2015年03月14日大日乃光2103号
「春の彼岸供養で、未来へと繋ぐ先祖供養の心」
陽春の候に、「供養」の意味を振り返る
着実に春に向かって季節が進んでいます。長い日本列島ですが、すっかり春の気配の熊本・玉名です。まだまだストーブが離せない北国の皆様には申し訳ないほどです。
これまで十三回を数えた「玉名盆梅展」も全ての後片付けが終わり、奥之院は平常に戻りました。
一方本院では、来たる今月十八日からの、「春の彼岸追善供養」へのお申し込みが、全国の信者さんから次々に送られてきています。
この春の彼岸供養の他に、七月・八月のお盆供養、そして秋の彼岸供養、そして既に正月に終わった正月供養を合わせて、当山では「四度供養」と言い習わしております。
「慈悲行」は、同時代を生きる人びとへの供養
前号では、三十五年前から始まった国際協力について少しお話しいたしましたが、奉仕行としての「同胞援助」や「一食布施」などの「慈悲行」を長年続けて頂いている方は、今私たちが生きているのと同じ時代を生きる苦難の人びとへの、「供養」としての奉仕を続けておられることになります。
供養の「供」は私達の真心を供え、「養」は自分自身の修養として、心が養われる事を意味しています。
その意味で、これは亡くなったご先祖様や恩人への供養に比べて、今の同じ時代を同じ地球上で共に生きている人間同士の、「同胞」としての奉仕行であり、供養でもあるのです。
供養という時、ほとんどは亡くなったご先祖様やお世話になった方々への「追善廻向」(ついぜんえこう)として、鎮魂の供養として行うものがほとんどです。しかし生きている人々にお供えするのも、広い意味の供養なのであります。
忘れ難き高野山での「大衆供養」
例えば四十九日の法要や、一周忌供養の法要の後で、参列の方に食事をお接待する時など、どうぞ、故人への供養と思って、存分にお召し上がりください」などと言いながら、有縁の方々とひと時を共にして、一緒に食事を頂きます。
このように故人を偲ぶ時、故人の美点や徳性など、故人の良き人柄を思いながら、ひと時を過ごします。これも追善廻向、追善供養なのであります。
の昔、私が高野山の修行道場にいた頃、通常は一汁一菜の質素な食事なのですが、ごくまれに「これは大衆供養の品です」と、どなたかが全修行者にお供えされた胡麻豆腐などの一品が加わる事がありました。この大衆供養を大喜びした事を思い出します。
この大衆供養は、まさに修行者へのお供えであり、供養なのです。
親思ふこゝろにまさる親ごころ
さて、今現在、子供を育てておられる多くの若いお父さんお母さんは、それこそ子供が気づかないところで我が子に心を砕き、子のために良かれと、それはそれは大事に育てておられます。
かつて、今よりもっと貧しかった頃は、子育て以上に生きること、生活そのものが大変でしたから、その頃の子育ては現在から思うほど手を掛けられなかったかもしれません。それでも子供が親を思うより、親は子供の将来の事などについて、遥かに真剣に考えていたでしょう。
親思ふこゝろにまさる親ごころ
けふの音づれ何ときくらん
(私が親を思う以上に、親は私のことを思ってくれている。私の訃報を聞き、両親はいったいどう思うのだろう)
右は今年のNHKの大河ドラマ『花燃ゆ』の前半の主人公、吉田松陰が処刑される一週間ほど前に、江戸の獄中から父・叔父・兄らに宛てた辞世の歌です。この和歌からも、親の深い思いを痛切に感じ取る事が出来ます。
これから春の彼岸追善供養をお申し込みされる方も、既に供養を申し込まれた方も、今は亡きご両親様やご先祖様方の、在りし日の良き思い出に浸ってください。そして有り難かった事柄や、お世話になった事などを、しっかりと思い起こして頂きたいものであります。
内観修養で噛みしめる、名前も知らぬご先祖様の恩
当山で長年行っている「内観」では、先ずは一番身近な母に、
一、して頂いたこと
二、お返ししたこと
三、ご迷惑をかけたこと
この三つを具体的に思い起こして、その時の母の姿や、思い出に映る自分自身を見つめます。するとほとんどの人は、して頂いたことの多さに驚きます。それに対して、お返ししたことの少なさと、迷惑を懸けた事に愕然とします。
と言うことは、ご先祖様や縁の深い方々に対しても、お世話になった事が数多くあるはずなのです。直接お会いした事もないご先祖様に、して頂いた事柄は思い出せなくても、今のこの命は間違いなくご先祖様からの命の繋がりの中にあるわけですから、ただそれだけでも有り難いことであります。
そのような感謝の心を込めて、彼岸供養をされることをお勧めいたします。
未来の世代からも恩を受ける?
私達が一生の内で巡り会える人は、果たして何人でしょうか?生涯に出会い、影響を受ける人は、心の繋がりの深さの度合いにもよりますが、果たして何人になるのでしょうか?
昔、ある研修会で「百人の恩人ゲーム」というのがありました。約十分間で、恩人を何人書き出せるかというものでした。多くの人は、親や兄弟、叔父さんや叔母さんなどの親戚、さらには学校時代の先生や友人などを書かれる事でしょう。
恩人と言われて、自分の子供や孫を書く人はまずおられないでしよう。しかし、私がこれからそのゲームに参加するなら、私は過去に巡り合った多くの恩人と共に、これから生まれてくる多くの命や、今同じ時代を生きている若い人びとをも恩人として書き加えたいと思います。
それは私に、未来に向けた使命感や責任感を持たせてくれるからです。ですから私よりも長く未来を生きる、未来からの使者とも言える若い人達を、敢えて恩人として数に入れたいと思います。
子供達との挨拶に、未来への希望と責任を思う
何故こんな思いになったかを申しますと、私は週に四~五回、妻を車に乗せてデイケアーやショートステイに行く時、多くの小・中学生の集団登校とすれ違います。
毎日ほぼ同じ時間帯なので、同じ子供達と挨拶をするのです。私たちの孫よりも大きいそれらの子供達と、朝から挨拶を交わしながらすれ違うとき、〈今日も元気でね!〉〈未来は君達にかかっているんだよ〉と、言葉には出しませんが、祈るような思いですれ違うのです。
元気な子、うつむいた子、ふざけている子、遠くを見つめて何か思いにふけったような子と、様々です。十年後、二十年後には大人になり、さらに三十年、四十年も経てば、彼らが間違いなく、現在のこの地域や日本を、大きくは世界を支える人材になっていると思う時、
〈君達のために少しでも良い社会をしっかりと残すように努力しますよ!〉〈未来は、あなた達のためにあるんだよー!〉 と、時には心の中で口ずさんだりしています。
今を生きる私達の幸福は、連綿たる先人の願いの結晶
それと同じように、過去に遡って先人の皆さんの思いを想像してみれば、おそらく父母や祖父母の世代の人びとは、今の我々の時代に対して「良かれかし!」と念じながら、生きて来られたに違いありません。少しでも未来を、将来を良くしようと思っておられたに違いありません。
近年、日本の文化や日本人の生き方に対する世界中の賞賛の言葉を、よく耳にするようになりました。それは先人の方々の次の世代への深い愛情の連鎖が、国家の滅亡で中断される事もなく、天皇陛下を中心に連綿と祈り続け、願い続けて来られた蓄積があったればこその事ではないでしょうか。
子供や孫のことを心配したり、幸せを祈ったりするのは全ての人の共通な思いに違いありません。そこには宗教の違いも、思想の違いも超えた、人間としての根本的な願いが凝縮しているはずです。
そしてご先祖様を大切にして来た私達日本人は、ご先祖様から連綿と伝わる「先祖供養の心」を、次の世代にしっかりと引き継ぐ事が、ご祖先様への恩返しでもあります。
それはまた、未来の世代である子孫に民族の歴史をしっかりと伝承する事であり、未来へと繋がる祈りの橋渡しでもあると、確信致しております。
ご先祖様達が築いた歴史に、先祖供養の心で感謝を捧げよう
戦後七十年の今年、歴史を改めて振り返る事が増えるでしょう。その時、私達は個人としてであれば祖父母や父母の欠点よりも、良き思い出や、ご恩を受けた有り難かった事をより多く思い起こします。しかし世間の一部のマスコミなどの論調は、過去の歴史を否定的に論じる事が余りにも多過ぎます。
「春彼岸 菩提(悟り)の種を 蒔く日かな」という作者不詳の道歌があります。「悟りの種」とまではいかなくとも、ご先祖様への感謝の心と、この国の歴史への感謝の心が私達を安らぎに導き、日本社会を安定に導く大切な要素であると信じます。
春の彼岸に当たって多くの人びとが、ご先祖様への供養をして頂くと共に、日本の近代史の良き面に、もっと光を当て、先人への感謝の心を伝える事も、併せて行なって頂きたいものです。合掌
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