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大日乃光






大日乃光

2015年05月01日大日乃光第2108号
深い内省・反省が強い祈りと幸運を呼び込む

「初夏を告げる朴の花」
 
毎朝の習慣ですが、朝の祈祷を終えて貫主堂の二階の北側の窓を開けます。そして奥之院の開山堂の開山上人様を遥拝します。すると、今朝はその窓のそばに枝を張る朴の木が、一輪の花を咲かせていました。春から初夏への移り変わりが、確実に実感出来るひと時でした。
 
これを書いているのは、まだ四月の十七日ですが、本誌が皆さんのお手元に届く頃には四月二十九日の「南大門春まつり」の直前か、すでに終わっている頃かと思います。そして、早いもので今年も三分の一が過ぎそうです。
 
「南大門の四天王は国家を守護する佛様」
 
そもそもこのお祭りは、四年前の南大門落慶と四天王開眼を記念して始まりました。
 
この南大門落慶法要は、東日本大震災からまだ四十日ほどしか経っていない平成二十三年四月二十三日に厳修致しました。
 
東日本大震災の直後には、様々な公式行事や催しが中止されたり延期されていました。しかし、そもそも南大門にお祀りする四天王は、本来天下国家を守るための佛様であることから、そんな自粛ムードの中でも使命感のような思いを抱きつつ落慶法要、開眼法要を厳修したのでした。
 
「大四天王の前で赤ちゃん土俵入り」
 
そんな中でいま一つ、未来に対する明るい希望や、将来の夢を育む意味で、赤ちゃんの健康を祈願する「赤ちゃん土俵入り」を復活しました。
 
この「赤ちゃん土俵入り」は、十年前まで毎年五月三日に奥之院で行なってきた「大梵鐘まつり」の中で行なっていた催しでした。「大梵鐘まつり」の役割が終わったと思われる中でも、この「赤ちゃん土俵入り」の復活は当時から熱望されていました。
 
かつては奥之院の大仁王尊の勇姿にあやかって、赤ちゃんの健康を祈願しての土俵入りでした。一方、四年前からの「南大門春まつり」での赤ちゃん土俵入りは、平成の大横綱白鵬関、そして元横綱朝青龍関を心象モデルにした四天王顕現にあやかっての土俵入りです。
 
そもそもこの南大門は、玉名市築地字「南大門」として、現在まで地名として受け継がれて残るほど、地元の人々に馴染まれ、そして多くの人々から待望されていた歴史的・宗教的な建造物でした。近くを通る国道のバス停にも、傍を流れる小川に掛かる小さな橋にも、南大門はその名を留めているのです。
 
「忘れてはならない『さつき供養』」
 
この時期はゴールデンウイークとして何日も連休が続きます。その中には「子供の日」もあります。そんな中で、先代の真如大僧正様の発案で「五月(さつき)供養」が、かつての「大梵鐘まつり」を始めるのと同時期に始められています。
 
その意味は子供の日に、我が子や孫のために鯉のぼりを揚げたり、子供の健やかな成長を祝う様々な催しを致します。その反面、親の都合や不慮の事故、または母体の保護などの様々な事情によって日の目を見ることの出来なかった「水子さん」の供養の日を、この時期に定められたのでした。
 
四月二十九日の「南大門春まつり」の「赤ちゃん土俵入り」で、元気な我が子や孫の健康をお祭り気分で祝うのは、家族の連帯と融和を深める行事として大変良い事です。
 
その一方で、不幸にもこの世に生まれ出づる事の叶わなかった水子さんを懇ろに供養する事も、今の幸福を実感する中で、忘れてはならない大切な事であります。どうか、心ならずも我が子を水子さんにしてしまった方は、この機会に「さつき供養」を申し込んで供養して頂きたいものです。
 
「真言密教の『五大願』」
 
さて、前号で説明致しました「四弘誓願」に対して、真言密教の「五大願」の一つ、「福智無辺誓願集」という言葉を紹介しました。この「五大願」の全体を教えて欲しいとの要望がありましたので、以下にお伝えします。
 
一、衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど)
  悩み苦しむ衆生は無辺・無限であるが、ことごとくお助けする事を誓う
 
二、福智無辺誓願集(ふくちむへんせいがんしゅう)
  福徳・智慧は限りなく多いけれども、これを精一杯集めて行く事を誓う
 
三、法門無辺誓願学(ほうもんむへんせいがんがく)
  佛教の教えは広く遍く無限であるが、これを学んで行く事を誓う
 
四、如来無辺誓願事(にょらいむへんせいがんじ)
  内容は下に後述します
 
五、菩提無上誓願証(ぼだいむじょうせいがんしょう)
  佛道や悟りは無上だが、必ず成佛しようという誓い
 
これが「五大願」です。
 
二番目の「福智無辺誓願集」が、「煩悩無辺誓願断」の代わりになっていることは、前回お伝えしました。
 
四番目の「如来無辺誓願事」は、そもそも「四弘誓願」には入っていません。ここにも真言密教の特色、独自性が現れています。如来、つまり佛様は、限りなく大きく深く宇宙に遍在しておられますが、その尊さをしっかりと受け止めて、み佛さまのご意思やみ心に添ってお仕えして生きて行きます、という意味です。
 
「日本人の仕事観に繋がる『如来無辺誓願事』」
 
この「如来無辺誓願事」の「事」は、「仕える」の「仕」と合わせて熟語にすると「仕事」になります。如来様、佛様に仕える事は、仕事として「事に仕える」事と同じ意味を持っているとも言えるのです。
 
日本人の「仕事観」は西洋人と違い、単なる労働や罰則としての作業ではなく、自分の魂を磨く事であるとする「修養」の意味を含んでいます。また、この感覚や情念は、神佛のような尊いお方、尊い存在にお仕えする事と、どこかで繋がっていると感じるのは私だけでしょうか?(私は日頃、皇円大菩薩様にお仕えするのが仕事?なので、この様に感じるのかもしれません)
 
「深い反省は願望成就の元」
 
私達真言宗の僧侶は、様々な佛・菩薩と向き合い、冥想する作法の中で、必ずこの「五大願」を唱えます。そしてこの「五大願」の少し前には必ず懺悔(さんげ=宗教的な深い反省)のお経をお唱えします。
 
在家の皆さんのためのお経には、下記の「懴悔文」があります。
 
我昔所造諸悪業
皆由無始貪瞋癡
従身語意之所生
一切我今皆懺悔
 
我れ昔より造る所のもろもろの悪業は、皆無始以来(生まれる以前から)の身語意より生ずる所の貪瞋癡に由るものなり、それら一切を我今、懺悔したてまつる
 
(口語訳)
私が昔から作ってきた色々な悪い業は、遠い過去から積み上げてきた「貪瞋癡」すなわち「三毒」によるものです。それは、体で行った・話した・思ったという三業から生まれたのです。私は今、それら全てを懺悔します。
 
私達真言宗の僧侶は、この「懺悔文」よりも更に深い懴悔のお経を唱えて深く己を内省します。その後に、この「五大願」を唱える事になっています。この順番には深い意味が込められています。
 
私達は様々な願いを持ってお参りし、祈願を致します。その時、先ず「自分はこれでいいのか?」という自分を省みる心構えを先にしっかりと持った時に初めて、その後の願いに、より魂が入り力が入ります。そして、その願いはより強くより深く、よりしっかりとした祈りになるのです。
このような深い反省を踏まえた願いは必ず成就します。成就しないのは、まだ内省が足りないか、または反省が深まっていないからかもしれません。
 
「未来に繋がる供養と地域社会に役立つ生き方を」
 
その意味で、既に不幸にして水子を生み出してしまった方は、その事を深く懺悔し、反省するための「さつき供養」をされ、その上で、子や孫の健康を真剣に祈願して頂きたいものです。
 
幸いにも、祖父母や父母が信心深い方々で、これまで多くの供養を続けて功徳を積んでこられている方々は、その供養や功徳のお蔭で比較的幸運に無難に過ごして来られた方が多いのです。
 
その事に感謝し、少しでも周りの人びとのために自分に出来る奉仕を見つけ、身の周りや地域社会に役立つ生き方を目指して下さい。
 
「まだ自分達は、子孫に幸運を巡らせる程の供養も信心も出来ていない」と感じる方は、その反省の思いを基に、さらに信心を深め、修養に励んで頂きたいものです。
 
このような生き方こそが「福智無辺誓願集」の前向きな生き方を生み出し、さらには「如来無辺誓願事」の、佛様や周りの社会に奉仕する生き方にも通じると確信致します。合掌
 



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