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大日乃光






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2015年07月11日大日乃光第2114号
多宝塔部材奉納に籠められる信者の皆様の真心と信心

川の濁りは心の濁り?
 
皆さんお早うございます。
昨日から先程までのお参りで、充実した心持ちで今のこの時をお迎えの事と思います。
 
私達真言宗の僧侶は毎朝の祈祷で様々な祈願をいたしますが、その中に「風雨順時 五穀豊穣」と唱えて、「天候が不順にならず様々な作物が順調に稔りますように」という祈りを致します。他にも「天長地久 国家安泰」「世界平和 諸人快楽」「伽藍安穏 佛法興隆」など大きな祈りを致します。
 
近年は異常気象や環境異変などの天変地異が頓とみに増えています。これは我々の祈りの力が弱まってきたのではないかと、身の細る思いを抱いています。
 
昔の古き良き時代の日本人は、「川が濁るのは自分達の心が濁ってきたから!」という感性を持っていたそうです。この様な感覚からすると、「地球環境が悪くなったのは我々人類の心のあり方が悪くなっている証である!」と私達も捉えなければならないのです。
 
 
佛天の御加護を頂いた六月大祭
 
そんな中で、天気予報では昨日から今朝まで雨天が予報されていたにも関わらず、全ての大祭行事が何の障害もなく無事に終了した事は、何とも有り難いことであります。まさに佛天のお加護を実感しています。(ほとんどの後片付けが終わるまで、雨が降らなかった事も重ねて有り難い事でした)

全国ニュースで熊本県各地に避難勧告が出ていましたので、大祭直前には日本各地の方々から大雨で被害を受けなかったかという問い合わせの電話や、お見舞いの電話を頂いておりました。

私の記憶ではかなりの大雨があっても、当山のこの場所は水害を受けたことがありません。それと言うのも当山の山号が「高原山さん」と言うくらいで、小高い地形になっているからでしょう。度重かさなる発掘調査では縄文・弥生の住居跡あとが多数発掘されています。これは古代から当地が住みやすい場所であった事を表していると思います。
 
開山上人様の眼力で鐘楼堂建立場所を決定
 
さて、以前からお伝えしていますように、来たる平成三十年は皇円大菩薩様の御入定八百五十年の大遠忌きです。この記念すべき大きな節目に当たって、今後三年以内に多宝塔を建立致します。

これは三年前の「八千枚護摩行」の中で、皇円大菩薩様からお受けした〝御霊示〟によるものです。ですから私の心の中には既に多宝塔が完成し、燦然と輝く相輪がクッキリと鮮やかに天に向かってそびえ建っています。

昭和四十三年の八百年大遠忌には、この本堂が建立されました。そして引き続き奥之院の開創が発願されました。奥之院建立の過程で心に残ったことがあります。それは現在の大梵鐘「飛龍の鐘」を収める鐘楼堂の建立場所についてであります。

先代の真如大僧正様と弘こう海かい伯父、そして田邉哲夫先生(当山と皇円大菩薩様の歴史研究をして頂いた方)の三人で、開山上人様に対して鐘楼堂の場所をもっと高い場所に変更するべきではないかと提案されました。

この様な提案をされたのも、もっともなことでした。と言うのも現在の場所では大梵鐘の音が遠くまで聞こえないのではないかと予想されたからです。お三方は現在の場所よりもっと奥の高い場所を提案されたのです。(現在、そこには求聞持堂が建っています)現実には現在の場所であっても、天候にもよりますが、三十キロ離れた雲仙・島原まで梵鐘の音が届いてます。

もしもその提案の場所に鐘楼堂が建てられていたら、庫裏からは今よりも遥かに遠く、三百メートルほども離れます。これまで毎朝と毎昼、大梵鐘を欠かさず撞いてきましたが、それほど遠くになると毎朝欠かさず撞くのが大変な難儀になります。その意味では、現在の場所に開山上人様が決められたその慧けい眼がんには感心しております。

そして多宝塔は、二十五年前にかつて先代真如大僧正様が五重塔建立の予定地として仮に定めておられた場所に建立致します。
 
塔建立の功徳
 
さて、三年後を目処とした多宝塔建立は、四年前に南大門建立に際して信者の皆さんから「部材奉納」で多大なご協力を頂いていますので、今回は奉納の受付はせずに、あくまで寺の行事として進める心積りでした。

そんな中でまだ受付をしていないにも関わらず、何人もの篤信の信者さんが「多宝塔に使って下さい」と、次々と浄財を奉納されたのです。弟子達の中からも「心から奉納したい信者さんは少なくないはずです。どうか奉納を受付けて下さい!」と切々と訴えられました。

そもそも塔建立には絶大な功徳がある事を、多くの経典が伝えています。その功徳を積む機会を閉ざすのは佛意に悖もとると、当初の考えを改めました。
 
奉納とは?
 
そもそも奉納とはいかにあるべきかを考えてみたいと思います。奉納と同じ様な意味の言葉に「布施」「喜捨」「寄付」などがあります。この中で「寄付」以外は佛教用語です。「布施」、「喜捨」に共通するのは「相手に見返りを求めない事」「相手にお・も・ね・ら・な・い・事」「相手に負担をかけない事」などが大切です。そして、「布施」や「喜捨」する金品が「不正な手段で得たものではない事」も加えるべきでしょう。

古い神社佛閣に参拝しますと《金○○円○○○○》と、金額と名前を彫り込んだ石柱が建てられていることがあります。奉納や寄付を受けた寺や神社からすると、このようにして奉納者や寄付者の名前を刻んだ石柱を立てるのは寄付への一種のお礼のような事かもしれませんが、これでは折角の奉納の「功徳」が減少してしまうのです。
 
「三輪清浄」の布施
 
これまで何度もお伝えした事ですが、「布施」や「喜捨」が完全なものになるには、三つの大切な条件があるのです。

(一)「布施」をする人の心に、惜しみの  気持ちや恩を着せるような思いが有ってはならない。
(二)「布施」を受ける側には、それを負担に感じたり、恩に着るような思いが有ってもならない。
(三)「布施」されるその金品が不当な手段で得られたものであってはならないし、不浄なものであってもならない。

以上の条件が全部揃った時に、初めて「三輪清浄の布施」つまり完全な「布施」となるのです。

しかし、世間ではこの様な完全な布施や奉納、喜捨は意外に少ないのが現実です。先に出した、金額と名前を刻んだ石柱の建立は一つの例です。

これも何度もお伝えしている事ですが、開山上人様も、先代の真如大僧正様も口癖の様にこんな事を言っておられました。「惜しみの心や功名心の籠こもったお金で寺を創ると、寺が内部から腐くさってくる!」というものです。何とも厳しく的確な表現ではありませんか。
 
何よりも大切な奉納に籠められた信心
 
ですから、便宜的に様々な金額を設定して、多宝塔の部材ごとに金額を算定して「部材奉納」として前々号(六月二十一日号)の本誌で発表しました。

どうかそれぞれのご都合や、ご自分のできる範囲の部材をご自分で決めて、奉納して下さい。自分は少ないからといって卑屈になる必要は全くありませんし、多くの金額を奉納される方も、決してそれを自慢したりしないで頂きたいものです。

あくまでご自分の事情と心持ちに正直に受け止めて頂きたいのであります。要は、その奉納にどれ程の信しん心じんと真心を籠こめられるかが最も大事なことなのであります。

これら全ての奉納者のお名前は、その方の祈願と共に、これから生み出される「五智如来」(既に二体は完成)の胎内に、未来永劫に亘って収める事にしております。

一方で、これまで深いご縁のなかった新しい信者さん達に、この「部材奉納」が新たなご縁を結び、良きご縁となる事を念願致しております。

三年後には、全ての信者さん方が同じ喜びの中で落慶法要をお迎えし、皇円大菩薩様の御入定八百五十年大遠忌を盛大にお祝いしたいものであります。それまでの月日を楽しみにしながら、日々の信心に励はげんで下さる事を念願いたします。合掌



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