2015年08月17日大日乃光第2118号
皇円大菩薩様の光に導かれ、民族の自信と誇りを取り戻そう
例年にない猛暑もお盆を過ぎて朝夕は少し涼しくなりました。しかし、まだ暑い日々が続きます。いかがお過ごしでしょうか?夏の疲れが出ませんよう健やかにお過ごし下さい。皆様のご健勝を祈念申し上げます。
改称以来、四年目を迎えた『大日乃光』
さて、この八月二十一日号は誌名を『大日乃光』と改称して丁度四年に当たります。
それ以前の『大日新聞』という誌名は、開山上人様(開山是信大僧正様)が皇円大菩薩様の御入定八百年大遠忌を数年後に控えた頃に、それまでの『幸福への道』という誌名を改称されたものでした。それは、個人の幸福だけではなく、社会や国家が安定しなければ人々の幸せもあり得ない、との思いからの改称でありました。
その後、私が主筆を引き継いで以来、十日に一度の執筆を続ける内に〝新聞〟という世俗的な言葉の響きに違和感を覚え、必ずしも世間でいう新聞とは違っているように感じ始めました。
その頃、南大門の落慶と大四天王顕現を無事に終えて、開山上人様と先代から託された当山の中興への道は一応の区切りを迎えました。そんな中で、四年前の六月に本誌の第三種郵便物認可から丁度六十年の還暦を迎えたのを機に、誌名を『大日乃光』と改称したのでした。
信仰や信心、さらには宗教と言うものは未来への視点や希望をその内部にしっかりと持っていなければなりません。その意味で、皇円大菩薩様の視点は未来からのメッセージを多く含んでいます。
歴代の貫主を導き、次世代への方向を示して頂いた御本尊皇円大菩薩様の私たちへの様々な御教示と御霊導に虚心に耳を傾けて、この光に導かれる思いを『大日乃光』という誌名に託したのでした。
未来への道筋を定めるために過去を検証する態度とは?
本年は戦後七十年の節目の年にあたります。過去を振り返り未来を模索する時、どうしても避けて通れないのは過去の歴史の検証です。その時忘れてはならない事は、過去を生きた私達の先祖の人々がどんな思いでその時代を生きてこられたのか?そしてその時代はどんな国際情勢であり社会情勢だったのか?ということへの配慮を抜きにしては考えられません。
そしてまた、過去を振り返る時、現代の視点だけで過去を振り返ってはならないということも大切です。
つまり歴史を検証する時、先人の皆さんの視点に立って、その時代に寄り添ってその時代に思いを馳せなければならないということです。
これを個人や家族の歴史を振り返る事に置き換えるならば、先祖の功績や足跡に感謝と尊敬の念を持って先祖を見つめ、子孫である子や孫達に誇りと自信になるような家族の物語を伝えて行く事が、子孫にとっていかに大事かということに繋がります。
私が何度も本誌でお伝えしているように「あなたの先祖は周りに迷惑ばかりかけていた人達だったんだよ!」と子や孫に伝え続ければ、その子や孫はどんな大人になって行くかを想像すればすぐに分かることです。
子や孫達からは「そんなひどい先祖を持つ自分達だから、世間や人様の役に立つ人間になれるはずがないよ!」と言われるのがオチではないでしょうか?こんな事を我が国は、学校の歴史教育や各種報道で延々と続けてきたのです。その結果、諸外国と比べて「自己肯定感」が最も乏しい青少年を生み出しているのです。
叱責を受けた、平和記念碑建立趣意書の原案
以下は既に二十年以上昔の話です。ある日、古い知人から突然電話がありました。
「確か先代の真如大僧正様は特攻兵士の生き残りでしたよね?そこであなたにある人物に会って欲しいのです。そして、彼を精神的に支援して下さい」という第一声でした。それは、その方の親友が特攻兵士に関する映画を製作しておられ、映画製作に当たって鹿児島県の知覧にある「特攻平和記念館」を取材した後で当山を訪問したいとのことでした。
お会いして詳しく話を伺う内に《何としても、出来る協力は惜しまない!!》と決意しました。その年は多くの特攻兵士が亡くなられて五十回忌に当たる年でもありましたので、その前年に開設した「蓮華院御廟」(霊園)に特攻兵士のための五十回忌供養塔を世界平和を祈念して建立することにしました。また、合わせて供養塔のそばに石碑を立て供養塔建立の趣旨を彫り込むことにしたのです。
趣意書がおおかた出来たところで、先代(亡き父)と同級生で歴史家でもある故田邉哲夫先生にその文案を見て頂きました。しばらく厳しい眼差しで読んでおられた先生は、厳しい顔で私にこう言われました。
「ほとんどは良く出来ていて問題ないが、ただ一点、『このように人間性を踏みにじる作戦によって云々』の文言では、〝貴方達は人間性を踏みにじられ否定された可哀想な人達〟と言っていることになる。
彼らはまさに俺たちと同じ時代を生きた人々だ!息子の年代の君にそのように言われて、彼らが喜ぶと思うか?これでは供養をしたことには決してならない!
歴史と言うものは、その時代に生きた人々の思いや生き方に寄り添った時に初めて本当の意味が分かるのだ!
この文章を石碑に彫り込むという事は、後世の人達から『この住職は戦後教育を受けて自虐的にしか歴史を見られない哀れな人だった』と評価されるかもしれないぞ!もう一度、戦前の歴史を学び直しなさい!」と、いつになく厳しいご指摘を頂いたのでした。それと同時に幾つかの書籍を読むように指導を受けたのでした。
まだ間に合う、近代日本史の総括
この事があってから、私は先生に勧められた本を何冊か読みながら、まさに目からウロコが落ちるように、戦前戦後を通じて連綿と伝わる先人の思いと歩みを知るとともに、私自身の歴史観の転換を果たすことが出来たのでした。
そのいくつかの書籍とは、渡部昇一著『日本史から見た日本人』上・下巻、ヘレン・ミアーズ著『アメリカの鏡・日本』江藤淳著『閉ざされた言語空間』などです。
本来は十年前の戦後六十周年、つまり還暦を迎えるまでには私達日本人自身が自らの歴史を学び直し、近代百年の歴史観を一人一人が確立しなければならなかったのです。しかし、それでもまだ遅くはありません。
どうか子や孫達のために、先祖の歩んで来られた近代の歴史を否定的にではなく、子供達が自信と希望を持てるように教え導いて頂きたいものです。
そして、私達大人も今一度、先人の功績を正当に肯定的に評価し直す中で、歴史を築き上げることに小さくとも確実に役割を果たされた私達一人ひとりのご先祖の方々に対するお詫びと感謝の思いをしっかりと取り戻して頂きたいものです。
この事が、日本の未来を明るく希望に満ちた世界に変えて行く大事な一歩になる事を確信しています。
私達の精進を積み重ねる後姿が、ご先祖様から子孫への物語を繋いで行く
先人達は大変な苦難の中で雄々しく、たくましく歴史の中でその責任を果たされたのです。そのような先人の直系の子孫としての矜持や誇りを持って日々精進して行く事と、そのような後ろ姿を子や孫達に見せる事から、この祖国の復活が果たせると確信しています。
信仰生活の中でも、佛様のご意思やお慈悲に叶っているのか、それに背いているのかを日々自分自身に問いかける、反省と感謝を積み重ねることが欠かせません。そしてさらには、家族を始め周りの有縁の人々や社会への奉仕と貢献ができるように心を広げ高めて頂きたいものです。
この様な神佛やご先祖様に恥じない生き方が、次の世代を引き継ぐ子孫に良き道筋を示し、自ら歴史を創造して行くことに繋がるに違いありません。
子や孫達は未来の歴史を創って行く貴重な人材です。彼らに前向きで積極的に生きて行く自信と誇りを与えるのは、今を生きている私達の生き方そのものなのであります。
一方、佛教的な生き方とは、棚からボタ餅が落ちてくるのをただ口を開けて待つというものでは決してありません。
むしろそれよりも日々の努力と精進の積み重ねの中で、私達自身がそのボタ餅を作る側に回る程の強い心構えと実践こそ持ちたいものであります。
来月の秋のお彼岸にはボタ餅ではなく「オハギ」を各家庭で作って頂き、御先祖様への感謝の祈りをする中で、私達自身が輝く未来のために民族の歴史と家族の物語をつなぐ大切な役割を自覚したいものです。合掌
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