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大日乃光






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2015年03月21日大日乃光第2104号(2)
遥かなるインパールへの古戦跡で英霊への鎮魂と供養の行脚

古老への質問で垣間見た撤退戦の渦中の惨状
 
当時、この野戦病院で二ヶ月ほどお手伝いしていたと言う、現在八十五歳になるお婆さんが居られました。十三歳の時に、日本軍のお手伝いをしていたそうです。どんなお手伝いをしていたかと話を伺ってみると、テントを張ったり修理したり、ケガ人のお世話などをしていたそうです。そして、毎日何人もの方が亡くなっていったと話されました。
 
「亡くなるのを見ましたか?」と質問すると、「朝、病院に行くと、何人もの人が亡くなっているのを毎日見ました」と話しておられました。兵隊さんが亡くなると、軍の人が来て埋葬地に運んで埋葬していたそうです。
 
「薬や包帯はありましたか?」と質問すると、「何にもありませんでした」と。
 
「病院では何をしていたんですか?」と質問すると、「何にもしてません。負傷者が来たら運び、食べ物があれば食べ物を与え、ただ死んで行くのをを待つだけでした」
 
何とも悲しく、酷い現実でしょう。野戦〝病院〟とは名ばかりで、もはやそこは病院とは呼べない有り様でしょう…。本当に食べ物も薬も何もなく、負傷した人がただ死んで行くのを見守るだけという事でした。
 
「どの様な亡くなり方だったんですか?」と質問すると、「最後はゆるい便が出て亡くなっていく」と聞き、私達では医学的な事は分らないので、最後はコレラか何かで亡くなられたのかなと話していまいした。
 
後日、病院の事務長さんにお会いした時、「人間は死ぬ時にはゆるい便をして死んでいくんですか?」と尋ねましたら、「それはかなり酷い栄養失調状態だったんじゃないかな。栄養失調になると、胃や腸の中の雑菌が最後には全部出て流れるんだ」
とおっしゃったので、病気やケガだけで亡くなったのではなく、最後には食べ物の無い中で栄養失調状態で亡くなったのだと悟りました。胸が苦しくなるほどの、悲惨な亡くなり方です。
 
日本軍があんな遠い所にまで進軍していた事は知識としては知っていましたが、その現地に足を運び、立ってみて、当時の兵士の皆さんがいかに大変だったかを、少しだけ実感しました。
 
アジアの大義に散った英霊達のご遺骨帰国のために
 
日本のかつての兵士の方々は、欧米の植民地だったアジアの国々の独立のために戦ったのです。
 
私達が接したゾーミ族の方々は、日本人の私達に対して非常に好意的でした。彼らの先輩の方々は「私達は日本軍と共に戦ったんだ」と言っていたそうです。そしてミャンマーやインドが独立する為に、多くの日本兵の命が失われたという事実をずっと言い伝えてきたそうです。まだご存命の高齢の方も、同じように言っておられました。
 
今現地では、若い三、四十代の方々によって、旧日本軍兵士のご遺骨の捜索を実施して頂いています。どこで何人位の兵士が亡くなったのか?どの様に埋葬されたのか?などを、チン州だけではなく、それ以外の所でも調べて頂いています。戦後七十年を迎えて、これまでまだ日本に帰れなかった英霊のご遺骨が祖国にお帰りになる事が出来ればと、切に願わずには居られません。
 
四月からの通常国会で、この問題にきちんと対応するような法案が、近々提出される事になっています。そうなれば、日本政府もミャンマーの日本大使館も具体的に行動してくれると思います。チン州だけでも何千というご遺骨のご帰国が叶わず、そのままになっている、この現実を見て、私達にも何らかのお手伝いが出来ればと思います。
 
ミャンマーでは、今、全土での停戦に向けて協議が続いています。そんな中で少数民族の方々に、チン州を始めとする各州で旧日本軍兵士のご遺骨が埋葬された場所を捜索して頂いています。
 
新たな法案が成立して具体的に動き出すまで、先の「ミャンマー/ビルマご遺骨帰國運動」(http://mbr-rtj.net/または「ミャンマーご遺骨」で検索)では、一柱でも多くの英霊にお帰り頂くために募金を続ける事になりました。そのご案内を本誌上に提示させて頂き、募金のご協力をお願い致したいと思っています。何卒よろしくお願い致します。合掌



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