれない」との止み難い思いから、先代真如大僧正様が募金を開始されました。
日本人には馴染みの薄い「難民」
この頃、私達日本人は「難民」という事、難民の現実に初めて接した人が多かったと思われます。
普通の日本人の感覚では「難民とは困難な状態にある可哀想な人々」というくらいだったと思います。現在でもそう思っておられる方は多いかもしれません。
一方、難民の定義は、「人種、宗教、国籍、政治的意見やまたは特定の社会集団に属するなどの理由で、自国にいると迫害を受けるか、あるいは迫害を受ける恐れがあるために他国に逃れた人々」となっています。少し分かりにくいものです。
平和な日本社会に住んでいると、先の定義はなかなか実感出来ないと思います。我が国の長い歴史の中で、為政者の弾圧で人々が外国に逃げなければならないような事態は、これまでほとんどなかったので、難民の事が分かりにくいと思います。
近年は世界各地で様々な武力衝突が起きていますので、必ずしも他国に逃れるだけでなく、国内の避難民も広く難民と呼ばれています。いわゆる〝イスラーム国〟と呼ばれる過激派組織ISによる残忍な迫害から避難している人々は、まさにこれに相当します。
三十五年前のカンボジアでは、僧侶や教師、資本家、経営者、そしてごく普通の都会の生活者などの人々も「反革命分子」とされて強制労働や粛清の対象になっていました。そんな中でかろうじて生き延びた人々が、心ならずも止むに止まれず住み慣れた祖国を捨てて、命からがら歩いて、隣国のタイに逃げ込んできたのです。
「難民」にすらなれない苦難の底の民族
ここまで書いて来て、ふと私の心をよぎったのが、チベットやウイグルの人々の現状です。
かつてのカンボジアではポル・ポト政権がまだ機能していた頃には、非人道的な政権ではあっても難民は出ていませんでした。と言うよりも、国外に逃れることもままならないほど監視が厳しかったのです。その後、ベトナムの軍事介入によってカンボジアの政権が不安定になってから、途端に「もうこれ以上、ここには住んでいられない」と、続々とタイ側に何十万もの難民が逃れてきたのでした。
それに対してチベットでは、難民として国外に出たくても監視が厳しく、亡命さえも出来ないのが現状です。以前は年間千名以上の人々が、ヒマラヤを超えてインドやネパールに亡命していましたが、現在は極端に減っています。難民として他国に亡命する事さえも出来ない、かなり厳しい状態なのです。
そんな中でチベットでは、止むに止まれぬ命を懸けた抵抗として、百三十人以上の若い人々の「焼身抗議」が続いています。自ら体にガソリンや灯油をかけて、「チベットに平和を!」「ダライ・ラマ法王のご帰国を!」と訴えながら絶命していく姿は、胸が締め付けられるほど衝撃的です。
さながら七十年前の、終戦間際の特攻機が敵艦に体当たりする遥か手前で撃墜され、炎を引きながら海に激突して行く様子を見ているようです。
しかも彼ら「焼身抗議」の人びとは武装警察などの、他の人を傷付ける事は一切しないのです。しかしこんな悲惨な「焼身抗議」も六年近く続くと、次第に鈍感になって行く現実は、もっと怖い事です。
発端となった有馬実成師とのご縁
さて、三十五年前に募金を開始した頃、どんな活動にどのような支援をしようという具体的な見通しはまだありませんでした。佛教者らしい良い活動があれば、その運動を応援することにしていました。
当時、曹洞宗ボランティア会(現在のSVA=シャンティ国際ボランティア会)の事務局長を務めておられた有馬実成師が当寺を訪問されました。
既にカンボジア難民キャンプで移動図書館などの文化教育支援活動を開始しておられました。限られた予算で難民の人々の心を支え、子供達の笑顔をとり戻すための活動を実施しておられたのです。
現地で企画と実施を担当されていた有馬さん達は、宗派と一線を画する民間団体としての、国際協力の民間組織を建ち上げようとしておられました。まさにその時期に、私たちアルティックと出会ったのでした。その当時のアルティックは、信者の皆様からの浄財を、すでに募金して頂いていたのです。
有馬師ご自身は曹洞宗の僧侶でした。SVAを全面的に応援する前に、私自身がカンボジア難民キャンプに調査で入りました。その調査結果を踏まえて、それまで集まっていた募金を、ほとんど全て拠出したのです。(これは五年間続きました)
また、先代は弟の光祐をボランティアとして難民キャンプに派遣しました。このように現場を知り、そこから学ぶ姿勢を保ち、支援する側とされる側が互いに学び合うという基本方針が、当初から生まれました。この方針が現在まで三十五年間、アルティックが様々な活動を続けている大きな原動力になっていると思います。
二種類の布施による「慈悲行」は皇円大菩薩様のお手伝い
今一つの最も大きな理由は、蓮華院の信仰上の三信条「反省」「感謝」「奉仕」の中の「奉仕」の具体的な活動の一つとして、この募金そのものを、三十五年前から、信者の皆さんに訴え続けて来たことがなんといっても大きいと思います。
任意の募金、随意の募金は「同胞援助」「心の里親」と名付けています。これは難民の方々やスラム街の人々、また少数民族の人々を同じ同胞と捉え、その人達の独自な文化を大切にしたいという思いが込められた名称なのです。
そして、特定な日(当寺では八日と二十日)に一食を断食して、ほんの少しひもじい思いと体験をしてもらい、同時にその時に世界で苦難の中におられる多くの難民を始めとする方々の為に、その一食分の経費を募金して頂くのが「一食布施」(いちじきふせ)であります。
本来布施とは、
第一に、相手に余分な気を遣わせるものであってはなりません。
第二に、布施をする方も、恩を着せるような思いを持ってはなりません。
そして第三に、布施されるそのものが良きものでなければならない。
という「三輪清浄」(さんりんしょうじょう)が備わった時に、初めて真の布施になるです。
ですから、一食を抜いて布施をするその私達の心に、難民の人々などへの恩を着せるような思いがあってはならないのです。そして、その苦しみを少しでも自分自身が共感することが大切です。
その意味では、この「一食布施」そのものが私達にとっての修行なのであります。
これら二つの「同胞援助」と「一食布施」を総称して「慈悲行」と名付けています。この募金そのものを、佛様や菩薩様のお手伝いとしての慈悲の行動にまで高めるために、敢えて「慈悲行」と名付けられたのです。
アルティックの国際協力は衆生済度の菩薩行の一環
新しい信者さんの中には、以上の事をまだご存知ない方もおられると思い、あえてアルティックの原点の考え方をお伝えしています。
この皇円大菩薩様の衆生済度(生きとし生けるものを救うこと)の菩薩行(おはたらき)を、私達がほんの少しでもお手伝いする、これが信仰上から見た国際ボランティアとしてのアルティックの運動なのであります。
しかし、それだけではこの国際協力の広がりが充分に実現できませんので、十二年前にNPO法人格を取得しました。そして現在は国際社会に開かれた団体として、さらに大きな歩みを続けているのです。
現在の活動は、主にチベット・ミャンマー難民支援、ミャンマーでの学校建設などを行なっています。
そんな中で、私達はあくまで布施行の実践をさせて頂く良きご縁と捉えて、これからもアルティックをしっかりと支えて下されば、有り難いところであります。合掌
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