2015年09月25日大日乃光第2121号
「草の根運動で築く国家百年の計」
ミャンマーの明日を担う青年達の来日
去る九月四日、ミャンマーから七名の中・高生と三名の先生方を約一週間の予定でれんげ国際ボランティア会(アルティック=ARTIC)の三十五周年記念事業の一環として招待しました。
その目的は八月の「いわきヤングリーダー研修事業」と同じ様に、未来のミャンマーを背負う人材を育てるための試みとして実施しました。そんな中で、まず最初に私から約一時間の講話を致しました。そのために用意したメモ書きを、以下に掲載します。
一.日本の建国以来の平和の歴史
(一)二六七五年前に、日本は日本民族の国家として成立しました。その間、一貫して天皇陛下を象徴とする国柄を形作ってきました。
(二)その後、佛教が我が国に伝来して以来、約一四〇〇年間、天皇陛下ご自身が深く佛教を信仰し、佛教的な精神によって国が治められて来ました。その影響もあり、約一二〇〇年前からの二〇〇年間、そして約四〇〇年前からの二六〇年間、日本国内では平和な時代が続きました。これは世界にも類を見ない平和な歴史でした。
(三)また、先の第二次世界大戦が終結して以来七〇年間、日本は一人の外国人兵士も殺さず、日本人も戦争などで殺されていません。これもまた、世界に誇るべき平和の実績です。
二.日本は世界とどう向き合ったか?
(一)約一四〇〇年前から約一〇〇年間、日本は当時の先進国だった隋・唐から佛教を始め多くの進んだ技術や学問を学び、時には技術者も多く招いています。
(二)しかしそれ以降、近代に至るまで日本独自の文化を国内で花開かせて来ました。
(三)一五〇年前の欧米列強によるアジア侵略の危機に際し、我が国はそれまでの地方分権を改める改革を成し遂げました(明治維新)。それと同時に今度は欧米の技術や文明を貪欲に吸収しました。合わせて全国に学校を設立し、義務教育によって全ての日本の子供に読み書きを教えて、さらに高等教育も普及しました。
(四)それ以前も、三分の一の日本人が読み書きが出来るという、世界でもまれな文化水準でした。明治の近代化以降、非識字者はほとんどいなくなり、合わせて天皇陛下を中心とするまとまりのある国として発展しました。
(五)一二〇年前の清との戦争によって、支那文化圏から独立した国際関係を樹立し、さらに一一〇年前のロシアとの戦争で、世界の有色人種に希望を与えました。
(六)七〇年前の敗戦によって我が国は大きな打撃を受けましたが、結果的に世界の多くの国々が植民地から独立し、世界には自由な貿易がほぼ実現しました。
三.ミャンマーの未来に日本が出来ること
(一)ここ数年、日本政府が国家予算でミャンマーの発展を支援しています。それは主に経済的な発展に向けての支援になっています。
(二)それに対して、私たちアルティックは、あくまで「ミャンマーの人々自身による自立への支援」を基本方針にしています。
(三)国や地域の発展のためには、何と言ってもそこに住む人々の「自立への強い思い」こそが最も大事なことです。そのための一つのきっかけとして、アルティックは学校建設という事業を立ち上げましたが、そこに住む皆さん自身が、この事業の主体になって貰わなければなりません。
(四)皆さんの地域の人びとが、自分達自身の手で建設した多くの学校で基礎的な学習をする中で、あなた達は故郷への深い愛着や、故郷が生み出した偉人の事を学んで下さい。その事を通じて、各地域の発展の基礎が築かれていく事を確信します。
(五)また、かつて日本人が行ったように、皆さんの中で意欲のある人は、日本を始め多くの国々に出て行って世界に目を開き、国や故郷のためになる技術や学問を貪欲に学んで頂きたいものです。
佛教を取り入れた国家運営
改めてそのメモを読み返してみて、感じることがいくつかありました。それは外国人であるミャンマーの青年達に話すことで、日本の独自性や日本の果たした人類への歴史的な役割がより鮮やかに見えてきたことです。
我が国は建国以来、二千六百七十五年の長きに亘って天皇陛下を中心として生きてきたという、世界に例を見ない国柄であります。これはお釈迦様によって佛教が説かれ始めるより更に百六十年も遡ることになります。
そして、佛教が日本に伝来して千四百年の長きに亘って、象徴である天皇陛下や皇族の方々ご自身が佛教を篤く信仰される中で、佛教的な価値観や世界観によって国家が運営されて来たということです。
模倣からの改良で、文化や芸術性を高める民族性
その影響もあって平安時代や江戸時代に二百年、三百年もの長い間、平和な時代を築いて来ました。これ程の期間、平和を保ったのは世界的にもまれなことだと言われています。
また、日本人は古代から、世界の文化や技術を貪欲に吸収しながら、それを日本独自の文化にまで高めて来たとという事です。この事を「サルまね」などと揶揄したり、自嘲気味に受け取る人もいますが、外国から学んだ優れた文物をさらに改良して、もっと高度なモノや文明を作り出した民族は、世界でもあまり例がないのではないでしょうか?ですから模倣から改良することは、私達日本人の個性であり長所なのです。
近年、開発途上国の多くが、かつての日本の真似をしている事を思うと、我が国の先進性が逆に実感されます。
世界に卓越した教育水準
三番目には何と言っても教育です。これも佛教の影響とも思われますが、江戸時代には寺子屋を中心とした多くの私的な教育機関によって、読み・書き・そろばんなどの基礎的教育が日本の津々浦々まで浸透し、その結果識字率が当時、世界の最高水準だったと聞いています。
明治に入ると政府の方針で初等教育が徹底され、非識字者はほぼ根絶されました。これも世界に誇るべき事柄です。そして、ここでも欧米の先進文明を積極的に導入して、一気に近代化を成し遂げたのも欧米以外では日本だけでした。例えば、もし当時、人種差別が無かったとすれば、明治の中頃には日本人が何人もノーベル賞を獲得していただろう、と言われている程です。
人類の意識と歴史を変えた明治から昭和の戦争
明治時代には当時の清国とロシア帝国を相手に戦争しました。現代ではこの日清戦争と日露戦争さえも「日本の侵略戦争だった」と言う人がおられますが、この二回の戦争は、人類の意識と歴史を大きく転換するものでした。
先の安倍総理による『戦後七十年談話』にもありましたように、日露戦争が植民地支配に苦しむアジアやアフリカの人々に希望を与えた事は人類の歴史の大きな転換点でした。
そして、先の大戦は世界を相手にしての壮絶で悲惨な戦いでしたが、結果として世界の多くの民族が独立国家となり、人種差別はほぼ無くなりました。これは紛れもなく、日本が世界史の中に残した偉大な足跡です。
しかし、戦後はアメリカの占領政策によって多くの日本人に罪悪感が植え付けられ、日本民族としての誇りが奪われました。
してはならないが備えを怠れない
去る終戦七十周年の前後には、未だに「日本罪悪史観」とでも言えるような報道や番組が、これでもか!と言わんばかりに流されました。加えて「戦争は悲惨だからどんなことがあっても、二度と戦争をしてはならない」と言う多くの戦争体験者の言葉を伝えていました。まさにその通りです。
しかし現在の世界を見渡した時、私たちが戦争を望まなくとも、備えを怠れば野心を持った国に蹂躙される可能性が高まってしまうのです。
世界や国家が平和でなければ個人の幸せも成り立ちません。個人の日常生活では、愛と慈悲に満ちた暖かい心情で周りと調和していても、その事とは全く関係なく、他国から侵略を仕掛けられ、侵略されてしまえば私たちの生活は激変します。これは六十年前から中共軍に侵略されているチベットの現実を少しでも知ればすぐに分かることです。
一方、私たち日本人が「永世中立国」として憧れているスイスが国民皆兵の重武装国家であることを知る人は、まだ少ないのが現実です。
ダライ・ラマ法王猊下の「絶対非暴力」や「無抵抗主義」は、佛教的な理想のようにも思われます。しかし、それは現在のチベットが人民解放軍の圧倒的な武力の前で、それ以外に対策の無い現状の中での、止むにやまれぬ方針である事も忘れてはなりません。
これまで様々な方から「お坊さんのあなたは『絶対非暴力』の理想を説くべきだ…」と言われたこともありますし、私も心の片隅ではその意見に共感する部分もあります。
しかし、父達の世代が特攻を志願した時の「故郷や両親、さらには家族の危機を一時でも遅らせる事ができるなら、自分が命を投げ出す意味がある」という思いに寄り添う時、故郷や家族が危機に瀕するよりももっと前に、出来る事に努力すべきではないか思うのです。
草の根の交流で築く国際友好
今私達が個人でも出来ることは、一人でも多くの外国の青年や人々と心を通い合わせて、友好な個人と個人の関係を作り上げることではないでしょうか?
私達は外交上友好的でない国々の人々に対しても、個人としては日本人の美徳を発揮して、誠実に良き対人関係を築くよう努めたいものです。それこそが佛教徒としての生き方に違いありません。
その意味でも、熊本や玉名での多くの人々との交流が、ミャンマーからの十名の青年や教育者の皆さんの心の中にしっかりと根付いて欲しいものです。それが未来のミャンマーの発展と、日本との友好に繋がっていくことを願わずにはいられません。合掌
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